2011年9月2日金曜日

御茶ノ水にて

9/2 (金) 雨のちくもり
 
バンクーバー滞在中にはホームページを公開できませんでしたが、帰国後になんとか公開に漕ぎつけました。
未完成の箇所が多いのですが、少しずつ情報を追加していきたいと思っています。

2011年8月6日土曜日

さようなら --- また来る日まで (完)

8/5 (金) くもり
 
十分余裕を持って出発2時間半前に空港に着いたのに、荷物関係で思わぬ時間を食うことになってしまった。
エア・カナダでは職員がスーツケースの重さを測るのではなく、必要に応じて自分で測らないといけないのだが、念のために測ってみたらなんと両方とも 23 kg をわずかにオーバーしていた。
 
運良くばれなければいいのだが、あらかじめ超過料金を払っておかない場合は罰金だからね・・・と職員に脅かされ、片方を 26 kg オーバーに調節して1個分の超過料金(100 カナダドル!)を払うことにした。
きちんとキャリブレーションされていなかった大家さんの体重計がうらめしい?! 
 
今朝測った時点ではどちらのスーツケースも 21 kg 前後だったわけで、10 % 前後過少評価されていたというわけだ。
ということは自分の体重も実は 10 % 前後増しだったというわけで、どうやら自分の人生における史上最高体重をマークすることになってしまったようだ。
 
帰国したらダイエットに挑み、今後はスリムな人生を歩みたい。
それにしてもカナダでの食生活は、ホント、カロリーが高かったなぁ。
 
(完)


「読者」のみなさまへ

このブログの「読者」となって下さった、7人の方に感謝申し上げます。
途中からシステムの不具合のために読者欄が表示できなくなってしまいましたが、「読者」のみなさまの存在が私の執筆意欲を2年間にわたって維持してくれました。

2011年8月5日金曜日

青空の下での修了式

8/4 (木) 晴れ
 
帰国前に指導医の J 先生がディナーに連れて行ってくれると言っていたのだが、自分としては遠慮したいと思っていた。
というのは、以前にほかのフェローたちの修了式に混ぜてもらったといういきさつがあったし、友人たちや大家さんとの予定が入っていてけっこう忙しいということもあったのだ。
 
すると J 先生から一昨日連絡があり、今日のランチを一緒に食べようとのこと。
彼は今日は一日ずっと放射線室でひたすら ESWL の麻酔(ケタミン少量とレミフェンタニルの持続静脈内投与)を縦に8例こなすところ、抜け出してきてくれた。
 
病院のメインの建物の横に図書館がある建物があるのだが、そこでサンドイッチを買い、外の木蔭で食事をした。
直射日光を避けさえすれば、けっこう涼しい。
 
J 先生がかばんの中から立派な修了証書を出して、自分に渡してくれた。
先日の修了式でほかのフェローたちが受け取っていたのと同じだが、肩書きが “Clinical Research Fellow” となっている点が違う。
この証書を目指していたというわけではないのだが、受け取ってみるとようやく終わったんだという実感がじんわり湧いてくるから不思議だ。
 
ASA で発表することはもちろんのこと、論文をもう1つ書くことや来年は肺移植関係の発表をどこかでやることになっており、留学はもう終わりだが研究活動はこれからもまだまだ続く。
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帰宅後はひたすら荷物の詰め込み作業をした。
2つのスーツケースにバランス良く詰め込み、それぞれが 23 kg を超えないようにするにはテクニックを要する。
サン・ランを走ったジョギングシューズやトーナメントで使ったテニスシューズは、残念だがスペースと重量の関係で処分することにした。
 
夜は大家さんが送別会の第2弾を開いてくれ、親しい人たちが集まってくれた。
キャラメルプリンはうまかったが、カロリーはかなり高かったんじゃないかなあ?
結局、股ずれが直らないままの帰国となってしまった。
 

2011年8月4日木曜日

M 君とのデイナー

8/3 (水) くもりのち晴れ
 
以前に行ったことのある新渡戸記念庭園 Nitobe Memorial Garden の他に、UBC の中で行ってみたいと思っていたところが2つあった。
ひとつは UBC 人類学博物館 Museum of Anthropology (MOA) で、もうひとつは Bookstore だ。
 
Bookstore は広大な売り場に UBC グッズがたくさん置いてあるからで、おみやげにはいいんじゃないかと思っていた。
MOA は今回初めて行ったのだが、モスキアム先住民族の作品を中心に BC 州北西太平洋地域のもの、さらには世界中のコレクションが展示されており、とても興味深かった。
 
夕方はリッチモンドにある M 君の家に招待されていたので、出かけてきた。
自分が来るために、わざわざ米飯にしてくれたのだそうだ。
親日家でもある M 君の日本に関するさまざまなコレクションを見せてもらうことができた。
 
M 君は自分にとっては最初に仲良くなった地元のカナダ人で、一緒にハイキングに行ったり食事をしに行ったりしたので、とても名残惜しい。
またいつか日本で再開できることを楽しみにしようと思う。
 

2011年8月3日水曜日

献本届いた

8/2 (月) くもりのち晴れ
 
バンクーバーに来た 2009 年 9 月から年末にかけてテキストを執筆したが、ようやくそれが本としてでき上がったらしい。
麻酔科のオフィスから小包を預かっているという連絡があり、受け取りに行くとその本が届いていたのだ。
指導医からも「パフェクトなタイミングだった」と言われたが、本当にその通りだ。
 
日本で執筆した場合と違うのは、どこにも「献本」という意味の英語がないこと。
一緒に入っていた Packing Slip という紙切れには、“Thank you for your order” とか “Sold to 誰々” といった文言が載っており、一瞬、ひょっとしたら自分で注文してしまったのだろうかと混乱してしまった。
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大丈夫だろうとは思ったのだが、本当に荷物が全部スーツケースに入るかどうか不安になり、万一に備えてダウンタウンの H.I.S に行ってみた。
確か宅配便も扱っていると言っていた記憶があったので、必要になったらそこから船便で送ろうと思ったのだ。
 
ところが改めて話を聞いてみると、実際に宅配をしているのは日通であって、H.I.S はそこで航空券を購入した客に割引を提供している(だけ)とのこと。
とりあえず今回は自分には必要なさそうだが、集荷をしてくれるしスキーやスノーボードを送るには便利そうなので、一応、備忘録に残しておく。
 

2011年8月2日火曜日

トーナメント参加

8/1 (月) 快晴
 
BC デーで祝日の今日、スタンレー・パークでテニスの混合ダブルスのトーナメントがあり、バンクーバーでテニスをやった証にと思い参加してきた。
トーナメントとは言っても正式のものではなく、ごく内輪だけのものだ。
 
自分もパートナーの K さんもトーナメントは初参加で大いに戸惑ったが、そこはまあ内輪の集まりなので、時にはなあなあで済ませたり、またある時は仕切ってくれるベテランがいたりと、何となく切り抜けた。
 
初戦ではいきなり優勝したペアに当たり、全くいいところなく敗れた。
二戦目は最初のセットを取って大いに盛り上がったが、結局はタイブレークの末、敗れた。
勝利への道は限りなく険しい。
 
スタンレー・パークのコーチ自らが肉を焼き、BBQ で飲んだり食べたりと、エンターテイメントの要素も満載だった。
が、その一方でこれからのいろんな企画とかに誘われると、もう近いうちに日本に帰るという話にどうしてもなるわけで、そうなると別れはやはり辛いものだ。
以前、一緒にダブルスを楽しんだ A さんや S さんと最後に会うことができ、サヨナラを言うことができてよかった。
 

2011年8月1日月曜日

最後の Grouse Grind

7/31 (日) くもりのち晴れ
 
自分にとってのバンクーバーでのレクリエーションのひとつがハイキングだったわけだが、今日はやりおさめということで Grouse Grind に出かけてきた。
Grouse Grind はハイキングというよりかは誰かが言っていたが「自分との闘い」のようなものなのだが、途中で景色を楽しむゆとりこそないものの、ひどく苦しむことのないようにゆっくりめに登った。
 
今年初めての Grouse Grind で気がついたのは、昨年と微妙に入り口と出口が数メートルずつずれていることで、だからコースも変わったのだろうと思う。
タイムは 1時間 15 分 22 秒で、この備忘録を振り返ったわけではないが、おそらく去年とほぼ同じぐらいのタイムだったと思う。
 
Grouse Grind のゴールでは霧が深く、とても寒かった。
山の頂上付近にはまだ雪が残っているし、とても7月の終わりには思えない。
それでも Lumberjack Show (ビデオ)を見ている間に少しずつ霧が晴れてきて、Grouse Mountain の頂上でサンドイッチを食べている間に、完全に下界が見渡せるようになった(写真)。
 
M 君の都合が悪くなったので Goat Mountain 行きはあきらめて一人でグラウスまで来たのだが、彼の都合が良かったとしても雪のために Goat Mountain までは行けなかっただろうと思う。
 

論文投稿完了

7/30 (土) くもりのち晴れ
 
指導医からメールが来て、論文の投稿が完了したとのこと。
ぎりぎりの時点で気づいたことを生かしてもらうことができてよかった。
自分の帰国の時期に合わせて、ここ数週間の週末を論文に費やしてくれた指導医2人に感謝したい。
 
今回投稿した論文に関して返事が来るのはおそらく9月以降なので、バンクーバーでのプロジェクトはひとまず全て終了したことになる。
もう一つの論文に関しては、データを追加するために指導医が倫理委員会に新たに書類を提出しようとしているところなので、こちらもやはりデータ収集や分析はずっと先の話ということになるわけだ。
 
あとはこちらにいる間に、なんとか自分のホームページを公開できるようにしたい。
工事中の箇所が多いのだが、全てを完了させてから公開・・・などと考えると、お蔵入りになるリスクが高いように思う。
 

2011年7月30日土曜日

指導医と記念撮影

7/30 (金) くもりのち晴れ
 
論文はほとんど投稿できる状態まで仕上がったのだが、昨日、2点ほどマズい点に気がついた。
一つは他の研究者の研究の内容の解釈を誤っていたこと、もう一つは結論の持っていき方が不十分だった点である。
 
これらはいずれも自分が最初に原稿を書いた時点ではクリアできていた問題だったのだが、指導医による添削が次から次へと入る過程で少しずつ論点が最初のものからずれてしまい、結果として矛盾が生じてしまったというわけだ。
論文の作成は指導医2人と自分との3人での共同作業なので、よほど注意していないと部分的には飛躍的に改善されたとしても全体の構築が危うくなる可能性がある。
 
指導医に CD に焼いたデータを届けるついでに、3人でオペ室で記念写真を撮ってもらった。
「髪が薄いからフラッシュいらないんじゃない?」って誰かが言っていたが、そういうハゲ予備軍の人を揶揄するジョークのセンスって日本と全く同じなんだと感じた。
 
それから、電池が切れてからはすっかりほったらかしにしていたポケベル(みたいなやつ)を麻酔科の秘書さんの代理の人に返却した。
あとは今日部屋で偶然見つけたロッカーの暗証番号を書いた紙を返却すれば(本当は捨ててもいいのだろうけど)、事務関係は終了となる。
 

2011年7月29日金曜日

Yaletown の日本風居酒屋

7/29 (木) 晴れのちくもり
 
ウチのホームステイの初代店子の K さんと一緒に晩メシを食いに行こうということで、Yaletown の Juno へ。
ここは日本風居酒屋で、日本酒はもちろんのこと、揚げ出し豆腐とか枝豆といったおつまみもあった。
 
もうとにかく今は、ラザニアとかパスタといった気分ではなく、とにかく日本食が食べたかったのでちょうど良かった。
日本に帰りさえすればいつでも食べられるのはもちろんわかっているのだが、食生活を始めとしていろいろな生活様式をもうムリにこっちに合わせようとしなくていいのだと思えば思うほど、日本のものを無性に食べたくてしかたがなくなる。
 
最後に食べたご飯ものはユッケだというから肉かと思ったら、実はサーモンだった。
その他、野菜天ぷらとか刺身とかいろいろあって、結局、K さんにごちそうになってしまった。
 

2011年7月28日木曜日

古いワードの落とし穴

7/27 (水) くもりのち晴れ
 
論文の中で表を作成するにあたって、自分は昔ながらのタブで横に列をずらしながら項目や数値を記入するやり方をとっている。
これだと単にワープロのシートの上に等間隔に数値を並べただけなので、とてもシンプルだ。
 
論文投稿の際に Editorial Manager 上でワードなどのファイルから PDF が作成される過程にあっても、列がずれたり変なところで改行してしまったりということもない。
単純な分だけ誤りが少ないというわけだ。
 
そして今日、論文がまもなく完成という時点になって、指導医が彼の新しいパソコン(しかも Mac)の新しいワードでそのシンプルな表を作り直したもんだから、もう大変。
自分のパソコンの Word 2003 で見ると一部めちゃくちゃになっていて、何が起こったのかさっぱりわからなかった。
 
フェローの部屋の共用のパソコンには Word 2007 がインストールされているのだが、それだときちんと(指導医が意図した通りに)見えており、古いバージョンのワードのせいだと判明。
自分としてはワードもエクセルもパワーポイントも全て 2003 を愛用しておりとても使い勝手がいいのだが、まわりがどんどん新しいのを使うようになってくると、だんだん肩身が狭くなってくる。
 

2011年7月27日水曜日

本の返却

7/26 (火) くもり
 
ボランティアの最後の日に借りた本を返しに、仕事の前に日本語学校に寄ってきた。
校長先生がいらっしゃって、ごあいさつすることができて良かった。
本を返却したことで、また一歩ウィーニングが進んだ。
 
この2年間でマンガもけっこう読んだが、ふつうの(?)本も読むことができてよかった。
特に新田次郎の本は、山岳シリーズだけでなく戦国大名シリーズもとてもおもしろかった。
 
日本語学校に通うことで、走ることと本を読むことが身についたように感じる。
帰国後は疫学を勉強したいと思うのでそちらに時間がとられるかもしれないが、読書も細々と続けていきたいと思っている。
 

2011年7月26日火曜日

銀行口座解約

7/25 (月) 晴れ
 
カナダを去る前に忘れずにやらないとといけないと思っていたのが、銀行口座を解約することだ。
しくみは本当によくわかっているわけではないのだが、今の口座は利子がつかないだけでなく、月に8ドルぐらい口座使用料を払っている。
 
正確には 2000 ドルを超える残高があれば、手数料はかからない。
また、給料の口座振り込みなどがあれば、またさらに別のオプションもあるようだ。
 
口座を開設するときはあらかじめ時間を約束して出かけて行ったり、 ID をいくつも持って行ったりしなければならなかったのだが、解約はいたって簡単だった。
銀行のカードを持って行って、暗証番号を打ち込むだけ。
パスポートや Work permit まで持って行ったのに、結果的には全く必要がなかった。
 
最後に書類にサインして、Account Close Authorization という紙片を受け取って終了。
Canada Trust の行員は最後までいつも親切で、まるで日本の銀行にいるような気分さえした。
 
家に戻ってから、最近来た中東の店子と話したのだが、彼はラマダン(断食の月)のためにまもなく一時帰国するのだそうだ。
あらゆるムスリムが帰国するのかと思ったら決してそういうわけでなく、カナダに残るムスリムもいるのだと言う。
 
つまりラマダンでは日の出から日没まで何も食べないわけだが、バンクーバーでは8月は一日の16時間が昼間だというわけで、かなり過酷な1ヶ月になることと関係があるらしい。
中東に戻りさえすれば、いつもの年と同じペースでラマダンの1ヶ月間を過ごせるというわけだ。
 

2011年7月25日月曜日

ウィーニング開始

7/24 (日) 晴れ
 
いろいろな人たちから、「もう荷造り(packing) 始めた?」と訊かれるのだが、まだ全くやっていなかった。
以前も書いたがたいした荷物があるわけでもないし、いざとなったら日本の医師免許と麻酔科学会の指導医・専門医の認定書とパスポートだけ持って、あとは全部捨てる覚悟(?)はできているからだ。
 
あ、でもよく考えてみたら、パソコンとデータは持って帰らないと、今までの苦労が水の泡になってしまうかも・・・。
あと、せっかくだから、ラケットとハイキングシューズは持って帰りたい。
大家さんにもらったおみやげも持って帰らないとまずいだろう。
あ、それから家族や職場へのおみやげも買わないといけないし、ほかにも意外と荷物はたくさんあるかもしれない。
 
一応、スーツケース2個に荷物をおさめるつもりではいるのだが、手応えを知っておくために少しだけ荷造りをしてみた。
そしたら予想通りたいして荷物はなく、やはり大丈夫のようだという自信を得ることができた。
インターネットや PDF があるおかげで論文を大量に印刷したり、紙媒体の本を買わなくて済むようになったことが大きいと思う。
 
カナダ東部ほどではないにせよ今日は日中は暑く、テニスという気分ではなかった。
夕方、太陽が少し傾いてきて、コートに日陰ができる時間を見計らってから、コートに出かけて行った。
最初の1時間はサーブの調子がいいのだが、後半は手首の力と握力が続かなくなってしまい、調子を維持することができない。
 

Lynn Peak --- 三度目の正直

7/23 (土) 快晴
 
昨年は何回か M 君とハイキングに行ったが、天候のせいで残念ながら一度もいい景色を眺めることができなかった。
特に Lynn Peak に関しては一回めは大雨で途中から引き返さざるをえなくなり、二回めは道にさんざん迷ったあげくにピークに到着したものの、あたり一面が霧で何も見えなかった。
 
今年は日曜はずっとテニスをやっていたということもあり、この日が今年初めてのハイキングだった。
去年のツキのなさがウソのように晴れわたり、絶好のハイキング日和だった。
 
Lynn Peak の心肺系へのキツさは Grouse Grind とほぼ同様だというのがもっぱらの評判だが、Grouse Grind よりも道が悪く岩だらけでしかもその岩がゆるいので、足をとられないように歩くのが大変だ。
眺めの良い場所に出さえすれば苦労が報われたと感じるのは、Grouse Grind と同様だろう。
土地勘がイマイチないのであまり自信がないのだが、頂上近く(正確には頂上ではない)からは Burrard Inlet と Ironworkers Memorial Bridge、その向こうには Burnaby の街並みが見えていたのだろうと思う。
 
夕方からは大家さんが送別会を催してくれた。
友達を連れてきてもいいということだったので、M 君をそのまま連れて家に戻り、たくさんのお客さんたちと飲んだり食べたりした。
 
デザートはチーズケーキを所望していたのだが、大家さんのチーズケーキはとてもおいしく、お客さんたちの評判も高かった。
M 君も Language Exchange を通してヒサンなホームステイの現状をたくさん知っており、彼の目からみても自分がこの大家さんとめぐり会えたことは幸運だということになるらしい。
 

2011年7月22日金曜日

ランをプレゼント

7/21 (木) 雨のちくもり 夕方から晴れ
 
下宿住まいも残りわずかとなった。
今度の週末は、大家さんが送別会をしてくれると言う。
おみやげまですでにいただいてしまった。
ヨメさんや子供たちにまでおみやげをくれると言うので、恐縮してしまっている。
 
それで1年間のお礼もこめて、あとお返しの意味もこめてランの花をプレゼントすることにした。
大家さんはランの花が大好きで、それを知っている友人たちがプレゼントするものだから、キッチンの窓辺にすでにたくさん置いてある。
自分が贈った花も、コレクションに加えてもらえそうだ。
 
ランの花は満員電車に耐えられそうもないので、今日はいつもよりも早めに職場を出て、Cambie Street 沿いの花屋に行った。
よく前を通るのでそこに花屋があることは知っていたが、行ったのは初めてだった。
 
バスで帰ると言ったら、人がぶつかってきても大丈夫なようにと、厳重にラッピングしてくれた。
とても親切でいい花屋だと思う。
 

2011年7月19日火曜日

粘り気が出てきた

7/18 (月) くもりのち晴れ
 
右の写真は、昨日前を通り過ぎたウェストミンスターの市役所。
 
論文はだいぶでき上がりつつあるが、細かいところの詰めにもう少し時間がかかりそうな状況だ。
そんな中、今日も指導医の一人と話をしたのだが、なんだかちょっと論文作成の流れが変わってきたような気がした。
 
論文を書く時はいつもそうなのだが、自分はいつも背景から結論に至るまで、「この論文はここがウリですよ~」というのをしつこく強調している。
脳の虚血実験をやって博士論文を書いた時に、ある基礎系の先生に論文を書くコツとしてそのように教わったからだ。
 
一方、こちらの指導医2人はそういう論調は好きではないみたいで、自分の目からはかなり淡白な感じに映る。
だが今日の話し合いでは少し粘り気が出てきたようで、もう一人の指導医もその流れに同意していた。
 
指導医たちも心が揺れ動いているのだろうか。
完成までもう少し、あっちに行ったりこっちに行ったりしそうな気がする。
 

2011年7月18日月曜日

New Westminster

7/17 (日) くもり一時霧雨
 
結局、ロッキー・マウンテンはおろか、ウィスラーもシアトルも行くことなく帰国することになったが、せめていわゆる近場の観光地ぐらいは制覇しておこうと思い、ニューウェストミンスターに出かけてきた。
動物園や遊園地には興味がないし、スティーブストンは先日 M 君が連れて行ってくれたので、残るはニューウェストミンスターぐらいかと思っていた。
 
最初からスカイトレインでダウンタウンまで行けば良かったのだが、地図で見ると何となく海岸沿いを歩いてみたくなり、22nd Street で降りててくてく歩いた。
ところがあたりは工業地帯のようで海には近づけず、しかも地図上では何となく幻想的に思えたポプラー島は本当に何にもないただの島で、ちょっとがっかり・・・。
 
次のニューウェストミンスター駅まで行くと海のそばに出られ、ようやく眺めが良くなった。
晴れていれば良かったが、ずっとどんより曇っていた。
マーケットもあったが混み合っているわけでもなく、散歩するにはいいところかもしれない。
 
ロイヤルシティセンターで買い物でもしようと思い、ひたすら坂を上っていった。
口コミ情報によく書いてあるとおり、確かに坂が多い。
汗がだくだくになった。
しかし日曜日のためか、ロイヤルシティセンターの中はほとんど閉まっており、そのまま退散。
静かで住むには悪くなさそうな環境だが、日本人が書き込む掲示板にはあまりいいことは書いていない。
 
夕方はまた K さんとテニスを楽しんだ・・・っていうより、最近はテニスの技の研究と言うほうがふさわしいような気がする。
お互いの長所と短所を指摘して、長所を伸ばして短所を克服するにはどうしたらいいか、課題を見つけながら取り組んでいる。
 

2011年7月16日土曜日

投稿先の選定

7/15 (金) くもり一時雨
 
論文は自分と指導教官の間を行ったり来たりしながら、概ね投稿しても良さそうな状態まで仕上がりつつある。
いよいよ投稿先を決定し、論文のフォーマットをそれに合わせる段階となった。
 
二人の指導医が口をそろえて薦める投稿先はまあまあの線のジャーナルで、アクセプトされればきっと、まあ落ち着くべきところに落ち着いたという気分になれそうなところだ。
彼らは「時間のムダ」とは口には出さないものの、レベルが高くてアクセプトが困難なジャーナルに投稿したいとは思っていないらしい。
 
自分としてははるばる北米まで来たのだから、当初はもっと勝負に出たいとも思っていたのだが、リジェクトされたあとに復職後の忙しい環境の中で別のジャーナルに投稿しなおすことを考えると、彼らの判断に従うのがいいのかもしれない。
ドラマチックな展開は望めそうもないが、理性的な判断を下してくれた指導医たちに感謝をしたい。
 

2011年7月15日金曜日

教育評価システム

7/14 (木) 雨のちくもり
 
日本の職場からこちらの教育システムについてなにかしら学んでくるようにとの指令を受け、最近いろいろな人に会って話をしている。
そこから受ける総合的な印象は、「教育に人と時間とカネをかけている」ということである。
「こういうのがあったらいいな・・・」と思うものが全てある、という感じがする。
 
こちらの病院の麻酔科にはいわゆる一人前の麻酔科医 (Attending) が 56 人おり、レジデントが1学年につき 12 人ずつ 5 学年あるので 60 人いることになる。
こういう大きな所帯なので、教育に携わる麻酔科医も1人や2人ではなく、多くの人たちがさまざまな形で参加しているというということになるわけである。
 
教育評価はオンラインで行なうのだが、麻酔科医がレジデントの指導を1回行なうごとに入力しなければならないのだそうだ。
ラジオボタンをクリックするだけでなく、コメントも書き込むようになっているのでかなり重労働ではあると思う。
 
指導者がレジデントに対して行なった評価をもとに各病院に1人ずついる サイト・マネージャーが総合的に判断して評価を行ない、それを全体で1人しかいないプログラム・マネージャーに提出することになる。
 
一方、レジデントの方にも指導者を評価する仕組みがある。
彼らはプログラム・マネージャーに年に2回面接する機会があり、そういう時に指導者への不満があれば吐き出すこともあるらしい。
指導する側とされる側がお互いに不満を持つという図式は国が違ってもやはり当てはまるようで、永遠の課題だと言えるだろう。
 
また、カナダのレジデント制度と日本の研修制度の大きな違いの一つに、5年間にわたる麻酔科の修練を始める決意をするのがカナダの場合は学生4年め(最終学年)の始まりということが挙げられる。
日本のように最初の2年間を広く浅くというわけにはいかないわけで、しかも研修を行なう専門分野をまだ学生生活が1年残っている時期に決断しないといけないという点が、カナダの医師の卵たちにとってはつらいところだ。
 

2011年7月14日木曜日

ホームステイに見る現代若者気質

7/13 (水) くもり一時雨
 
今週から、新しい店子が南米からやって来た。
彼はエンジニアリング関係の博士を持っていると言う。
 
学歴で差別するわけではないだろうが、ほとんどの店子がわがままで子供っぽいので、大家さんは彼にかなり期待していたようだった。
しかし数日経った今、彼も決して例外でないということがわかり、今日はちょっと落胆していたようだった。
 
自分も含め誰しもがかつては若かったわけで、一方的に若者を責めるつもりはないが、せっかくだからここで店子たちの特徴についてまとめておきたいと思う。
若者たちの行動を客観視して評価を下すことも、オジさんに課せられた責務だとも思うので。
 
まず、彼らは決して約束を守らない。
ウチでの約束はきわめてシンプルで、晩メシを食べない時は午後5時までに大家さんに連絡を取ること、午後 11 時以降は騒がないことぐらいである。
自分が越してきた昨年8月以来、1人として晩メシの連絡をして来た人はいなかった。
 
また、彼らは例外なく Skype を使っているのだが、夜中だろうと明け方だろうと時間帯を気にすることなく大声でしゃべっている。
ガールフレンドを夜中に起こしてまで、こっちの都合のいい時間帯にしゃべっていたのは南米某国の軍人ぐらいだった。
マイクの性能にもよるのだろうが、Skype って大声じゃないとダメなものなんだろうか?
 
そして彼らは決して1ヶ所に長居することがないみたいだ。
ついこの前来たばかりの中東の彼も、明日出て行くことになった。
大家さんはこの数十年間で数百人の外国人の面倒を見てきたそうだが、1年以上居ついたのは自分も含め4人で、しかも全員が日本人だと言う。
 
店子全体に占める日本人の割合は決して高くなくせいぜい 10% 程度だと思うので、多変量解析を行なえば日本人であることと長期間の滞在との間に、相当強い有意な関係が見出されることだろうと思う。
 

2011年7月13日水曜日

Bento Box

7/12 (火) 晴れ
 
前日夜の残り物をふだんは昼食として食べているのだが、今日は病院内の友人である H さんに誘われ、Broadway 沿いにある日本食の食堂みたいなところに出かけていった。
その H さんの部署にニュージーランドから医学生が来ており、彼が日本語をちょっとしゃべれるというので、Language Exchange みたいなのをしようということらしかった。
H さんも日本に住んだことがあるので、きれいな日本語を話すことができる。
 
多くの日本食の食堂ではそうなのだが、われわれ4人が行ったところでも昼は Bento Box と称して、まさに弁当のようなものを販売していた。
種類はいろいろなのだが、われわれが食べたのはライス、チキンのテリヤキ、カリフォルニア・ロールが6つぐらい、野菜のテンプラ2~3個とエビのテンプラ、味噌汁、オレンジが一切れといったところだったと思う。
 
これでチップ込み8カナダドルはリーズナブルだと思う。
それなりにおいしかったし。
みんな箸はそれぞれまあまあ使えるのだが、ごはんが箸の間からぽろぽろこぼれてしまってかわいそうなぐらいだった。
 
その医学生と H さんの日本語の会話はあやしいところもあって、自分は時々何を言っているのかわからないことがあったのだが、奇妙なことにそんな時でも医学生と H さんはそれぞれ相手を理解していたのが笑えた。
ネイティブに通じない日本人の英語が、日本人同士では通じることがあるのに近いものがあるような気がする。
 
その医学生はいいやつなのだが、若いだけに男女の間のちょっとやらしい話題が好きみたいで、日本社会だったら絶対に白い眼で見られるようなことを、日本語で大きな声でしゃべるのでハラハラドキドキしてしまった。
母国語でないとどのくらい不適切なことを言っているのか、ニュアンスがよくわからないのかもしれない。
 

2011年7月12日火曜日

さらに安くなった

7/11 (月) 晴れ
 
データ収集はその後も少しずつだが続いており、あと4人分を残すのみとなった。
いつもそうなのだが、診療録を請求すると最初はたくさん出てくるのに、あとになるとペースが落ちてくる。
さらに催促をし、残りを待つこととする。
 
昨日予約をした某航空会社から電話があった。
ケータイが鳴るといつも緊張しながら “Hello” と言って電話に出ることになるのだが、それにかまわず向こうは「もしもし、こちらは○○航空の××と申します。昨日のチケットの件で・・・」とどんどん日本語で話してくれるので、なんかほっとしてしまう。
 
その電話によると、燃油サーチャージ代はなぜかさらに4割ぐらい安くなったため、昨日比較した航空会社間で約 10 倍の較差がついたことになった。
インターネットで調べるとどこもそんなに差がないように感じるのだが、どういうカラクリになっているのか謎のままである。
 

2011年7月11日月曜日

ASA の旅程

7/10 (日) 晴れ
 
ASA に送った演題がアクセプトされたので、今年はシカゴに出かけることになった。
いつもは演題アクセプトのあとでぐずぐずしてしまい、飛行機やホテルの予約が遅れ気味になるので、今日はがんばって全て済ませることにした。
 
意外だったのは燃油サーチャージの料金が、JAL とアメリカン航空では6倍ぐらい違うという点だ。
電話で話した係の人の話だと、会社による違いというよりは会社がある国による違いだということだった。
6倍も違うと必然的に安い方を選ぶことになるわけだが、その燃油サーチャージが安い会社の方が空席が多いというのが不思議だった。
 
ホテルに関してはインターネットの検索機能をフルに活用して、発表会場のすぐそばに予約を取ることができた。
ASA で紹介しているホテルは1泊とか2泊ならいいのだが、海外から来て5泊とかするような場合には、予約がいつも取りづらい。
 
昼間はウチのそばの穴場のコートで、K さんとシングルスのゲームを楽しんだ。
昨日、今日とそれぞれ2時間ぐらい外にいたせいか、すっかり日焼けしてしまった。
 
ここのところ、サーブのスピードと精度が上がってきたように感じる。
最近やり過ぎなのかもしれないが、右の手首が痛い。
 

2011年7月10日日曜日

30 分ルール

7/9 (土) 晴れ
 
テニスのコーチに紹介された A さんと、今日は初めて一緒にテニスをした。
Stanley Park Open Tournament が今日から始まったところなので、スタンレー・パークのいつものコートは使えない。
それで歩いて5分ほどのところにあるコートで、ラリーを楽しむことにした。
 
おそらくバンクーバーだけでなくカナダはどこでもそうだと思うのだが、一部を除いてほとんどのコートは無料である。
予約というシステム自体が一部の有料コートを除くとなく、出かけていってコートが空いていたらおもむろに始めるというわけである。
 
ではすでに先客がいて、どこもコートが空いていなかったらどうするのか、ということになるのだが、そのために 30 分ルールというのがある。
コートの金網に看板がかけてあって、そこにルールがずらずらと書いてあるのだが、そこに一部のメンバーを除くと使用は上限 30 分に限ると明記してある。
 
では実際にはどうするのかということが問題で、自分はこのことについて長いこと疑問を持っていた。
こっちの人たちは日本人のような遠慮はあまりないので、試合やラリーを楽しんでいる人たちのところに割って入って、「じゃあ今から 30 分したらオレ達が使うから、そういうことであとはヨロシク」とでも言うんだろうか・・・と思っていた。
 
ところがやはりこっちの人たちもさすがにそこまでは言わないようで、何となくコートの前に座って「私たちはここで待ってますからネ」とプレッシャーをそーっとかけるのが関の山みたいだ。
すると30分を少し過ぎたぐらいで、さわやかに替わってくれるといったような展開になるというわけだ。
 
それでも中にはプレッシャーをうまくかけきれずに、遠くからそっと待っていたりするものだから、悪気のない人たちに割り込まれてしまうケースもあるようだ。
存在感をアピールすることも肝心らしい。
 
今日、一緒にラリーを楽しんだ A さんは自分と真剣勝負がしたかったというわけではなく、適当なラリーの相手を探していたようだった。
明日はトーナメントに出場するとも言っていた。
テニスの技術は自分とあまり変わらないように思うのだが、自分より若くて体力があるしとにかくよく走るので、真剣勝負したら勝てそうもなさそうな気がした。
 
今日はとてもいい天気で、太陽がギラギラしていた。
気温はせいぜい 22 ℃ぐらいだったと思うがテニスをしていると暑くてしかたがないので、30分ルールにしたがって他の人に順番を譲りつつ休憩を入れた。
ダブルスのゲームをするには物足りないが、2人でラリーを楽しむ分には 30 分ごとの休憩で自分にはちょうどいい。
 

2011年7月9日土曜日

Britannia Heritage Shipyard

7/8 (金) 朝は雨、晴れたりくもったり
 
ガールフレンドができて、ここのところすっかりつきあいが悪くなった M 君だが、久々にリッチモンドで会おうという誘いがあり、仕事のあとで出かけてきた。
 
自分にとってリッチモンドというと、思い出されるのはアバディーン周辺のヤオハンなどのにぎやかな商業地域なのだが、M 君が車で連れて行ってくれたのは歴史的な建物がたくさん並んでいる海沿いの場所だった。
Murakami House とか Japanese Duplex という名前にあるように第二次世界大戦以前はここに日本人が多く住んでいて、どうやら海運業や漁業に携わっていたようだ。
 
このあたりはレストランをはじめとして店はたくさん栄えてはいるのだが、駅前とは違ったとても静かな場所で高級住宅地と隣接したところにある。
天気が良かったので、レストランでは外のテーブルで食事をしたのだが、太陽が傾いてくると冷えてきてしかたがなかった。
 
海のそばで散歩するにはとてもいい場所なのだが、今日は気温が 10 ℃台しかなく、半袖で出かけたものだから寒くて震えっぱなしだった。
暑いぐらいの日に来るのがちょうどいいのだと思う。
 

2011年7月8日金曜日

テニスの誘い

7/7 (木) くもりのち雨 夕方一時晴れ
 
帰国の日が迫ってきている一方で、テニスの交流関係が広がっている。
前にダブルスの人数合わせ(?)のためにオバさまたちに呼ばれたことは書いたが、最近はシングルスの武者修行(?)の相手として指名されるようになった。
 
なぜかよくわからないのだが、つい先日、コーチからシングルスの練習相手を探しているというオジさんの電話番号を渡された。
テキストメッセージを送ってみると(電話だといまだに英会話に苦労するので)、さっそくその日のうちにやろうというお誘いを受けた。
もっともその日はやらないといけないといけない仕事があったので、残念ながら別の日にしてもらうことにせざるをえなかったのだが。
 
全てのお誘いを受けていると仕事に支障が出るので、実際にやるのは半分以下だろうか。
しかしおかげで最近、テニスコート事情に少し詳しくなってきた。
 
特に昨日は、自分の住んでいるところの近所に、みすぼらしいがたいてい空いている穴場的コートを発見した。(穴場だからここには書かない)
美しさとか快適さではスタンレー・パークやクイーン・エリザベス・パークとは比較にならないが、勝負とか鍛錬が目的ならそんなに悪くないんじゃないかとひそかに思っている。
 
武者修行の相手としてどうして自分が指名されたのかわからないが、真剣勝負が望みだと言うのなら徹底的に倒してやらなければならないと考えている。
 

2011年7月6日水曜日

ネコの嗅覚

7/5 (火) 快晴
 
ウチの大家さんは学生には昼の弁当用にサンドウィッチを作ってくれるのだが、自分には作ってくれない。
一応の理由としては、「これからトシをとるのにサンドイッチぐらい自分で作れないと困る」というもので、トレーニングの一環として自分で作れということらしい。
もっとも、学生はいつもサンドイッチである一方、自分はほとんど米飯の弁当で、サンドイッチはせいぜい週に1回程度なのだが。
 
まあそれはそれでいいのだが、これに関連して最近おもしろいことに気づいた。
サンドイッチを作るためにツナやハムの缶を開けることが多いのだが、缶切りで開け始めたとたんにブーツ(飼い猫)が飛んできて、足元でじゃれはじめるということが今日も含めて3回続けてあったのだ。
 
本当に缶切りで缶の周囲の 1/4 も開けないうちに、別の部屋にいるブーツがすっ飛んでくるのだ。
聴覚なの嗅覚なのか知らないが、ネコの感覚がものすごく優れていることを知った。
ツナの場合は切れ端をやると「もっとくれ」とせがんでくるのだが、今日はハムを一切れやったらもうそれで満足したらしかった。
 
缶を開ける音だけ聞かせたらどうなるのか、ちょっと実験してみたいような気がする。
 

2011年7月5日火曜日

元の日常に戻った

7/4 (月) 快晴
 
先週の木曜日に診療録保管庫のリサーチ専従代行係の人と話し合い、ようやくカルテをきちんと出してもらえることになった。
先方としては先方に 100% の落ち度があったわけではないということを主張したかったようなのだが、そうは言ってもカルテは結局は出されていなかったわけなので、「カルテは正当に扱われた(かもしれない)が、何らかの理由でそれがいつもの場所に見つからなかった」ということで結局は決着がついた(形になった)。
 
そのことを主張するために先方はこちらから電話をかけることをメールで要求してきていたのだが、電話での英会話だとうまく丸め込まれる可能性があったため、先週木曜日にわざわざこちらから出向くことにしたのだ。
案の定、会話はかなり複雑なものとなり、実際に出かけて行って正解だった。
電話でなくて対面での議論ならば簡単に負けることはないということは、この2年間で学んだ大事なことの一つだ。
 
それで先週の金曜日と今日の2回に分けてカルテを出してもらうことになり、今朝は早朝からカルテのチェックに出かけた。
ここのところほかにやることもないのでホームページ作りに熱中していたが、久しぶりに日常の研究生活に戻ったような気がする。
 
また、指導医による論文のチェックが終了したので、午後はそのチェックされた内容をチェックすることに取り組んだ。
当たり前だが確かに英語は洗練されているのだが、肝心の論点が若干ずれてきているような気がしないでもない。
一度、さらに直接話し合う必要があると思う。
 
それから、Harrison hot spring に行って以来、疎遠になっていた H さんと久々に偶然病院で会った。
またたまには一緒にメシを食おうということになったのだが、何となくこれも居心地のいい日常に戻ったような感覚だった。
 
大家さんが今日の夕食はステーキだと以前から宣言していたので、帰りにワインを買って帰った。
BC 州のワインはどんなに安いものでもはずれがないのが特徴で、今までに一度も買って後悔したことがない。
 

2011年7月4日月曜日

最後じゃなかったテニス

7/3 (日) 晴れ
 
まもなく Stanley Park Open Tournament というテニスの試合が3回の週末にわたってスタンレー・パークで行なわれ、その間はテニスのドリルは休みになる。
なので、テニスで知り会った人たちとも今日でお別れかと思ったのだが、案外そんなことはなく、まだ何回かチャンスがあるということがわかった。
 
特に冬のインドア・テニスの頃から一緒にやっていた K さんは、自分が8月に帰国すると言ったのを覚えていてくれたようで、他のメンバーも含めて近いうちにテニスをやる機会を作ってくれるとのことだった。
 
今日もドリルは3時に終わったのだが、ドリルを一緒にやっていた1人が隣の無料のコートをうまいこと確保し、そこで誘われてさらに1時間プレーを続けた。
夏至を過ぎたばかりということもあり、夕方近くになっても真昼のような明るさだ。
ただ、おそらく気温は 20 ℃ちょっとといったところで、決して蒸し暑いということはなくとても過ごしやすい。
 

2011年7月3日日曜日

ホームページ --- 思ったより大変

7/2 (土) 晴れのちくもり 夜は雨
 
カナダ・デーも含めて3連休の週末だが、今日も病院へ行ってしまった。
 
病院へ行く時のバスで運転手がマイクを使って、「こんなにバスが混んでいるのは会社がこの路線に運転手を十分に投入していないからなので、みんなで会社に電話してルート41にもっと運転手を増やすように言って下さい。電話番号は 604-○×△-○×△□ なので覚えやすいと思います。このルートのバスに乗っているお客さんは優しくて文句を言わないので、いつまで経ってもサービスが良くなりません。このバスにはお客さんが 100 人は乗っているはずなので、ひとりひとりが行動すればきっと改善されるはずです。」と繰り返しアナウンスしていた。
実際、バスはすごく混んでいた。
 
こちらのお国柄だと思うのだが、バスの運転手だけでなくいろいろな職種の従業員には、「ひとりひとりの従業員が会社の顔だ」という意識はないらしい。
日本だと、「たいへんご迷惑をおかけして申し訳ありません」と言いそうな場面だが、「私は悪くない」、「悪いのは会社だ」と理屈になるようだ。
最近まで郵便局が長いことストをしていたが、彼我の労働者の考え方の違いがそういうところにも現われていると思う。
 
ホームページの作成は思っていたよりも大変で、慣れないせいか遅々として進まない。
トップページだけでなくサブのページを1ページ作るのに、ブログの3回分ぐらい時間がかかる。
でも、いつまでも公開しないと結局はお蔵入りになりそうなので、たとえ中途半端でも適当な時期にはアップしたいと思っている。
 

2011年7月2日土曜日

ホームページ作り

7/1 (金) くもりのち晴れ
 
今日はカナダ・デーといって、カナダの建国 144年を記念する国民の祝日だ。
去年はフランス人のルームメイトとその友人たちとパレードや花火を見に行ったが、今年はダウンタウンまでわざわざ出かけるのも億劫だったので、とりあえずいつものように病院へ。
 
休日なのに、なぜかオフィスの入り口にはロックがかかっていなかった。
ほかに誰もいない休日のオフィスにロックがかかっていないことほど無用心なことはないわけで、コーヒーを買いに行く時とかわざわざ自分の居室にカギをかけて出かけることになった。
 
論文については指導医と1回やりとりをしたのだが、その後もまだ指導医は論文のチェックにかかりきりになっている。
それで多少ヒマができたので、現在はホームページ・ビルダーを使ってホームページの作成にかかっているというわけだ。
 
手軽なことからメモ帳ワードを使ったホームページ作りも考えたのだが、やはり見栄えと美しさの点からは市販のソフトウェアにはかなわないようだ。
ホームページ・ビルダーの解説本を日本に置いてきてしまったようでちょっとメゲたのだが、よく考えてみればソフトにもともと解説がついているわけで、それを見ながらああでもない、こうでもないと、いろいろと試行錯誤を繰り返しているところ。
 

2011年7月1日金曜日

チキントルティーヤ

6/29 (水) くもり一時晴れ
 
ホームステイでよくあるトラブルに、①メシがまずい、②メシが少ない、③寒い の3つがあることは以前に書いた。
ウチの場合は冬の間はちょっと寒かったが(でもまあ、トロントにくらべればマシだろうが・・・)、メシはうまいと思っている。
大家さんが「あれも食え、これも食え」と次から次へと食べ物を出してくるので、太らないように注意が必要なくらいだ。
 
この前の土曜日、日本語学校でとある人からヒサンだったホームステイの話を聞いた。
ヒサンだったのはやはりメシで、想像しただけでぞっとするような内容だった。
その話を聞いてから、いつかは備忘録に今の食生活を残しておきたいと思っていたのだが、今日がちょうどいいチャンスなので写真を撮ってみた。
 
大きな皿に載っているのはチキントルティーヤで、中身を明らかにするために解剖の教科書みたいに皮(皮膚)を折り曲げてみた。
今日は病院でホームページ作りに熱中してしまったために遅くなったので、すでにでき上がったものがオーブンの中に入っていた。
もっと早く帰ってきたら、みんなでワイワイ言いながら自分で包んで食べてたと思う。
 
この皿には2つしか載っていないが、今日は最高5つまで食べても良さそうな雰囲気だった。
2つで腹いっぱいになったのでそれ以上は食べなかったけど・・・。
ウチに関しては、メシが少なくて困るということはない。
手前左側の皿は、色が悪いのだが本当は透明なチキンスープだ。
本物の方がずっとうまそうに見える。
 
なぜかウチのメシはチキンが多い。
おそらく安いのと、中東から来た店子がいるのでブタを避けるという意味合いもあるのだと思う。
 
以前は炭酸は飲まないようにしていたのだが、最近はめんどくさくなって、コーラだろうがスプライトだろうが気にしなくなってきた。
好きで飲んでいるわけではないがとにかくお手軽なので、ついつい手が伸びるといった具合だ。
これは明らかに良くない習慣で、帰国後まで引きずることがないようにしたいと思っている。
 

2011年6月29日水曜日

カルテ保管庫でのトラブル

6/28 (火) くもり
 
データをさらに集めるためにカルテの取り寄せを申し込んだことは、以前に書いたと思う。
あれからパラパラと届いたのだが、全体の半分も来ないうちに音沙汰がなくなってしまった。
 
それでメールでリサーチ専従の係員に問い合わせたところ、これから8月下旬までの夏休みに入るので、引き継ぐ予定の職員に尋ねろとのこと。
するとその引き継がれる予定の職員からは翌日連絡が来たのだが、もうすでに全部払い出されたことになっているということだった。
いったい何がどうなっているのだろう??
 
先方の仕事がうまくいっていないことは明らかなので、例によって「(将棋の)もたれて指す」戦法に出ることにした。
まだ半分以上のカルテが出ていないこと、ここを去る日が近づいているので急いでいること、ミスをしたのはそっちなのであくまでもそちらの責任においてすみやかにカルテを出してほしいということを、じんわりと主張したつもりだ。
 
振り返ってみると、日本ではできなかったであろう研究をカナダでできたのは嬉しかったが、日本でなら同じことをカナダの半分程度の時間でできたのではないかとも思う。
システムの違いのためと言うよりも、むしろ国民の気質の違いが大きいように感じる。
 

2011年6月28日火曜日

電車とバスについて

6/27 (月) くもり一時小雨
 
今日は病院からの帰りに7月用の電車・バスのパスを買った。
8月は途中で帰国することになるので、これが最後のパスということになる。
ここでせっかくだから、バンクーバーの電車・バスについて知っていることを備忘録に残しておくことにする。
 
電車もバスも Trans Link が運営しており、写真のような1ゾーン用の1ヶ月ごとのパスを持っていれば1ゾーン分に限り乗り放題である。
普通に買うと 81 ドルなのだが学生だと割引があったり、ウチの病院でも正規の職員は福利厚生の一環として安く買えたりするらしい。
 
このパスは紙でできていて、日本の電車の定期券みたいに磁気情報として名前や区間や有効期限などが書き込まれているわけではない。
表面の銀色の数字のうち、一つを銀はがしの要領で削ってから使う。
自分の場合はバンクーバーなので、「1」を削る。
ノースバンクーバーやリッチモンドは「2」、コクイトラムは「3」など、使う地域によって削る数字が異なる。
 
裏には使い方が書いてあり、一番下に名前と電話番号を書く欄がある。
一度失くしたらこんなところに名前を書いたところで戻ってきやしないと思っていたのだが、一度だけバスの中で運転手が落し物の定期の持ち主の名前を読み上げていたことがあった。
名前を書いておくと役に立つこともあるらしい。
 
国際空港はリッチモンドにあるので、バンクーバーとは別のゾーンにあることになる。
だから休日や夜間でなければ、乗る前に 50 セントか 75 セントだったかを払わなければならない。
 
駅では時々物陰に隠れている係員にパスの提示を求められることがあるし、突然乗車してきた係員がホールドアップと言わんばかりの態度でパスを見せろと言うことがある、ということは以前にも書いた。
その一方でバスの運転手のチェックはけっこうズサンで、2両編成の急行バスでは運転手のいない後ろの車両から乗り込むのも OK みたいだ。
このあたりが自分にとっては今もナゾで、公平性を欠いていると疑問に思うところではある。
 

2011年6月27日月曜日

テニスでも英語は必要らしい

6/26 (日) 晴れときどきくもり
 
今日は昼間はほとんど晴れで、絶好のテニス日和だった。
ここのところずっと “Don’t push the ball (ボールを置きにいかないで強く打て)” と言われ続けていたのだが、今日はその点、まあまあ調子がよかった。
 
あまり人が集まらない時はシングルスもやるのだが、最近は満員なので最後にダブルスの試合を行なう。
今日のパートナーは、たまたま先週もパートナーだった J さんだった。
 
J さんはすごくまじめな人で、先週はわれわれは負けてしまったのだが、彼女は彼女のボレーがうまくいかないことが原因で負けたと思い込んだらしく、試合後もずっとコーチに食らいついて指導を受けていた。
それでちょっと嫌な予感が最初はしていたのだが、今日は先週とは別人のように J さんのボレーがビシビシ決まり、勝利をおさめることができた。
変に気を遣ってしまったが、いや~、勝ててよかった。
 
最近はだんだんこっちのテニスにも慣れてきたので、相手の立ち位置(前衛か後衛か)が違ったりスコアの計算が違うとすかさず突っ込むようにしているのだが、あいかわらず英語での意思疎通が難しいので、妙にプレーの中断が長くなったりしているように感じる。
テニスでは言葉はいらないと思っていたが、コミュニケーションをうまくいかせようとすると、やっぱりどうしても必要みたいだ。
 

2011年6月26日日曜日

ボランティア最終日

6/25 (土) 雨のちくもり、夕方から晴れ
 
日本語学校は今日が卒業式で、いよいよ夏休みに入る。
というわけで、今日が最後のボランティアとなった。
 
それで今日はいろいろな人たちとたくさんのサヨナラをしたわけだが、そういう人たちと自分の人生で再び会う可能性が決して高くはないという現実感が不思議とわいてこなかった。

まだ実際の帰国まで1ヶ月以上はあるし、論文作成や投稿などでまだまだ乗り越えなければならない山がたくさんあるからかもしれない。
本当に帰国モードになる前に、やらないといけないことはまだまだたくさんあるのだ。
また、太平洋をまたいでいるとはいえメールで簡単に連絡のつく時代だし、自分は今ひとつ熱心ではないのだがやろうと思えば SNS で簡単につながっていられるということもあるとは思う。
 
とはいっても片づけが中途半端で、おそらく日本語学校にはもう1回は行かないといけないだろう。
図書館のソファーとかテーブルの位置を変えることになっており、男手が必要だということになっているのだ。
 

2011年6月23日木曜日

医賠責の手続き --- 難航中

6/22 (水) 晴れ
 
帰国してからの診療にさしつかえがないようにと、医師責任賠償保険に再加入すべく、現在、手続きを進めようとしている。
昨年の4月から廃業特約に切り替えていたので、もとの医賠責に加入しなおそうというわけだ。
医賠責に加入していることを証明する書類を大学に提出しないと、附属病院で診療ができないというしばりもある。
 
実際の手続きは、日本でヨメさんがやってくれているのだが、なかなか一筋縄でいかずに困っている。
例えば、
・営業時間内にもかかわらず、事務所に電話してもつながらないことが多い。
・担当者あてに伝言を頼んでも、必ずしも伝わらない。
・現時点で廃業特約が継続しているにもかかわらず、5月の時点でもとの医賠責の保険料 40660 円が余分に引き落とされていた。
などである。
 
このように何度も何度も電話をかけ直す必要が生じているわけだが、その事務所は北関東地方の某県県庁所在地にあるため、電話代もバカにならない。 
時間と場所を越えて暮らしに安心を与えるのが保険の役割だと思っていたのだが、今日は太平洋をまたいで、思いっきり不安になってしまった。
 

2011年6月22日水曜日

エレベーターに閉じ込められた

6/21 (火) くもりのち晴れ
 
ひょっとしたらバンクーバーでの自分の仕事を引継いでくれるかもしれない H 先生が、今日、バンクーバーにやってきた。
それで午前中の仕事を大幅に遅刻して、空港まで迎えに行ってみた。
 
以前から彼と彼の家族とは一緒に晩メシでも食べようと誘っていたのだが、今日は逆に彼らからお誘いを受けることになってしまった。
今回泊まっているところがホテルというよりかはコンドミニアムっぽいので、一緒に部屋で食べようとのこと。
確かにそれはいいアイデアだと思い、ワイン片手に出かけて行った。
 
着いてみたら確かにそこはホテルらしからぬところで、管理人がいる豪華なオートロックのマンションといったイメージだった。
困ったことに部屋の番号を聞いていなかったし、ケータイもその時は通じなかったので、とりあえず着いてはみたものの、どうしようもない状態になってしまった。
 
ろくろく相手にされないことは承知の上で、管理人に「H 先生の部屋はどこですか?」と聞いてみた。
向こうもプライバシーに関わることだから、そうやすやすとは教えてくれないだろうとは思っていた。
管理人はパソコンの画面を操作しつつ H 先生の所在を調べながら(調べるふりをしながら)、ここではわからないと言っていた。
 
実際は彼らが客を管理しているわけだから彼らがわからないはずがないわけだが、それをこっちが指摘したところでどうにもならないので、将棋で言うところの「もたれながら指す」方針に徹することにした。
5分ほどああでもない、こうでもないと押し問答しつつ、最後は全体を統括している管理人のところへ連れて行ってもらった。
これでようやく第一関門突破!
 
H 先生のいる建物が別棟だということがわかったのだが、入り口がロックされていて、その中へは入ることも容易ではなかった。
別の客が入る時に一緒について入り(あやしい人みたいだが)、何とかエレベーターのところへたどりついた。
 
ところが、エレベーターの中で彼らのいる階のボタンを作動しても全く反応がないのには困ってしまった。
あとから聞いた話では、住人にあてがわれる無線機のスイッチを押しながらだと、自分の居住階とロビーと駐車場の階に限ってエレベーターのボタンがきちんと反応するとのこと。
 
そんなことは知らないので右往左往していると、別の客が乗り込んできた。
彼らはきっとその無線機を押していたのだろうが、エレベーターはすんなりと動き始めた。
しかし困ったのは最後の客が降りてしまって自分だけが取り残された時で、扉が閉まってからはエレベーターは上がりも下がりもせず止まってしまい、自分だけが閉じ込められてしまったのだ。
 
あの時は本当にあせって、よほど “Emergency” のボタンを押してしまおうか悩んでしまった。
心臓がバクバクするのが自分でもわかり、脂汗が流れてくるのもわかった。
「開」のボタンを押すという発想さえも、頭の中から消えていた。
あと3分、その状態が続いたら “Emergency” を押していたと思うのだが、その時、どこか別の階で操作した人がいたらしく、またエレベーターが動き出した。
 
その後、いったんロビーの階へ戻り、全て最初から仕切り直そうと思っていたら、 H 先生がロビーへ降りてきてくれたことに気がついた。
いや~、助かった~って感じだ。
 
ここはカナダだってことをうっかりしていた。
見知らぬ空間にうっかり入ると大変なことになるのだ。
H 先生と入念な打ち合わせをしなかったのがまずいと言われれば確かにその通りなのだが、日本だとさすがに高級ホテルだろうがコンドミニアムだろうが、エレベーターに閉じ込められることはなかっただろう。
 
何でもいいから早く日本に帰りたいっ!!!!
って、正直なところ、エレベーターに閉じ込められた時は、魂の奥底から叫んでしまった。
 

2011年6月21日火曜日

支部集会の査読

6/20 (月) くもりのち晴れ
 
ずっと前は「地方会」と呼んでいたような気がするのだが、いつごろから「支部集会」と呼ぶようになったのか全く記憶がない。
今年からその支部集会の抄録の査読のシステムが大幅に変わったみたいで、自分のところにも査読の依頼がきた。
 
当然、自分が所属する関東甲信越・東京支部の査読をするのだろうと思ったらそういうわけではなく、北海道・東北から九州・沖縄にいたるまでまんべんなく振り分けられていた。
どの分野を担当するかはあらかじめ決められていて、自分の場合は呼吸だった。
去年のことはよくわからないのだが、今年は演題募集期間も全ての支部で統一されており、システムにうまくのせているような印象を受けた。
 
査読は全てオンラインで行なわれ、5段階で評価を行なう。
採択を推薦する場合は簡単なのだが、リジェクトすべきと思った場合はその理由も書かなければならない。
けっこう大変だ。
 
IARS と異なるのは、この支部集会の抄録では図表が査読の対象になっていないことだ。
長々と文章で結果を述べるよりも、図や表を載せることで一目瞭然となる場合が少なくないのではないかと思う。
その旨を学会に具申したので、来年度以降システムが改善されることを期待する。
 

2011年6月20日月曜日

やはりケータイはカメラつきがよかった

6/19 (日) くもり一時雨
 
テニスのために今日もスタンレーパークへ。
その途中、ダウンタウンで Future Shop の前を通りかかったら、ふだんガラスが張ってあるところにガラスがなく、かわりに木の板でふさいであるのに気づいた。
 
先週の暴動でガラスが割られたあとの、応急処置ということだろう。
板の上には落書きというか寄せ書きがたくさんあり、熱心に読んでいる人たちがいた。
 
こういうのを見ると、記録に残しておきたいという気持ちがいつもウズウズしてくるのだが、いつもカメラを持っているというわけではない。
どうせ1年か2年しかいないのだから、ケータイはプリペイドの一番安いやつでいいと思ったため、当然、ケータイにはカメラがついていない。
写真があるのとないのとでは備忘録としての価値も全然違ってくるわけで、もう今となっては遅いのだが、いつでも写真が撮れるようにカメラつきのケータイがよかったと思う。
 
ついつい引き込まれるおもしろいブログには、写真がたくさん使われているものが多いように感じる。
最近おもしろいと思ったのは、将棋棋士の森信雄七段のブログと、渡辺明竜王の奥さんのブログだ。
一度読み始めると、なかなかやめられない。
 

2011年6月19日日曜日

送別会 @ 日本語学校

6/18 (土) 雨のちくもり
 
ボランティアは来週もあるのだが、ボランティアに配られるランチが夏休み前は今日が最後ということもあり、ふだんお世話になっている図書館で送別会をしてもらった。
みなさんがそれぞれごちそうを持ち寄ってくれて、感謝感謝である。
 
ボランティアを経験することで多くのものを得ることができるが、最も大きいのはやはりいろいろな人との出会いであろう。
柔道の指導の手伝いを経験した時もそうだったが、そうしなければ決して出会うことがなかったような人たちとの出会いがある。
これは、家と病院との単純な往復になりがちな日本の暮らしにおいては、特に重要だと感じる。
 
また、日本語学校では図書館でボランティアをしていたので、本を読む習慣が身についた。
本といえば医学書か語学書ぐらいしか開くことがなかったのは、今思えばかなりマズかったように感じる。
 
有名作家の名前を覚えたのも大きい。
例えば、日本語学校の図書館で最も人気がある東野圭吾のことを全く知らなかったし、その名前を正確に読むこともできなかった。
その頃のことを思い返すと、腋の下を冷たい汗が流れるイヤな感覚が蘇る。
 

2011年6月18日土曜日

ホームページ作成再開

6/17 (金) 晴れ
 
論文は一応たたき台ができ上がり、指導医のチェックを待つばかりとなった。
ところがその指導医が現在、超多忙で、身動きが全く取れない。
来週末からトロントで Canadian Anesthesiologists’ Society の学術集会があり、それに向けて準備にかかりっきりらしいのだ。
http://www.cas.ca/English/Home.aspx
 
というわけで、論文作成はいったん休憩せざるをえないことになった。
あと少なくとも1週間は別のことをしなければならないわけで、それで以前からやりたいと思っていたホームページ作りを始めることにした。
 
正確に言うと作成を「再開」の方が正しいかもしれない。
2009 年の暮れにテキストを執筆していたころ、少しだけホームページ作りに着手したことがあった。
ただその時は Thoracic Anesthesia にしても全く貧弱な知識しか持ち合わせておらず、決して簡単には進まなかったので、いつのまにか放置してしまっていた。
 
現在、作りたいと思っているのはやはり備忘録的なもので、今までの文献検索で得たバラバラの知識を自分なりに整理し、体系化を進めたいと思っている。
インターネット上に公開するのは、いつでもどこでも参照したり情報を追加したりできるようにするためと、微力ながら社会への貢献という意味合いもある。
 
というわけで数日前からチビチビと始めたところなのだが、やはり 2009 年の時点とは知識の量がケタ違いなので、今のところは順調に進んでいるように感じる。
あと1週間ぐらいはこれに集中し、ある程度の体裁は整うようにしたいと思っている。
 

2011年6月17日金曜日

病院は大変だったらしい

6/16 (木) 晴れ
 
昨日、ダウンタウンで暴動があったことを書いた。
今日の CBC によると暴動の規模はここ数十年で最大のものだということなので、前回 94 年よりも激しかったということになる。
 
今回は暴動に加わった人たちがあらかじめ武器や火器を用意していたことが、前回とは大きく異なるとのこと。
計画的だったというわけだ。
100 人以上が逮捕されたと書いてある。
http://www.cbc.ca/news/canada/british-columbia/story/2011/06/16/bc-riot-thursday.html
 
また、今日の午前中のニュースでは、暴動でケガした人たちがたくさんウチの病院に運ばれてきたとのこと。
中にはかなり重篤な人も含まれているらしい。
 
たまたま昨日は UBC の麻酔学・薬理学・治療学 (Department of Anesthesiology, Pharmacology, & Therapeutics) 全体で、1年に1度のリサーチの発表会があった。
薬理学の基礎的な研究の発表があったり、麻酔学に関してはレジデントが中心になって発表するというものだ。
 
夜は打ち上げや表彰式のようなものがあって、多くの麻酔科医はそっちに参加していたと思う。
いくらウチの病院に麻酔科医が 50 人以上いるとはいっても夜は手薄になっているわけで、ケガ人が大量にかつぎこまれる中でさぞかし大変な夜を過ごしたのではないかと思い、同情を禁じえない。
 

2011年6月16日木曜日

ダウンタウンで車が炎上

6/15 (水) 晴れ
 
今日はホッケーのプレーオフ決勝の最終戦があり、地元カナックスがボストンに敗れた。
1994 年にも同様に決勝で敗れたことがあったそうで、その時に暴動が起こったことは人々の印象に強く残っているようだ。
ウチの大家さんも友人の M 君も、このことになるとまるで昨日のできごとのように熱く語ってくれる。
 
というわけで、今日も負けたら暴動が起こるんだろうか・・・と思っていたら、本当に負けてしまった。
ダウンタウンに出かけていた店子の A 君によると、車が4台燃えていたとのこと。
 
そこでインターネットで調べてみると、う~ん、確かに車が燃えている。
これから何十年経っても、今日のことは人々の間で語り継がれることだろう。
 
冬季オリンピックの時はカナダが勝っていたということもあり、平和なムードが漂っていた。
サッカーでもそうなのだろうが、ホッケーでは概して国際試合よりもクラブチーム同士の試合の方が、サポーターや群衆が熱くなるものらしい。
 

2011年6月15日水曜日

吐血しましたぁ

6/14 (火) くもり
 
朝食を済ませ歯を磨き、口の中をゆすごうとした時、のどに小さな異物があるのに気づいた。
のどから口の中へ出したいのだが、ずいぶん奥に進んでいるらしく出てこない。
 
咳をしたりオエーッとやってもダメだったのだが、その時のどの奥に液体らしいものが・・・。
流しにペッとやったら、流しが真っ赤に染まった!!!!
推定出血量は、おそらく 20 cc のシリンジ1本分ぐらいだと思う。
 
精神的ショックは大きかったが、血はけっこう早く止まった。
口の中は切れていなかった。
異物が何だったのか全然わからないのだが、のどの刺激が小さくなったことからすると、食道に進んでいったらしい。
 
歯の詰め物かもしれないと思ったが、鏡で見てもよくわからない。
実際、自分で上の歯の詰め物をチェックするのは難しいので、病院では秘書さんに詰め物の具合を見てもらい、帰宅後は大家さんにも見てもらった。
懐中電灯を使ってみても、明らかに落ちた形跡はない。
 
コーヒーを飲んだりマフィンを食べたりしている時は、異物には全く気がつかなかった。
歯磨き粉に何か入っていたとは考えにくいし、あとは水道水だろうか・・・?
 
それでカナダの水道事情をチェックしてみると、Environment Canada (ということは環境省か?)のホームページに、廃棄物がよく混ざってますので気をつけましょうね・・・みたいなことが書いてあった。
http://www.ec.gc.ca/eau-water/default.asp?lang=En&n=E86BC86A-1
 
飲み水にガラスか金属片が混ざっていたのだろうか?
配管の異常ということもあるのかもしれない。
http://members3.jcom.home.ne.jp/suimokudo-06/ijoutaisaku.htm
できる範囲で用心するぐらいしか、対策はないのだろう。
 

2011年6月14日火曜日

メタ解析は大変

6/13 (月) 雨のちくもり
 
夕方、共同研究者の D 先生が部屋に訪れ、「"Masui” をオンラインで読むことはできるのか?」と尋ねてきた。
アブストラクトのことだろうと思い、それなら PubMed で読めるはず・・・と思ったのだが、彼は全文が必要なのだと言う。
 
“Masui” は本文はもちろんのこと、確か図も表も全て日本語だったはずだが、D 先生はそれも承知の上で手に入れたいとのこと。
理由はよくわからないが、メタ解析を行なうにあたってあらゆる言語の文献を入手しようとしているらしい。
 
日本語の文献を手に入れようとしているということは、当然、ドイツ語やフランス語、中国語も視野に入れているのだろう。
ご苦労なことだな~と、思ってしまう。
 
UBC の図書館経由でオンラインで「麻酔」を読むことはできなさそうだとわかった D 先生は、著者に直接連絡を取ろうとしていた。
関東地方の某大学附属病院麻酔科の某先生が、すみやかに電子媒体の論文を送ってくれることを祈るばかりだが、もしダメなら医学文献検索サービスなんかを利用することになるのかもしれない。
 

2011年6月13日月曜日

またもや停電

6/12 (日) 晴れ時々くもり
 
日曜日の朝は比較的ゆっくり起きて、遅めの(とは言っても8時ごろだが)朝食をとるようにしている。
朝メシの後でトイレに行こうとして廊下の電気を点けたら、一瞬点いた後にすぐ消えた。
 
日本のわが家でもこういうことが時々あるので、すぐに電球が切れたものだと思い込んでしまった。
ところが廊下のもう一方の明かりを点けようとしても点かないし、自分の部屋の電灯も消えているのに気づき、この時点でようやく停電だということがわかった。
 
ここではしばしば停電が起こることは以前にも書いた。
たいていの場合はすぐに復旧するので、昨日図書館で借りてきた「新ゴーマニズム宣言・第2巻」を外の陽射しを頼りに読みながらじっと待っていたのだが、一向に直る気配がない。
 
結局、1時間も待っただろうか、がまんの限界に達したのでトイレへ。
前にも書いたが自分の居場所は半地下にあり、トイレも半地下なので真っ暗だ。
一軒家にもかかわらず、昼間に真っ暗なトイレで用を足さざるを得ないというのは、バンクーバーならではだろう。
停電が多いのは、70 年代の日本を思い起こさせる。
 
午後はいつものようにスタンレー・パークへ。
先週の火曜日に少しつかんだみたいで、ボレーの調子が良かった。
 

2011年6月12日日曜日

ボランティア残りわずか

6/11 (土) くもりのち晴れ
 
夕方6時ごろからいつもの公園一周のコースを走り始め、タイムは信号待ちの時間をのぞいて 36 分 20 秒だった。
シャワーを浴びてから大河ドラマのビデオを観つつ、ビールを2本飲んだ。
 
大家さんは親戚の子供の誕生日パーティーのために出かけていなかったが、キッチンや冷蔵庫にある物は何を食べてもいいことになっているので、夕食のほかに冷蔵庫から残り物を適当に引っ張り出して、チンしてビールのつまみがわりに食べた。
走って汗かいてから飲むと、ビールが最高にうまい。
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今日も朝から日本語学校のボランティアへ。
もうすぐ学校自体が夏休み体制に入るので、ボランティアも残りわずかということになる。
たぶんあと1回か2回といったところだと思う。
 

2011年6月11日土曜日

混みあうダウンタウン

6/10 (金) くもり
 
英会話クラブから日本語ボランティアに来てほしいと昨日電話があり、今日はダウンタウンまで出かけてきた。
今日もダウンタウンに巨大スクリーンが設置され、スタンレー・カップの中継が行なわれることから、ダウンタウンはとても混んでいた。
 
先週の土曜日はグランビル・ストリートにスクリーンが設置されていたが、今日はそこには見当たらなかった。
交通の妨げとなるので、別のところに移動したらしい。
 
今日はカナックスが勝ち、これで3勝2敗となった。
野球の日本シリーズや将棋の名人戦と同様、先に4勝した方が勝ちなので、あと1勝すればいいわけである。
http://www.cbc.ca/sports/hockey/stanleycup/story/2011/06/10/sp-bruins-canucks-gm5.html
 
日本シリーズと違う点として、移動がはげしいことを挙げることができる。
日本シリーズでは確か、2回戦って移動し、3回戦ってもう一度移動だったと思う。
人から聞いた話なのであまり自信はないが、スタンレー・カップでは2回戦って移動し、さらに2回でまた移動、あとは1回ごとに移動するらしい。
交通費がかさんで大変だ・・・などと、どうでもいいことが心配になってしまう。
 

2011年6月10日金曜日

IF 関数でのあいまい検索

6/9 (木) 晴れのちくもり
 
論文を書く時はいつもそうなのだが、考察を展開するのにいつも苦しむ。
今書いている論文も考察以外はほとんど書き終えており、現在は毎日ちびりちびりと考察を増やしているところだ。
 
今日はちょっとした思いつきから、全対象患者に占める癌患者の割合を調べてみることにした。
癌患者の場合にはエクセルの病名欄には “ cancer” もしくは “carcinoma” と入っているので、まず “ca” が入っているセルを拾い上げることにした。
 
具体的には病名の横に行を一つ新たに設け、病名欄に “ca” がある場合はそこに “1” が記入されるようにしたいと思った。
それで、そのセルに “=IF(B7=”*ca*”,1,””) のように打ち込んで列方向に広げてみたのだが、どのセルも “ca” を認識していないらしく、全て空欄となってしまった("*” はワイルドカードとして利用した)。
 
何度くりかえしてもだめだった。
こういう時に限って、手元に参考書がない。
 
それで絶望的な気分になりながらネットで検索してみたのだが、適当なのを見つけるのになんと2時間近くかかってしまった。
いや~、今日も思いっきり、時間を浪費してしまった。
http://www.relief.jp/itnote/archives/001133.php
 
このサイトによると IF 関数を使ってワイルドカードを用いたあいまい検索はできないとのことで、かわりに COUNTIF 関数を使えばよいとのこと。
自分の誤りが、IF 関数を使えるようになった人にありがちな誤りとして紹介されていた。
 
また、今回の問題解決には直接関係はなかったが、まるでエクセルの参考書のようなウェブサイトを偶然発見したので、備忘録に残しておきたい。
http://www.eurus.dti.ne.jp/~yoneyama/Excel/Exl-_zen.htm
エクセルの初歩から VBA 関数までおさえてあり、しかもウェブサイトの構成がとても美しい。
 

2011年6月8日水曜日

さらに爪がはがれた

6/7 (火) くもりのち晴れ
 
先日、テニスのお誘いを受けたことを書いた。
それで今日は仕事のあとで、スタンレー・パークに出かけてきた。
照明設備があるわけではないのだが、とにかく日照時間が長いので、午後9時ごろでも十分にボールを追えるぐらい明るい。
 
自分以外の3人は全て女性で、1人は自分と同年代だろうと思うが、あとの2人は明らかに年上だった。
その年上の女性のうちの1人は、自分が到着する前にすでに1時間ほど別のグループとテニスをしていたらしく、かけもちということらしい。
すごいエネルギーだ。
「オレのメシも用意せずにテニスとは何ごとだ~!」って叫ぶようなダンナさんがいないのだろうかと、ふと考えてしまう。
 
同年代の女性は明らかに自分よりもうまかったが、あとの2人は自分とほぼ同じスキルだったと思う。
それでもダブルスになると勝負はわからないもので、組み合わせにかかわらずほとんど全てのゲームが接戦で盛り上がった。
 
ボレーの時にまた爪をはがしてしまい、今度は先日とは逆側の第Ⅰ趾の爪が黒くなってしまった。
これで左の第Ⅰ・Ⅱ趾、右の第Ⅰ趾の爪が真っ黒になったというわけだ。
爪がポロリと落ちるのは、秋に復職するよりもあとになるだろう。
 
3人と別れてから、久しぶりに Thurlow のマクドナルドへ。
ここはバンクーバーに住み始めてから、最初の夕食を食べたところだ。
あのころは ”For here or to go?” と訊かれても、まずそれを聞き取ることができなかったし、マクドナルドでの “meal” が何を意味するのか知らなかったし、side salad を選んだつもりで別に大きなサラダを注文してしまうというような事件もあった。
 
今はセットメニューを頼むと店員が自動的にポテトを入力するということを知っているので、それをサラダに変えさせるというようなこともできるようになった。
毎日の決まった生活の中で自分の英会話力が伸びたと感じることはまずないのだが、ふとした瞬間に以前はできなかったことができるようになったと感じることがある。
 

2011年6月6日月曜日

テニス仲間(?)できましたぁ

6/5 (日) 晴れのちくもり
真昼間にテニスして、けっこう日焼けした。
 
「テニス仲間ができた」などと書くと、バンクーバーに住み始めてからもうすぐ2年経つことになるから、それなりに英語もできるようになって、友達も増えてきている・・・などと思われてしまうかもしれない。
そういう面が全くないとは言わないが、自分としてはむしろ、テニスのマージャンに似た一面を発見したことを、ぜひ備忘録に載せておきたいと思った。
 
今日はいつものようにスタンレー・パークに行って準備体操みたいなのをしていたのだが、遠くから自分を呼ぶ人たちがいるのに気がついた。
どうもこれからテニス・ドリルに参加する3人が自分を呼んでいたみたいだったのだが、遠くから英語で呼びかけるので、何を言っているのかよくわからない。
 
近づいて行くと、一緒に隣のコートでウォーミング・アップをしようとのことだった。
断る理由もないし一緒にくっついていって、10分ほどショート・ラリーを楽しんだ。
テニスは英語が不自由でも関係ないので、なんか気が楽だ。
 
今日は快晴で2時間のドリルでけっこう消耗したのだが、帰り際にも平日夜(とは言っても太陽は高い)のテニスのお誘いを受けた。
先ほどと同様に、最後の1人を探していたらしい。
身体を動かすのは嫌いじゃないので、天気は良くなさそうだが行くことにした。
 
なんか全然脈絡がないのだが、学生の時にマージャンの最後の1人としてしつこく誘われたことを思い出してしまった。
「役なんかできなくていいし、点数も数えられなくてもいい。とにかくツモって捨てるという繰り返しさえすればいいんだから・・・」
などと乱暴なことを言われ、解剖の講義をさぼって無理やり連れて行かれたことを思い出す。
 
「英語はしゃべんなくてもいいし、スコアも数えなくてもいい。とにかくダブル・フォルトさえ連発せず、自分のそばにボールが来たら適当に打ち返してくれればいいから・・・」
などと、そこまで乱暴なことはさすがに言われなかったが、それに近いものはあるような気がしてならない。
日本では名前もよく知らない人からテニスのお誘いを受けたことはなかったが、こっちではよりフレンドリーで、とにかく頭数を揃えようとするためならあまりよく知らない人を仲間に引き込むことも厭わないようだ。
 

2011年6月5日日曜日

ビールとピザで映画鑑賞

6/4 (土) 晴れ
 
日本語学校でのボランティアのあと、テニスウェアパンツを買いにダウンタウンへ。
スタンレーカップ決勝第2戦のため、巨大スクリーンの置かれたグランビル・ストリートはものすごい人ごみだった。
http://www.cbc.ca/news/canada/british-columbia/story/2011/06/04/bc-canucks-vancouver.html
 
スタジアムに入りきれない人たちが、路上で観戦するということらしい。
店子の A 君も、第1戦の時は出かけていた。
 
今日は大家さんが泊まりにいっておらず、A 君も出かけていなかったので、一人で映画でも観ながらピザをオーブンで焼くことにした。
缶ビールを4本冷やしてからいつもの公園を1周ジョギング(37分56秒)し、十分汗をかいたところでビールを飲んだ。
 
夕方6時過ぎに走り始めたのだが、夏至近くのために4時ぐらいの感じがした。
実際、10 時を過ぎてもまだ空が少し明るい。
ネコのブーツも8時を過ぎないと帰ってこなかった。
 
映画は「硫黄島からの手紙」を観たのだが、Desperate Housewives に出てくる俳優(マーク・モーゼス)が出ていたので驚いた。
「プラトーン」や「7月4日に生まれて」といった他の戦争関連の映画にも出演している。
 

2011年6月3日金曜日

古典講座 @ 日本語学校

6/2 (木) 雨
 
今日は病院を大幅に遅刻することにして、日本語学校の古典講座に出かけてきた。
以前からお誘いはいただいていたのだが、平日の真昼間から仕事をさぼるのは気が引けたので、ずっとお断りしていた。
 
しかし日本語学校がまもなく夏休みに入るため、今日が休み前の最後の古典講座ということ。
最初で最後のチャンスだと思い、出席させてもらった。
 
教材は万葉集の恋の歌で、
「帰りける 人来たれりと 言ひしかば ほとほと死にき 君かと思ひて」
というもの。
狭野弟上娘子(さののおとがみおとめ)の歌で、(禁じられた仲らしいのだが)恋人である中臣宅守(なかとみのやかもり)を想って歌ったものだそうだ。
 
「ほとほと死にき」というのは「死ぬかとばかりに」という意味で、島流しになった人が戻ってきたというのを聞いて宅守かと思って、死にたくなるほど嬉しくなった(けれど人違いだった)というもの。
「ほとほと」というのはおそらく、現代の「ほとほと愛想がつきた」とか「ほとほといやになった」と同様の使い方なのだろう。
 
講座のあとは先生方や理事の方たちと、医療、政治、震災のことなどいろいろお話し、気がついたら5時間以上お邪魔していることに気がついた。
食事をしたりした部屋が、初めて日本語学校に行った時に面接を受けた部屋だったことを思い出した。
 
カナダではちょっとしたボランティアをするのにも面接が必要だというのに面食らったものだが、それ以上に、何か大事件が起こったらとにかくここに駆け込めば助けてもらえそうだと思ったことを思い出す。
今ではこちらの生活にだいぶ慣れたが、当時はまわりが外人だらけで(本当は自分が外人だが)、とにかく本当に心細かった。
 

2011年6月2日木曜日

さらにデータ収集へ

6/1 (水) 晴れのちくもり
 
以前集めたデータをもとに、論文を書き始めたことはすでに書いたと思う。
今日はあと考察を書き上げれば完成・・・というところまで来た。
 
しかしいざ考察を書こうとしてデータを再度検討してみると、もう少し詳細なデータが必要だということに気がついた。
ほんの 80 人分ぐらいなのだが、また診療録を請求して診療録保管庫通いをしないといけないような気がしている。
 
今日は銀行でトラベラーズ・チェックを換金し、大家さんに4週間分の家賃を支払った。
計算してみるとまるまる4週間分支払うのはこのあと1回だけなので、銀行に預金がまだいくらかあることを考えると、もう今後はトラベラーズ・チェックを換金する必要はなさそうだ。
また一歩、ゴールに近づいたような気がする。
 

2011年5月31日火曜日

ゴミの捨て方

5/30 (月) 雨のちくもり 夕方から一部晴れ
 
ゴミをどのように捨てるかについてまだ書いていなかったので、ここらでまとめておくことにする。
 
ゴミ収集に関してはバンクーバーはおおざっぱに言って5つの区域に分けられており、その区域によってゴミを出す曜日が決められている。
月曜から金曜までを1日ごとに別々の区域をまわるので、つまり収集は週に1回というわけだ。
気温があまり高くない今の時期はいいのだが、夏真っ盛りのころはコンテナ(ゴミ箱)がとても臭い。
 
燃えるゴミと燃えないゴミの分別はなく、全部一つのコンテナに入れて家の前に出すことになる。
実際に作業をそばで見たことはないのだが、ゴミ収集車から機械でコンテナを持ち上げ、収集車の上でコンテナをひっくり返すことで自動的にゴミを集めるのだそうだ。
機械に適合しないといけないことから、どこの家庭も同じコンテナを使っている。
 
樹木の枝などの収集は2週に1回である。
また、新聞紙や段ボール箱などはリサイクルの対象になるので、黄色または青色のビニール袋に入れて同じ日に出すと収集してもらえる。
 
ウチの大家はコンテナを家の敷地内に入れているが、ほとんどの家は道路に出しっぱなしだ。
道路にコンテナがあると家の中からゴミを放り込むのが大変だが、わずか週1回のゴミ収集日にゴミを出しそこなうというリスクを避けることができる。
 
日本だとゴミの収集日はほとんど固定されているが、ここでは祝日があるたびに1日ずつうしろにずれるので忘れがちである。
このあたりはこの前までは金曜日だったのだが、つい先日 Victoria Day があったので、今週から月曜日になった。
 
何年か前にはゴミ収集業者がストライキをしたことがあったそうだ。
家庭ごみは各家庭でしかるべき場所(焼却場?)に持っていかなければならなかったし、バス停にあるゴミ箱のゴミは放置されていたので悲惨なことになっていたらしい。
ストライキといえば自分の子供の頃の鉄道会社のストぐらいしか思い浮かばないし、日本の病院のストライキはあまりたいしたことないが、ここのストライキはかなり本気だそうだ。
 
去年住んでいたアパートでは独自にゴミ収集業者と契約を結んでおり、全く別のシステムだった。
面積がタタミ2畳分ぐらい、深さが 1.2 メートルぐらいある巨大なゴミ箱に、施錠管理しつつ利用していた。
 
時々、そのカギに小石を詰めて使えなくするようなたちの悪いイタズラをする輩がおり、そのたびにゴミ箱の外にゴミが散乱するということがしばしばあった。
気の毒なのはアパートの管理人である。
そういう事件が起こるたびに後始末をしなければいけないわけで、ハードな仕事だと思った覚えがある。
 

2011年5月30日月曜日

爪がはがれた

5/29 (日) 晴れ
 
今日はものすごくいい天気で、絶好のテニス日和だった。
帰国していた間の2回分の日曜日はいずれも雨で中止だったらしいので、自分としては天気がいい時にバンクーバーにいられてかなりラッキーなように感じる。
 
天気はいいが、自分の部屋は半地下なので寒い。
出かけるときに防寒対策をばっちりしたのだが、思いがけず外は暖かいことに気づき、出直すことになってしまった。
 
それでも短パンではなく長いズボンをはいていったのだがこれが暑苦しくて、テニスをやっている間、かなり苦痛だった。
その暑苦しい感じは周囲にも伝わったらしく、なぜ短パンじゃないのかと、いろんな人たちに訊かれるはめとなった。
 
帰国前まで使っていたシューズに穴があいたので、日本を出発する前にテニスを含むいろいろなスポーツで使える靴を買ってきた。
買う時に試しにはいたら調子がよかったのだが、なぜか今日はちょっときついような感じがした。
そのせいもあるのかもしれないが、ボレーをした時にまた左足の親指の爪をはがしてしまい、ただでさえ根元が紫色だったのが、ついにほぼ全面紫色になってしまった。
 
それでも今日はテニスの調子は比較的よく、うまい人たちと対戦することができた。
ここではコーチが対戦の組み合わせを決めるのだが、たまたまコーチが見ている時にいやらしいプレーが奇跡的に次々と決まり、自分よりもずっと強い若者たちをいらいらさせることができたことが良かったんだろうと思う。
 

2011年5月28日土曜日

ラストスパートか?

5/27 (木) くもりのち晴れ
 
昨年から今年にかけてデータを収集した研究について、現在、論文を作成している。
もともとは一つの論文にするつもりだったのだが、あまりにもデータが膨大でしかもまとまりがない(?)ので、結局、2つの部分に分けることにした。
つまり今は、2つのうちの片方を書いているというわけだ。
 
もう一方についても同じ調子で書くつもりだったのだが、どうも指導医が内容に満足していないらしく、さらにデータを追加するつもりでいることを今日知ることになった。
それで話し合いの機会をもってから、追加のデータ収集について倫理委員会へプロトコールの修正を申し出るようなことを言っていた。
 
自分としてはあと論文を書くだけだと思っていたので、ちょっと意外な感じがしてしまった。
もちろんいい研究ができるならぎりぎりまで喜んで汗を流すつもりだが、帰国を控えて「かけこみ」みたいな感じがどうしてもしてしまう。
まさにラストスパートといったところだろうか。
 
また、先日のフェローの修了式っていうか飲み会では、どうも自分も送られる側になる可能性があったらしいことを今日知った。
指導医からメールが来て、出席することを知っていれば送る準備をしていたのだが・・・と、おわびのようなメッセージが書いてあったのだ。
 
送られたフェローは正規の2年間の臨床のプログラムをこなしたわけで、自分とは全く立場が異なる。
なので自分は全然気にしていなかったのだが、どうも帰国前には自分のために少なくとも1回はデイナーっていうか飲み会を催してくれるとのこと。
こちらも「かけこみ」っぽい感じがしてしまうのだが、フェローを迎えて指導する側もなにかと忙しくて大変だなと思ってしまう。
 

2011年5月27日金曜日

リスの出入口発見

5/26 (木) くもり
 
朝、出かける時になにげなく上の方に目を向けたら、2軒隣の家の屋根にリスが1匹いるのに気づいた。
そのリスは屋根を駆け下り、屋根の側面にぽっかりあいている穴から家の中に入っていってしまった。
 
ほんの一瞬の出来事だったのだが、リスが家にあいた穴を通っておそらく屋根裏部屋へと入っていったようだった。
最近ウチの屋根裏部屋で物音がしなくなったと思っていたのだが、ひょっとしたら2軒隣へと引っ越していったということなのかもしれない。
 
その家はかなり古く、住人もそういうことには無頓着そうなので、リスにとっては追い出されるリスクが低く、きっと住みごごちがいいに違いない。
 

2011年5月26日木曜日

フェローの修了式

5/25 (水) くもりのち雨
 
今日はフェローの修了式が Zest という Japanese restaurant で行なわれた。
http://www.zestjapanese.com/
あるウェイトレスが日本語で教えてくれたのだが、バンクーバーで2番目に人気のある日本料理の店で、毎年表彰されているのだそうだ。
 
ある麻酔科医によると、バンクーバーで最も人気のある日本料理の店は Tojo というらしいのだが、値段もかなり高いとのこと。
http://www.tojos.com/Home.html
値段も評価に含めると、Zest が一番というもっぱらの評判らしい。
 
修了式を受けたのは正規のプログラムを終えた4人で、そのうち2人はタイから来た留学生だ。
タイから来た2人は自費でタイの病院から費用が出ていると思うのだが、あとの2人はたぶんここの病院に直接雇われていたのだと思う。
立派な修了証書を受け取っていた。
 
Zest の料理は日本でも食べたことがないようなものだったが、とてもおいしかった。
正直なところ自分は西京味噌は味が強いので好きではなかったのだが、今日のは味が控えめでトロとぴったりあって良かった。
 
バンクーバーの麻酔科医たちの中で日本に来たことがある人は多くはないのだが、日本食についてはよく知っている人が多く、驚いてしまう。
箸の使い方もとてもうまい。
 

2011年5月25日水曜日

いまだに冷えるバンクーバー

5/24 (火) 日本は午前中雨 → 午後晴れ、バンクーバーはくもりのち晴れ
 
24日の JAL でバンクーバーに戻ってきた。
日本に戻ってきた時ほどではなかったが、やはり JAL の機内は空いていた。
自分は中央3列シートの通路側で、隣とその隣は誰もいなかった。
 
成田空港のバンクーバー行きのゲートのそばで、研修医のころに小児病院でお世話になった S 先生に偶然お会いした。
お子さん2人も一緒で、これからバンクーバーでのお嬢さんの大学の卒業式に出席されるとのこと。
とても懐かしかった。
 
成田を発つ時からバンクーバーに着くまで、機内はずっと蒸し暑かった。
いよいよバンクーバーも夏かなと期待したのだが、空港の外に出ると思いがけず冷え込んでいた。
 
インターネットによると今日の昼間のバンクーバーの気温は 17 ℃なのだが、風があるせいかもっと低く感じる。
シャツとウインドブレーカーでは寒く、冬物をほとんど持って帰ってしまったことを後悔した。
今日の午後、2時間半ぐらい昼寝しようとしたが、寒くてあまり眠れなかった。
 

2011年5月22日日曜日

学術集会最終日

5/21 (土) くもりのち晴れ
 
今日は朝から呼吸の PBLD に参加したかったのだが、午後にリフレッシャーコースの自分の番を控えていたので、朝食後にホテルで最終的な仕上げをしてから会場に向かった。
PC センターでパワーポイントの受付を午前中に済ませたのだが、その時に担当してくれた人が、スライドショーで「コントロール」+ "A" でポインタを常時表示できるということを教えてくれた。
 
自分は今まで右クリックでポインタのオプションを選んでいたが、そういうショートカットがあるということを初めて学んだ。
ショートカットを利用した方がそういう操作をしていることがモニター上で気づかれずに済む分だけ、プレゼンがスマートに見えるかもしれない。
 
リフレッシャーコースでは前半は保護的一側肺換気について、後半は胸腔鏡下手術での呼吸管理について話したのだが、レクチャーのあとで受けた質問はほとんどが前半に関するものだった。
自分としては理論武装を万全にしたつもりだったが、質問は理屈よりもむしろ実際に現場ではどうするかという方向に向いていた。
 
例えば Tusman らの一見して過激に見えるリクルートメントの方法 (Ann Thorac Surg 2002; 73: 1204-1209) を本当に4分間もかけて行なうのかとか、COPD 患者でリクルートメントを 40 cmH2O で行なっても大丈夫かとか、自分がバンクーバーで指導医たちにぶつけた質問がそのまま返ってきたような感じだった。
いろいろなことを盛り込もうと思って欲張ってしまったが、振り返ってみると 45 分間全部を保護的一側肺換気に使うぐらいでも良かったのかもしれない。
 
いつかまた講演のチャンスがあったら、開胸手術の麻酔の知識をアップデートするとともに、thoracic anesthesia の権威たちがどのように実際に麻酔に取り組んでいるかを、さまざまな具体例を挙げながら紹介できるようにしたいものだと思う。
 

2011年5月20日金曜日

学術集会2日め

5/20 (金) 晴れ
 
午前中に招待講演で、悪性高熱症に関するものがあった。
スピーカーは英国から招いた人で、あたりまえだが英国なまりでの英語だった。
いまだに MH で死亡するケースがあるのは、MH reaction が不可逆的になるからだということは初めて知った。
そのため、早期の診断が必要だとのこと。
 
バンクーバーで生活していると、自分の英語がなかなかうまくならないので、絶望的な気分になることが多い。
自分の指導医は時々、英語がとてもうまくなったと言ってくれるのだが、お世辞にしか聞こえずかえってガックリしてしまう。
 
ただ昨日のマシモジャパンのランチョンもそうだが、日本で日本人向けにやさしく話されている英語を聞くと、自分の英語が明らかに向上しているのがとてもよくわかる。
日本を発つまではせいぜい半分もわかれば良かったのに、今では全部とは言わないまでもずいぶんはっきりとわかる。
どうしてこんなにゆっくりと話しているのだろう・・・と、不自然に感じるぐらいだ。
 
だからまたバンクーバーに戻っても、あまり悲観することなく、英語にはじっくり取り組んでみようと思う。
語学の習得には、何より根気が必要なのだと感じる。
 
夜は、都立旧 F 病院の先生たちの飲み会に合流。
本当に久しぶりに先生方にお会いできるのも、学会ならではの良さだと思う。
 

2011年5月19日木曜日

学術集会初日

5/19 (木) 晴れ
 
今日から神戸国際展示場とポートピアホテルで、日本麻酔科学会第58回学術集会が始まった。
すでに事前登録は済ませてあったのだが、今日の夕方のリフレッシャーコースを追加したかったのでブースCへ。
窓口ではなく、自動販売機みたいな機械で 1000 円支払った。
 
本来は事前に申し込んだ内容を印刷してくることになっていたのだが、すっかり忘れてしまった。
それで TEE のワークショップを申し込んでいたのも忘れていて、受付で申し込み内容を確認することでようやく気がついた。
 
この2年間、TEE からすっかり離れており、ワークショップで学ぶことは多かった。
スペックルトラッキング、長軸方向 strain、rotation(ねじれとほどけ)といった概念は、とても目新しい。
http://www.innervision.co.jp/suite/toshiba/supplement/0805/01cardiac_2/index.html
心房細動では、僧帽弁流入速波形の A 波のかわりに L 波が見られるというのも初めて知った。
 
開胸手術の麻酔でのポスター発表では、「肺切除術の既往がある患者での○○」という演題が2つもあったのが興味深かった。
自分が知る限りでは、肺切除術の既往がある患者で何かのリスクが高まるといったような論文は、anecdotal なものを除けばないように思う。
 
自分もバンクーバーでデータ採取している時に、肺切除術の既往がある患者では何らかの合併症のリスクが高まるかもしれないと思い、肺切除術の既往は全てチェックしていた。
しかし肺切除術のある患者で再び手術を受けるのは、おおざっぱに言って 40~50 人に1人ぐらいだったので、統計処理に耐えるだけの人数を集めるのが大変だと感じた覚えがある。
絶え間ない努力と根気が必要とされる領域だと思う。
 

2011年5月16日月曜日

震災後の暮らし

5/15 (日) 晴れ
 
金曜日に日本に戻ってきてから2日たった。
時差ぼけのために昨日までは眠くてだるくてしかたがなかったが、今日はもう大丈夫。
だいぶすっきりした。
 
地震は自分が気づいた範囲では土曜日の朝に弱いのが1回あっただけ。
新聞に毎日「今日の放射線量」が載っているのにはショックを受けたが、どうも日によってあまり大きな変化はないようだ。
  
昨日、今日と家族と買い物に出かけたりしたが、スーパーは照明が一部落ちており、なんとなく薄暗かった。
ファミレスでは冷房の設定が 28 ℃になっていて、オペ室にくらべるとかなり蒸し暑い。
 
また、ファミレスのトイレは手を乾かすドライヤーが使えないようになっていて、かわりにお手拭がたくさん置いてあった。
いたるところで節電が行なわれていることがわかったが、これから夏本番に向けてよりいっそうの節電が必要になることを考えると、いろいろな面で相当なガマンを覚悟しなければならないように感じられた。
 

2011年5月14日土曜日

震災後初の一時帰国

5/13 (金)
 
神戸の学会のために日本に戻ってきた。
時差のために夕飯を食べたら眠くてたまらずふとんに直行したのだが、かといって若者のように10時間以上眠れるわけもなく、日付がかわった翌午前4時半に前日分の日記を書いているところ。
 
恐れていた余震はまだ一度もない。
家族によると、ここ数日は揺れていないとのこと。
子供たちは震度3以下は全然オッケー(感じないも同然)と言っているが、バンクーバーでの2年弱では一度も地震がなかったので、実際に揺れたら自分はきっと心臓がバクバクすることだろう。
 
帰りの便は JAL だったのだが、客が今までになくものすごく少なく、スカスカ状態だった。
しかも大半は日本人とは断言しないまでも東洋系で、まるで国内線に乗っているかのようだった。
自分は中央3列シートの左端だったが、ほかの2つの席には誰もおらず、概ね機内はどこもそんな感じだった。
震災の影響なのだろうが、JAL の行く末が案じられる。
 
飛行機は 767-300 だったのだが、機内のエンターテイメントが充実しており、MAGIC-Ⅲ・Ⅴがエコノミークラスで楽しめたのは初めてだった。
http://www.jal.co.jp/aircraft/conf/767.html
http://www.jal.co.jp/inflight/inter/jen/
映画も頭が切れることなく、全部最初から楽しむことができる。
 
また、食事をとるための機内のテーブルが、今までになく半分に折りたためるものになっていた。
小さく使うこともできるのでこれは便利・・・と思ったのだが、広げてみるとまっすぐ平らではなく、目の前でビールの入ったコップがすーっと滑り、思いっきりズボンの上でこぼれてしまった。
隣の席に人がいたら、絶対ひっかかっていたと思う。
 
あまりにも悲惨でがっくりしたのだが、その後、2~3時間もしないうちにズボンが完全に乾いてしまった。
機内はおそろしく乾燥しているということなのだろう。
 
バンクーバーを発つ時の機長のアナウンスで、成田の到着時の予想気温が 28 ℃であることが知らされた。
「そんなに暑いの~」とざわめく機内・・・。
到着時には 28 ℃はなかったと思うが、それでもとにかく暑い。
家に着いたら、扇風機が出ていた。
 
また、帰りに某私鉄を利用したのだが、駅と駅との間で車内の照明を消すことに気付いた。
駅に近付くとまた照明をつけ、駅を出ると照明を消す、の繰り返しだ。
しかもよく見るとところどころ蛍光灯が抜いてあり、車両内がなんとなく薄暗い。
震災後初めて帰ってきた自分にとっては、何もかもが新鮮に見える。
 

2011年5月12日木曜日

カナダでの葬儀についてさらに

5/11 (水) 雨
 
週末の葬儀を控え、大家さんや親戚の人たちは準備に忙しい。
どうやら当日はたくさんの食事を作り、教会の葬儀に参列したお客さんたちに振舞うことになるらしい。
食事やお菓子などが手作りだという点が、お通夜にスシをとる日本とはずいぶん違う。
 
また、葬式の時に黒の礼服を着るのは家族だけとのこと。
一般のお客さんは、派手でない濃い青などであれば、礼服を着る必要はないのだそうだ。
香典を持ってくる習慣もない。
 
また、葬儀のあとは故人のために神父にミサ (Mass) を営んでもらうことになるのだが、どうやらそれは個人単位で直接神父にお願いするようなことを大家さんが言っていた。
今回亡くなった方はその教会ではよく知られた人なので、さまざまな人々が神父にミサをお願いしたために、来週以降、ミサの予定がぎっしりになってしまったのだそうだ。
 
ミサを営んでもらうために、依頼した人が神父にいくらか払うことになる。
もっとも神父はそのお金を自分のポケットに入れるようなことはなく、布教のためにカソリックが十分広まっていない地域にまわされるといったようなことを聞いた。
 

2011年5月11日水曜日

旅の準備ほぼ完了

5/10 (火) くもり
 
学会に向けてもうすぐ一時帰国するので、今日はスーツケースに荷物を詰め込んだ。
コートを含めもう冬物の衣類はいらないので、一緒にがばっと全部持ち帰る予定。
 
ひょっとしたら重量制限を超えているかもしれないと思ってスーツケースを体重計に載せてみたのだが、20 キロにも満たないくらいだった。
衣類だとどんなに詰め込んだところで、たかが知れているということなのだろう。
 
今の自分の部屋を見渡してみると、全部の持ち物のうちの 1/3 程度を持ち帰ることになるようだ。
これ以上荷物が増えることはないだろうから、夏に永久帰国する時はきっと、スーツケース2個分で十分に足りると思う。
 

2011年5月10日火曜日

葬儀と友人のアドバイス

5/9 (月) くもりのち晴れ
 
大家さんの身近な人が、先週の土曜日に亡くなった。
その人には自分もお世話になっていて、何回か自宅に招いてもらったことがある。
 
週の後半に葬儀があるのだが、学会のための一時帰国の日程の関係で、自分は出席したくてもできない。
こういう場合は日本だとおそらく、出発前に御霊前を誰か家族に託すことになるのだろう。
機会を見つけて、仏壇に線香をあげるのもいいのかもしれない。
 
しかしここはカナダ。
こういう場合はどうしたらいいのだろう?
考えても解決しないので、友人の M 君にメールで尋ねてみた。
彼はカソリックではないが、カソリックのことにもかなり詳しい。
 
M 君によると、こちらでは葬儀の時に widow/widower が経済的に恵まれていない場合を除いては、お金を渡すようなことはしないのだそうだ。
そして彼の返事はまず ”Try not to assume” で、ずばり「大家さんに(どうしてほしいか)聞け」とのことだった。
そうしたらきっと言葉か祈りを求めてくるだろう、とも書いてあった。
 
今まで何回か友人たちのアドバイスに助けられてきたが、今回は自分にとっては「目からウロコ」だった。
確かにこういう “sensitive” なことに関してはあれこれ考えるよりも、特定の宗教を強く信じているわけでなければ、ここの習慣に従ってみるよりほかないのだろう。
 
また、ある人からは、某アジア系カナダ人が亡くなった時にたくさんの参列者がそれぞれ大量の花を持って集まってきたことに対し、「花(金)のムダ遣い」という評価が下され、それ以降、その教会では花の持ち込みを断っているという話を聞いた。
この世からあの世へ送られる時ぐらい、大量の花に飾られてもいいんじゃないかと自分は思ってしまうが、そういう考えが受け入れられないコミュニティもあるらしい。
 

2011年5月9日月曜日

ホームステイと母の日

5/8 (日) くもり
 
今日は母の日で、スタンレー・パークには一見してレストランでお祝いしようとする家族連れが大勢いた。
大家さんは親戚一同で空港近くのホテルへ、豪勢なランチを食べに行ったらしい。
若い世代がごちそうしてくれたそうで、とても満足そうだった。
 
以前、大家さんの誕生日とクリスマスに、それぞれプレゼントを渡すことが期待されたことは書いたと思う。
アパートなどとは異なり、ホームステイでは必ずとは言わないが、そういう物のやりとりが必須と考えられるパターンはどうやら確かにあるようなのだ。
 
大家さんは自分にとってはもちろん「母」ではないので、今回、何かをプレゼントする必要はないはずだと 80% 程度の自信を持っていた。
残りの 20% で自信が持ちきれずちょっと嫌な予感がしていたのは、バンクーバーの日本人の中で自分が学生と混じってホームステイをしていると知っている人たちがしばしば、大家さんのことを称して「バンクーバーのお母さん」と呼ぶことがあるからだ。
 
自分と大家さんの関係は母子のようなものとは全く異なり、どちらかというと仕事場における手術部の看護師長と後期研修医の関係(?)に近いと思う。
口答えはほとんど許されず、ほぼ絶対服従が要求される・・・といったところだろうか。
 
一方、中東から来た A 君は大家さんのことを日頃から「マム」と呼んでいるので、おそらく本当に「バンクーバーのお母さん」のように感じているのだろう。
大家さんは彼が母の日にくれたという金色の腕時計を嬉しそうに見せてくれた。
 
「あなたは何もくれないの?」とはさすがに訊かれなかったが、それでも背中と腋の下を冷たい汗が流れたのは言うまでもない。
こういうところで文化や習慣の違いを感じるのも、ある意味、ホームステイの醍醐味だとも思う。
 

2011年5月8日日曜日

エクセルの落とし穴

5/7 (土) 雨
 
昨日は飲み会で K さんの家に集合。
今まで不定期的に集まって飲んでいたのが、今回からは毎月恒例にするそうで、昨日はその第1回だった。
 
BC リカーで売ってた3番目に安い赤ワインを買っていったがあっという間に飲みつくし、その後はずっとビールを飲んでいた。
睡眠不足も加わり、なんか今日は気持ちが悪い。
久々の二日酔いかもしれない。
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日本語学校でフリー・マーケットがあった関係で、今日は図書館で寄附された本の入力を担当した。
その際、エクセルのデータを修正する過程でとんでもない落とし穴に気づいたので、備忘録に残しておくことにする。
 
寄附された本はまず、すでに図書館にある本とない本とに分類する。
日本語学校の図書館では35000冊以上ある蔵書のデータベースをエクセルで管理しているのだが、同じブックの中で1000冊ごとに別々のシートに分けている。
したがってキーワードで本を探す場合には、右クリックで全てのシートを選んだ上で検索する必要がある。
 
今日はたまたま北杜生の「マンボウ響躁曲」という本を検索しようと思い、全てのシートを選択してから「マンボウ」とキーワードを入れて探したのだが、その結果、すでにその本が図書館にあるらしいことがわかった。
しかしよーくみると「マンボウ響躁曲」ではなく、データベース上の本のタイトルが「マンボウ響曲」となっているのだ。
「躁」という字が入力できなかったのだろうか・・・と思いつつ、せっかく誤りを見つけたのだから修正しようと思い、「響」と「曲」の間にカーソルを置き、「躁鬱」と入力してから「鬱」の字を削除した。
 
ここでやめておけば自分のミスに気づかなかったのだが、次に検索しようとした本がたまたま「快妻オバサマVS.躁児マンボウⅡ」という本だったので、「マンボウ」というキーワドをそのまま残した状態で検索した。
するとなんと奇妙なことに、次から次へと「マンボウ響躁曲」という本がヒットするではないかっ?!
なぜか各シートに1冊ずつ、北杜生ではない作者の名前で「マンボウ響躁曲」が入っている。
しかもさらによーく見ると、各シートの同じ列の同じ行に「マンボウ響躁曲」があるのだ。
 
この時点で、どうやらとんでもない誤りをしてしまったことに気づいた。
家に帰ってから実際に検証してみたのだが、全てのシートを選択した上でそれを解除せずに任意のセルに入力すると、その入力が全てのシートで同じように反映されるのだ。
エクセルとはずいぶん長い間つきあってきたつもりだが、自分の知らない凶暴な一面(?)を見せつけられた思いで愕然としてしまった。
 
研究活動でデータベースを作る際に検索機能はよく使うが、幸いなことに全てのシートを選ぶということはしていなかった。
ちょっとしたことを知らなかったためにデータベースがめちゃくちゃになる可能性があるわけで、本当にあぶないところだったと思う。
 
図書館のデータベースもたまたま早く気づいたものだから、事なきを得た。
データのバックアップがあって、本当に良かったと思う。
 

2011年5月6日金曜日

新しい乾燥機

5/5 (木) 雨降ったりやんだり
 
洗濯物がずいぶんたまったので、汗臭かったテニスウェアも含めさっそく洗濯してみた。
大家さんは出かけていていなかったが、やってみれば何とかわかるだろうと思い、乾燥機も使ってみた。
 
乾燥機は Kenmore という会社の製品なのだが、いかにも北米の家電という感じで、見た目がごつい。
http://www.kenmore.com/shc/s/p_10154_12604_02661252000P
乾いたら自動的に止まるとかで、省エネ対策も万全らしい。
 
乾燥機の扉を開けてみると、なんと内側に灯りが点いて中がすごく明るい。
洗濯物の取り忘れとか、なさそうだ。
中が真っ白で電気がついているので、まるで冷蔵庫のように感じる。
 
ところで昨日の、英語の “stop” はフランス語の “arrest” というのは勘違いで、よく見たら英語の “off” がフランス語の “arrêt” だった。
まあいずれにせよ、語源はきっと “arrest” なんだろうと思うが。
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大家さんが帰ってきてから聞いた話だが、今日はリス専門の駆逐業者が来たとのこと。
天井裏に登ったり家の周りをチェックしたりした結果、屋根と家の壁が接するあたりにすきまがあいていて、そこからリスが出入りしたのではないかということだった。
 
天井裏からリスを残らずその場で駆逐したのかと思ったらはそうではなく、一方弁のようなネット(天井裏から出ることはできるが入ることはできない)を設置して、そのうちいなくなるのを待つような方策をとったのだそうだ。
3年保証で 500 ドルちょっと払ったらしい。
 
500 ドルの高さに驚いてしまったが、大家さんは火事になるよりはよっぽどマシだと言っていた。
リスが天井裏でワイヤー(電線のことだと思うが)をかじったために火事になるということが、カナダでは少なくないらしい。
一種の火災保険のようなものとして考えて、納得して支払うしかないということなのだろう。
 

2011年5月5日木曜日

夜中の腹痛

5/4 (水) 晴れのちくもり
 
昨晩は夜中に腹が痛くなり、何度も何度もトイレに駆け込んでしまった。
し~んと静まりかえっているところにトイレの換気扇が何度も何度もブーンと鳴り響いていたわけで、大家さんにも中東の A 君にも申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
まあ、そんな感じで他人の眠りを思いやる余裕はあったので、重症の腹痛ではなかったということなのだろうと思う。
 
今朝はいったんは5時半には目覚めたものの、あまりにもだるいので講演会はスキップすることにした。
さらにひと眠りしたらかなりスッキリしたので、結局はいつもと同じ7時ちょっと前に出かけた。
何となく腹がゆるいような気もするが、出かけてからは腹痛はない。
 
帰宅したら真新しい乾燥機が届いていた。
大家さんも使い方がわからないらしいので少し研究し、明日はたまった洗濯物を片付けようと思っている。
 
あらゆるボタンの説明書きが英語とフランス語の2本立てで、いかにもカナダの洗濯機といった感じだ。
どうも英語の “stop” は、フランス語で “arrest” と言うらしい。
心臓が止まりそうで、ちょっとコワい。
 

2011年5月3日火曜日

乾燥機・故障中

5/2 (月) 雨
 
昨日はものすごくいい天気で、スタンレー・パークでのテニスはとても充実していた。
運動不足のためか、気づかないうちにひねったのかもしれないが、左腰が痛くて今日はかがむことができない。
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ウチでは大家さんとの取り決めで洗濯は週1回ということになっているので、ふだんは日曜日に洗濯している。
しかし先週以来、乾燥機が壊れており、金曜日に洗濯したら干し場に洗濯物があふれてしまい、いまだに乾いていない。
 
昨日使ったテニスウェアも早く洗いたいのだが、どこに干すかということを考えるとなかなか踏み切れない。
洗濯しないまま部屋の中に干しておいてふと気づくととても汗臭くて、なんか運動部の部室のような匂いがしている。
 
新しい乾燥機は水曜日に届くことになっている。
とても待ち遠しい。
 

2011年5月1日日曜日

いざという時はホテルのトイレ

4/30 (土) 晴れ
 
今日は朝から大家さんが出かけたので、晩メシは店子たちで勝手に食べることになった。
自分たちの家賃には食費が含まれていることから、大家さんは自分に2人分の食費ということで 20 ドル預け、中東から来た A 君のメシの面倒も見てほしいと言い残して去っていった。
 
A 君が晩メシ時にいれば一緒に食べるのだが、彼は今日はグラウスにスキーをしに出かけてしまい、夕方の時点では家にはいなかった。
ケータイでテキスト・メッセージを送ったが、彼は家では食べないという返事だったので、ビールを2本飲んでから一人で食べにふらふらと出かけることにした。
 
最初はオークリッジのモールの中にあるフード・コートで食べようと思ったのだが、土曜日のため夜は閉まっていて入れなかった。
このあたりからビールの効果で尿意が強く感じられ、あせりはじめることになる。
日本と違ってもちろん駅にはトイレはない。
 
せっかく駅までバスで来たのに今さら引き返すのもアレなので、カナダ・ラインでダウンタウンへ。
パシフィックセンターのフード・コートを目指したが、やはりここも閉まっていた。
遠くまで来たことを悔いたがもう遅い。
 
腹は減ってはいたのだが、それよりもとにかくトイレに行きたくてしかたがなかったので、すぐ隣の某ホテルへ。
「いざという時はホテルのトイレを使えばいい」と言っていた H さんの顔がちらりと思い浮かんだ。
 
ロビーの階へエスカレーターで上がり、あやしく思われないようにさりげなくトイレを探していたら、いきなりホテルマンが近づいてきて ”Washroom?” と訊ねてきたのにはキモをつぶした。
親切なホテルマンのおかげで事なきを得たのだが、どうしてトイレを探しているってわかったのだろう?
ホテルの中をふらふらしている人を見たらトイレだと思え・・・と教育されているのだろうか?
 
確かにバンクーバーでは、「いざという時にはホテルのトイレを使え」は正解だと思った。
雑誌に書いてあることや現地の人々のアドバイスを裏づける形となったというわけだ。
これでまた Vancouverite に一歩近づいた。
もうすぐ帰国だけど。
 

2011年4月30日土曜日

サン・デッキでの読書

4/29 (金) 晴れ
 
最近、天気が良いこともあって、昼間はけっこう暖かい。
気温も少しずつ上がっており、今日の昼は15℃ぐらいはあったと思う。
朝は寒いのだが、夕方はセーターを着ているとしばしば汗ばむことがある。
 
暖かくなりつつあることに加え日照時間がどんどん伸びており、まだ5月になっていないというのに8時ぐらいまでは外が明るい。
そうなると当たり前だが、なんとなく家の中にいるのがもったいないような気がしてくる。
 
実は2週間前あたりからそんな気分がして、夕食後にサン・デッキに出て読書しようとしたのだが、風が冷たくて全然ダメだった。
今まで4~5回トライして、いつも寒くて5分ぐらいで挫折していた。
 
今日もダメかな~と思いつつ外に出てみたら、まだ寒いことは寒いのだが、風がないため30分ぐらいは読書を楽しむことができた。
今読んでいるのは日本語学校で借りてきた「ザ・ジグゾーマン:英国犯罪心理学者の回想」で、非日常的な内容だけにかなり読みごたえがある。
 

2011年4月28日木曜日

指導医がたくさん

4/27 (水) くもり
 
たくさんとは言っても2人なのだが、複数の指導者から教育を受けるチャンスがあるのはとてもありがたいことだと思う。
ただその2人のうちどちらが上席というのが明らかでないので(実際、親友どうしみたいなのだが)、2人が異なることを言う時には本当に困ってしまう。
 
以前にも書いたが、別々のオーベンが別々のことを言うので困っている研修医のような状態だというわけだ。
本当の研修医と違うのは、自分は日本では指導医としての経験があることで、複数の指導医の気分が少しはわかることだ。
うまく2人との関係を調整しつつ、最終的には完成度の高い研究ができるようにしたいと思っている。
 
ところで、こっちのレジデントたちも日本の研修医と同様に指導のあり方に悩まされている。
特にレジデントが悩むのは、硬膜外カテーテルを挿入したあとのテープの貼り方だ。
 
以前、あるレジデントと一緒に胸部麻酔を4週間経験したことがあったが、その間、全ての指導医が異なるテープの貼り方を指導していたということがあった。
4週間の最後の方になると、「また違うこと言ってるよ」とレジデントと顔を見合わせてコソコソ話していたことを思い出す。
 

2011年4月27日水曜日

校正作業終了

4/26 (火) 雨のちくもり
 
結局、イースター休みの間に校正は終わらず、今日までずれこんでしまった。
二段組の PDF に小さい活字がびっしりと敷き詰めてあり、しかもそれがウン十枚もあって気が狂いそうな作業の連続だった。
しかしこうして終わってみると、イースターのパーティを途中で抜け出したりしてまでがんばったかいはあったと感じる。
 
編者がわれわれの原稿を足したり引いたりすることで、内容的には余分なものが削げ落ちてさらに充実したものになったように思う。
惜しいのは締め切りを守らなかった執筆者がいたために、新鮮味がかなり失われたことだ。
もっと締め切りを遅らせても良かったのなら、硬膜外麻酔が OLV 中の arterial oxygenation に与える影響とか、OLV 中の fluid responsiveness に関する新知見とかも足すことができたのに、残念でしかたがない。
 
出版社はもちろん北米の会社なのだが、その作業にはかなり粗雑な印象を受けた。
例えば参考文献に関して、編者サイドで足すこともあると思うのだが、せめてこちらが挙げた文献とダブっていないかどうかぐらいはチェックしておいてほしかったと思う。
同じ文献がいくつもダブって見つかった時は、正直、ガックリした。
 
自分がここ数年で仕事をした中では、出版社は克誠堂が最も優れていると思う。
先方が求めてくる作業は膨大でレベルも高いのだが、著者の力をうまく引き出すことに成功しているようにも感じる。
自分がカナダに来たことで本の校正作業が手間取ったこともあったのだが、克誠堂が柔軟にすばやく対応してくれたことで、ほとんどストレスを感じずに済んだことを思い出す。
 

2011年4月26日火曜日

fid● でのトラブル

4/25 (月) 雨
 
昨日は Queen Elizabeth Park のまわりを1周走り、39 分 19 秒。
全力で走る時は、1周がせいぜいだと思う。
 
fid● 社のプリペイド携帯を使っていることは以前にも書いたかもしれない。
だいたい2週間ごとに 20 ドルのバウチャーを買い、fid● のしかるべき番号にかけ、14ケタの番号を打ち込むことでチャージしている。
 
今日もいつものように 14 ケタの番号を打ち込もうとしたのだが、自動音声メッセージが「バウチャーが有効ではない」みたいなことを言っていて、結局リジェクトされてしまった。
困って fid● の店に戻り、かくかくしかじかと事情を説明するはめになったのだが、その時の店の対応が非常に興味深かったので、ここに書いてもかまわなそうなことだけ載せておく。
 
日本だったら恐縮した店員が全力で努力し、その場での解決を試みるのが普通だと思うが、どうもここではそうはいかないらしい。
まず店員は通常の手順でアカウントへのリフィリングを試み、それがだめだとわかるとなぜか客にその場でカスタマー・サービスへ電話させるのだ。
 
まさに、「えっ、あんたが解決しないでオレがかけるわけ?!」って感じ。
予想していた通りだがカスタマー・サービスの係員は恐ろしく横柄で、しかもそこからさらに別の場所に電話を転送され、結局、回答は「システムの異常なので2時間後にもう一度電話をかけろ」とのことだった。
 
さまざまな文化の違いについては少しは経験してきたつもりだが、ちょっとしたトラブルに巻き込まれるとまだまだ耐性がないみたいで、文化の違いを超えて不快感が極まる。
・・・が、怒りはけっこう有効利用できるもので、fid● の不親切な窓口のニイちゃんと電話の向こうの横柄なおっさんのことを思い浮かべることで今日の英会話の学習がおそろしく良好に進んだことも、とりあえず備忘録に残しておきたい。
 

2011年4月24日日曜日

Easter Celebration Services @ Burnaby

4/23 (土) 晴れ
 
クリスチャンではない自分にはピンと来ないのだが、クリスチャンにとってはクリスマスよりもイースターの方がはるかに重要なのだそうだ。
キリストが復活したのがこの時期なので、キリスト教の原点という意味合いがあるのかもしれない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%A9%E6%B4%BB%E7%A5%AD
 
それで M 君に連れられて、クリスマスと同様に教会のイースターのイベントに行ってきた。
バーナビーにあるメガ・チャーチで、メトロタウンの駅から 130 番のバスで行くことができる。
http://www.willingdon.org/
 
クリスマスと同様に音楽と歌はたくさんあったが、劇のようなものはなかった。
おそらく教会員の有志がサークル活動のような形で、演奏や歌やダンスを今まで練習してきたのだろう。
クリスマスのイベントではただ劇や音楽を観たり聞いたりしただけだったが、今日はもうちょっとシリアスで、立って一緒に歌うことが期待されていたようだった。
 
もっとも自分はそういう歌は知らないので、どうすることもできなかったが・・・。
どの歌もほとんど歌詞は同様で、Jesus、God、redeemed、alive、rise といった単語がキーワードになっているようだ。
ちょっと自分は場違いなような気がしてならなかったが、本場のイースターがどんな感じかということは何となくつかめた。
 
その後で M 君と Kingsway 通り沿いでインド料理を食べ、コマーシャル・ドライブ近辺で飲むつもりだったがどこも混んでいて、結局コーヒーを飲んで帰った。
いつも思うことだが、日本から遠く離れて「外人」として異国で暮らしてみると、現地の友達の存在が本当にありがたく感じられる。
 

2011年4月23日土曜日

本の校正

4/22 (金) 晴れ
 
イースターの週末だが、本の校正をするために病院へ。
一日中オフィスには誰も来ず、真っ暗で静まり返っていた。
連休中に自分だけ仕事をしているのは、何となくつまらないような気がしなくもない。
この4連休を利用して友達とバンフへ行くという案もあったのだが、ちょっとしたトラブルから中止せざるを得なくなってしまったのだから、まあ仕方がないのだが・・・。
 
本の校正に関しては紙のやりとりをするということはなく、メールを使っての PDF のやりとりによって行なわれる。
指導医からは PDF が送られてきただけで大した説明もなかったのだが、どうもわれわれが書いた原稿をトロント大学の S 教授がところどころ表現を改め、さらにそれを編集部で言葉遣いを直すと言う段取りを踏んでいるらしい。
 
「Hypercapnea は有害だ」といったような主観を伴う強めの表現はことごとく削除されていた。
また、理由はよくわからないが、われわれが書いた「一側肺換気中は酸素飽和度を 90% 以上に保つ」という表現が、なぜか92~94%に改められていた。
 
残念ながら 92~94% の根拠となる文献がついておらず、今ひとつ説得力に欠ける気がしないでもない。
機会を見つけて、ぜひ S 教授にそのあたりの話を聞いてみたいと思っている。
 

2011年4月21日木曜日

講演会終了 --- 帰国へ一歩前進

4/20 (水) くもりのち雨
 
今日の水曜日朝恒例の講演会は、指導医と自分の番だった。
朝、もうちょっとのところでバスに乗り遅れ、遅刻ぎりぎりに着くはめになってしまい、けっこうあせった。
朝一番であせったためか、自分のパソコンがプロジェクターを認識しないとか、マイクが作動しないとか、指導医のパソコンがスライドショーのモードにならないとか、その後のトラブルには全く無頓着でいられた。
 
自分で言うのもなんだが、われわれの講演会はまあまあうまくいったのではないかと思う。
指導医が研究の背景や臨床へのインパクトを合計30分ぐらい話し、自分が途中でオリジナルのデータを15分ぐらい紹介したのだが、オリジナルのデータをもとに最新の話題を提供する人はほかにはいないため、注目度も高かったような気がする。
 
日本の大学だとオリジナルの仕事(原著)に重きが置かれ、最近はそうでもなくなりつつあるもののやはりどうしても臨床や教育が軽んじられる傾向にあると思う。
一方、こちらでは麻酔科医が大学あるいは病院に雇われているというよりは各々が病院で開業しているようなイメージなので、給料をもらいつつ臨床以外の仕事をするという感じにはなかなかならないようだ。
特に UBC に直接雇われてポジションを得ている麻酔科医ではなく、UBC から形だけポジションを得ている人はそうだと思う。
 
カナダでは著書をたくさん出版して学会でも名を馳せているような麻酔科医でも、オリジナルの仕事がなくて原著論文がひどく少ない人がけっこう多い。
そういう人たちでも麻酔業界や医療へのインパクトはものすごく大きいので、臨床への貢献という点では世界トップレベルだという点がおもしろい。
 
今日の講演会が終わってから、2009 年に書いたテキストのゲラ刷りが届いていることを知らされた。
発行が間近なことが実感され、今さらながら努力が報われつつあるように感じる。
PDF にして膨大な枚数で確認するのが大変だが、イースターの休みのうちにやっつけてしまおうと思っている。
 
講演会が終わって、あとはこの研究を学会で発表して論文に仕上げるという次のステップへ進んだ。
2009 年のテキストの発行が間近となったことと合わせて、帰国へ向かって一歩前進したことが実感された一日だった。
 

2011年4月20日水曜日

再会 --- なんちゃってイタリアンのオーナー

4/19 (火) 晴れのちくもり
 
PubMed で文献検索していたら指導医がふらりと現われ、講演会の練習を再度行なうことになった。
自分としては昨日と同様にやったつもりだが、どうも結果の提示のしかたが不満足だったらしく修正することになった。
 
パワーポイントで結果を提示する際には、自分としてはいつも1枚のスライドに十分に時間をかけ、同じようなことでもしつこく述べるようにしている。
初めて他人の研究を見る人に、1枚のスライドで「有意差があったのは○○と××と△△でした」と言っただけですぐに理解してもらえるわけがないからだ。
 
ところが指導医の立場としては、それが冗長という印象を持つことになったらしい。
もっとも母国語の日本語では一瞬で表現できることを英語では時間がかかるので、英語でプレゼンする場合は長々としゃべらないように心がけるぐらいでちょうどいいのかもしれない。
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City Square で偶然、ダウンタウンに住んでいた時によく通った「なんちゃってイタリアン」の店のオーナーとばったり出会った。
もう9ヶ月ぐらい会っていなかったが、よく覚えていてくれたものだと思う。
 
聞くところによると、店は数ヶ月前にたたんだとのこと。
店で働いている時は強烈な営業スマイルで客を引きつけ、ものすごい勢いでバリバリと働いていたが、今日は生気がなくてすっかりしぼんでしまったような印象を受けた。
ロブソン・パブリック・マーケットのフードコートはすぐに入れ替わってしまっていたので、なかなかビジネスで成功するのは難しいということなのかもしれない。
 

2011年4月19日火曜日

講演会の打ち合わせ

4/18 (月) 晴れのちくもり
 
いよいよ自分の講演会の番がまわってきた。
日本語で話す時以上に練習が肝心なので、今日は早朝からひとりでブツブツ練習を繰り返した。
一部重複分があるのだが、パワーポイントのスライドは21枚あり、おおむね全体で 12 分かかることがわかった。
 
その後、指導医がやって来て最終的な打ち合わせを行なった。
指導医のチェックが入った時はさすがにちょっと緊張したので、ちょっと早口になったらしく12 分を少し下回ったのだが、指導医としてはどうも自分に 15 分間程度はしゃべってもらいたいらしく、しゃべる内容を増やされてしまった。
 
また、自分の指導医はパワーポイントに凝るのはあまり好きでないらしく、せっかく暖色系のカラフルな文字を全て寒色系に修正されてしまった。
その後さらに何回か練習を繰り返し、結局、14 分程度でおさまる見込みとなった。
 
英語で話す時に問題になるのはそれ自体が難しいこと以外に、英語に集中してしまうために、アニメーションや別のスライドに一時的に移動したりといったワザがおろそかになりがちなことだ。
練習の最中に、何度もタイミングをはずしてしまった。
淡白なスライドにすればそういう苦労はいらないのだろうが、それではせっかくしゃべる楽しみも薄れるというもので、日本でのいつも通りのやり方で取り組んでいるところ。
 

2011年4月18日月曜日

サン・ラン完走しました

4/17 (日) 晴れ
 
ラッキーなことに今日は朝からよく晴れており、雨に濡れることなくサン・ランに参加することができた。
気温もそこそこ高くなったみたいで、Tシャツを重ね着して行ったら暑いぐらいだった。
 
正式タイムは明日の Vancouver Sun を待たないといけないが、手元の時計では残念ながら1時間を切ることができなかった。
去年よりも終始ペースは遅かったが、苦しくてペースを上げることもできなかったので、まあこれが現在の体力だということだろう。
 
途中まで日本語学校の保護者の方にくっついていったが、English Bay を走っている時に脱落してしまった。
なんとか完走したものの、去年よりも苦しい苦しいレースだった。
 

2011年4月17日日曜日

サン・ラン前日

4/16 (土) くもりのち晴れ 一時大雨と雹
 
いよいよ明日はサン・ラン本番である。
ここ1週間は全く走っていなかったので、今日は本当に形ばかりなのだけれども、Queen Elizabeth Park まで行って戻ってきた。
タイムは 20 分 9 秒。
 
いつものことだが、天気が危ぶまれる。
昨日の時点では、 17 日からの週の天気は全ての曜日で晴れマークと曇りマークが両方出ていたのに、さっき見たら全ての日で同じように雨だった。
1週間で全ての曜日が同じ天気予報というのが、いかにもバンクーバーらしい。
 
金曜日は夕方気分が悪くなって横にならざるを得なかったが、今日はまあまあ体調がいい。
講演会が近いためにちょっとがんばり過ぎたせいかもしれない。
タイムはともかくとして、明日は完走めざして走るつもり。
 

2011年4月15日金曜日

エクセル統計 2008

4/14 (木) くもりのち雨 一時雪
 
4月半ばなのにもかかわらず、昼間の気温は摂氏2度だった。
病院に手袋を持ってこなかったことを、はげしく後悔した。
しかも大家さんが言うには、一時雪が降ったとのこと。
 
寒すぎる。
信じられない。
次の日曜はいよいよサン・ランだが、氷雨の中を走ることだけはかんべんしてほしい。
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大学のサーバーが自分へのメールを拒否した件は、幸いなことに昨日のうちに解決した。
担当者によると、地震が起こったために安全システムが作動したことと関連があるとのこと。
大学が拒否したメールの中に、重要なものがなかったことを祈るばかり。
 
また、自分の統計ソフト「エクセル統計2008」の調子が悪かったことは、昨日すでに書いた。
それで「エクセル統計」で有名な株式会社エスミにものすごいロング・メールを書いて問い合わせたのだが、先方からなんと「うちの製品じゃありません」という返事がきた。
 
しかも丁寧なことに、おそらく SSRI という会社のものでしょうと、わざわざウェブサイトまで教えてくれた。
他社の製品のことまで教えてくれるなんて、さすがはエスミだと感心してしまった。
 
それで思い出したのだが、確かバンクーバーに来るにあたってその直前に統計ソフトを購入して、ラップ・トップにインストールしたのだった。
ユーザー登録をしたかどうかは記憶にない。
 

2011年4月14日木曜日

いろいろなトラブル

4/13 (水) くもり
 
今日はいろいろとトラブルの多い一日で、仕事がなかなかはかどらなかった。
まず、大学で使っている自分のメールアドレスが、受信拒否されている状態になっていることに偶然気づいた。
 
何度自分宛てにメールを送っても、拒否されてしまうのである。
大学のしかるべき機関に連絡を取って、現在対応してもらっているところ。
 
また、自分のラップ・トップの統計ソフトを使おうとしたら、いつのまにか使えない状態になっていることに気づいた。
ずっと前は順調に使っていたはずなのに、なぜか今日は「ユーザー登録がされていません」というメッセージが出て、一蹴されてしまった。
これについては、ソフトの会社に連絡しないといけないだろう。
 
しかたがないので D 先生おすすめのフリーの統計ソフトをダウンロードしたのだが、自分のラップ・トップでは動かなかった。
理由はわからない。
自分のオフィスのパソコンにもダウンロードしたが、そちらは動いたものの、肝心なところで使い方がわからず時間を無駄にしてしまった。
 
ついていない時は、こんなものかもしれない。
パソコンやネット関連のトラブルが膨大な時間を浪費するもとになるのは、あたりまえだが日本でもこっちでも同じようだ。
 

2011年4月13日水曜日

統計に関する打ち合わせ

4/12 (火) くもり
 
統計処理を担当してくれた D 先生および指導医の J 先生とミーティングを行なった。
D先生が STATA の出力の読み方をまず説明し、それらについて J 先生と自分が質問していくという形で話は進んだ。
 
多変量解析については自分はそんなに経験がないのだが、以前ちょっとだけやった時は、単変量解析の結果をふまえた上で、変数の選択はソフトウェアにおまかせしたような記憶がある。
その方が再現性があるし、恣意的に変数を選ぶことによる誤りを避けられると思ったからだ。
 
ところが D 先生は逆に、変数の選択に関しては自分の知恵をフルに活用してギリギリまで絞り込み、最後の最後にコンピュータに働かせるというパターンを採っていたようだ。
どちらが絶対的に優れているというわけでもなくポリシーの問題なのだと思うが、現時点では自分の経験不足のためにどちらがいいかの議論を展開するには到っていない。
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新しい店子は大家さんとの約束を守らず友達を連れ込んでいたために、今日は両者の間でバトルが展開していた。
もっともバトルをしかけているのは大家さんの方で、店子の方は一向に気にしていない。
「そんなに怒らないでよ、マミー」みたいな猫なで声で甘えていて、全く懲りていない様子だった。
ホームステイ・ビジネスは苦労が多いと思う。
 
その店子がケータイにどうやってデポジットしたらいいかわからないと言うので、手伝ってやった。
ケータイ会社のしかるべき番号にかけて、先方の(当然、英語の)指示に応じてボタンを押しつつ、最終的にはバウチャーに載っている 14 桁の番号を打ち込むというパターンなのだが、慣れないと確かに最初はなかなか難しい。
 
その店子は本当に落ち着きがなくて、指がつねにブラックベリーのボタンの上を行ったり来たりしていた。
しかも先方のアナウンスで “to confirm …” というメッセージの一部に対して “to” を “two” と勘違いしていきなり「2」のボタンを押したりするものだから、「テクニカルエラーが起きました」というメッセージとともに電話が切れるということの繰り返しで、本当にイラついた。
「だから押すなって言ってんのに」って思わず日本語で文句が出てしまう。
ほんの 10 秒間も待つことのできないキャラみたいだ。
 

2011年4月12日火曜日

解析から解釈へ

4/11 (月) 晴れ
 
データの統計処理をしてくれていた D 先生から、メールで結果のファイルが届いた。
ただでさえ統計は難しいのにあたり前だが英語で書いてあるし、STATA という統計ソフトを使っているらしいのだが、結果があまりにも複雑でよくわからない。
 
現時点ではかろうじて単変量解析に関しては、どういう項目をどんな方法で処理したかがおぼろげながら想像できる程度。
有意差があるのかないのか、どこを見ればいいのかがまず全然わからない。
 
明日はそのあたりのところを教わることになっている。
日本語でさえ困難なことを英語で教わるわけなので、まあある意味、明日は盛り上がることになりそうだ。
 

2011年4月11日月曜日

中東から来た店子

4/10 (日) 雨
 
昨日は先週と同様に公園を左回りに2周走り、タイムは1時間0分12秒。
1時間走り続ける自信はついたので、サン・ランではきっと Cambie の橋のたもとまでは少なくともたどり着くことはできるだろう。
 
今日は朝から雨でテニスは中止。
ダウンタウンの図書館に行って、文献の整理と統計方法の確認などを行なった。
 
図書館では自分のカードと PIN number とで、自分のパソコンでインターネットに接続できることを初めて知った。
係員に PIN number を設定したはずと言われ、確か自分で決めたのではなくて何かにちなんだ番号をあてがわれたことを思い出し、何回か失敗した後ようやくアクセスすることができた。
 
家に戻ると、中東某国からの新しい店子が到着していた。
大家さんのお姉さんのところの店子の友達だということで、新しい店子の友達も来ていた。
あまりにも偏食なので驚いた。
宗教上の理由以上のものがあるようだ。
 
1週間おいて次の月曜から英会話学校に通うらしい。
英語のレベルについては、”when” とか “where” とかも知らないようなレベルなのだが、大家さんが自分のことをジャパニーズだと紹介したら、”Oh, Fukushima, Fukushima” と言っていた。
地震以来、福島は中東まで知れわたっているようだ。
 

2011年4月9日土曜日

全てのデータ収集終了

4/8 (金) 晴れ
 
一部のデータ収集が残っていたので、診療録保管庫に再び通い始めたことは前に書いたと思う。
診療録がどこか別の病院に保管してあったということもあってなかなかそろえてもらえず、思ったよりも時間がかかってしまった。
最後の方は係の人にプレッシャーをかけることで、少しは早めてもらえたような気がする。
 
以前、いったんデータ収集を終了した時は、もうここに来ることはないだろう・・・と多少の感慨はあったように思うが、今回はまったくない。
論文の査読を受けた後で、追加のデータが必要なためにまた通い始めるという可能性がないわけではないから。
 
うだるような暑い日も、凍えそうな寒い日も、本当によく頑張ったと、自分で自分をほめてやりたい。
本当に暑かった日に UBC の学生と一緒に診療録保管庫で撮った写真があり、それは今度の講演会の時に使う予定。
 

2011年4月8日金曜日

パソコンが不調

4/7 (木) 晴れ
 
以前、ノートパソコンのバッテリーが壊れたことは書いた。
その時は電源ケーブルが抜けないように必死に押えながら仕事をして、こまめにバックアップをとるようにしていた。
 
今回はバッテリーは生きているのだが、AC 電源が使えなくなることが多くなってきた。
ふと気づくと画面が薄暗くなって、バッテリーが稼動している状態になっている。
 
以前から電源ケーブルと AC アダプターの間が妙にゆるくなったとは思っていた。
ゆるいのは今もそうなのだが、最近は電気的な接触まで甘くなってきているようだ。
ぐいっと差し込んでも、うまくいかないことが多い。
 
本当に使えなくなると仕事にならないので、今日はパソコンメーカーにメールで在庫がバンクーバー近辺にあるかどうか問い合わせてみた。
わざわざ 100 V 対応の製品をカナダに置いておくはずがないので、学会で一時帰国する時までとりあえずはだましだまし使うしかないかと思っている。
 

2011年4月6日水曜日

平穏な日々

4/5 (火) くもり
 
特に何ごともない平穏な日々が続いている。
ブログに書くネタがないのは困るのだが、言葉や習慣が異なる異国でまあまあ無事に暮らしていることは大いによしとしなければならない。
特に震災後はそう思う。
 
毎日コツコツと作業しているだけのことはあって、リフレッシャーコースのパワーポイントファイルはほぼ完成しつつある。
臨床をやりながらではこうはいかない。
今だからできるのだ。
 
数週間後に控えた講演会のパワーポイントも、統計処理が済みさえすれば完成できるところまでは仕上げた。
統計処理を担当している D 先生と時々話したりメールをやりとりしているのだが、やっぱり何かちょっと研究内容を誤解していることがあるように思う。
膝を交えてじっくり話をすることの重要さを感じる。
 

2011年4月4日月曜日

アウトドア・テニス@スタンレー・パーク

4/3 (日) くもりのち雨
 
ずっと楽しみにしていたスタンレー・パークでのテニス・ドリルが今日から始まった。
朝から重苦しい雲が垂れ込めていて、ひょっとしたら雨かもしれないと思っていたのだが、ラッキーなことに夕方までは天気がもってくれた。
 
インドア・テニスを一緒にやっていた G さんによるとものすごくうまい人たちが来るということだったし、テニスのコーチは自分と同じぐらいの技量の G さんを評して ”bottom” だと言っていたので、けっこう緊張してしまった。
しかし今日は定員12人に対して6人しか集まらず、自分が一緒にやるのが恥ずかしくなるぐらいうまい人はいなかったので、まあ楽しくやっていけた。
 
3面のテニス・コートに対して定員が12人なので、2時間ずっと打ちっぱなしと言うわけだ。
途中で息切れしてしまい、G さんとかコーチに心配されてしまった。
 
コーチ2人は夫婦らしいのだが、アジア系らしい男性コーチの英語がとてもわかりやすく助かった。
1回だけ何言っているのかわからないことがあったが、サーブがスライスするのでもっと右向きに打てということだったらしい。
 

2011年4月3日日曜日

Greek restaurant

4/2 (土) 晴れ時々くもり
 
サン・ランまでもう2週間しかないので、Queen Elizabeth Park のまわりを2周走った。
右回りだと急な坂があまりにもきついので、左回りに走ったのだが、往復も合わせてタイムは1時間0分57秒。
タイムは以前とくらべて早くはなっていないが、1時間走りきったのできっとサン・ランは完走できると思う。
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M君がダウンタウンのギリシア料理のレストランに連れて行ってくれた。
Thurlow と Davie の交差点から歩いてすぐのところにある Stepho’s Greek Taverna という店で、地元ではおそろしく有名らしい。
http://dinehere.ca/vancouver/stephos-greek-taverna
レストランなのに “Taverna” (食べるな)というのが笑える。
 
M君には 20 分は少なくとも待つと言われていたのだが、実際には少なくとも 30 分は外で行列の中にいたと思う。
店の前で並ぶのは日本人ぐらいかと思ったが、カナダ人も本当に価値のあるものには並ぶらしい。
何軒か隣にもギリシア料理の店があるのだが、そちらは閑古鳥が鳴いていてかわいそうなぐらいだった。
 
ラム肉の串刺しになったのとサラダ、ポテト、ライスがついていた。
ダウンタウンに住んでいた時にバビロン・カフェのチキン・シュバルマにはまったことは前にも書いたが、その時と同じように銀の器にのっていたサワークリームみたいなのが本当に中毒になりそうなぐらいうまい。
もしも家の台所にあったら、夜な夜ななめずってしまいそうなくせになりそうな味だと思う。
 

2011年4月2日土曜日

ペイントにハマった一日

4/1 (金) 雨
 
ここのところずっと日本麻酔科学会学術集会リフレッシャーコースの準備をしている。
図をふんだんに盛り込もうと思ってパワーポイントとペイントの間を行ったり来たりしているのだが、今日はペイントが全く動かずに困った。
 
ペイントを開いて何か作業をしようとするたびに、「メモリまたはリソースが足りないため、作業を完了できません」というメッセージが出てきて、いっこうに仕事が進まないのだ。
肺胞の絵を描こうと思って円をパワーポイントで描き、それをペイント上の消しゴムで一部消してから末梢気道を描こうとしても、ペーストしたものを動かそうとした時点で動かした軌跡が汚らしく残ってしまう。
仕方がないのでペイント上で円を描こうとしても、マウスを動かした痕跡が残ってしまい、全然うまくいかなかった。
 
ちょうどその時、コンピュータの右下に「仮想メモリ最小値が低すぎます」というメッセージが出ていたものだから、仮想メモリを設定したり、ハードディスクの容量を空けるためにいらないデータを捨てたりしたが、全くダメだった。
もちろん再起動してもダメ。
あたりまえなんだろうが、デフラグしてもダメだった。
 
最初からそうすれば良かったのだが初心に戻り、インターネットで「ペイント」、「メモリ」、「リソース」とキーワードを入れて調べた結果がこのウェブサイト。
http://support.microsoft.com/kb/129545/ja
ここには「これが唯一の解決方法」と書いてあったのだが、この唯一のものにたどりつくのに数時間以上かかってしまった。
 
原因は何日か前に、気管支に気管支ファイバーが嵌まり込んだ図を作るために、どこかの論文からダウンロードしたもともと大きい図を、さらに拡大してなぞったりしたことによるのだと思う。
毎日が productive な一日であるように願っているが、今日はつまらないことで苦労してしまい、productive からはほど遠かった。
 

2011年3月31日木曜日

2度目の校正

3/30 (水) 雨
 
日本麻酔科学会から、学術総会の時のリフレッシャー・コースのテキスト原稿について、2度目の校正を行なうようにとのメールが来た。
1回でも十分なんじゃないかと思うのだが、念には念を入れるということなのだろう。
すごい気合いの入りようだと思ってしまう。
 
リフレッシャー・コースもそうだが、来月ある講演会のパワーポイントの資料も現在同時進行で作っており、肝心の研究活動がおろそかになりそうなぐらい忙しい。
しかもつい最近まで、2つの論文の査読も同時に行なっていた。
1週間以内に返送しないといけないので、すき間時間を見つけてこつこつ校正作業をしていきたい。
 
ここにいる分には臨床活動はないし当直もないので、どんなに忙しくてもそういったタスクをなんとかこなしていけるのだが、帰国後はなかなかそうはいかないだろう。
臨床に戻るのは楽しみでもあり、自分ひとりではなく相手(外科系医師、患者)があることなので緊張感もある。
 

2011年3月30日水曜日

オーストラリアの研究者

3/29 (火) 雨
 
この前の土曜日にオーストラリアから大家さんの親戚が来ていて、ずっと泊まっている。
彼女はずいぶん高齢だと思うのだが今も大学に研究者として籍を置いていて、人類学のようなことを研究しているらしい。
日本の歴史にもけっこうくわしい。
 
ふだんは夜は9時には寝て、朝は5時に起きるのだそうだ。
同じ研究者でも医者だとそうはいかない。
また、テレビはニュースぐらいしか見ないらしい。
まるで「天才 柳沢教授の生活」みたいな人だと思ってしまった。
http://morningmanga.com/lineup/6
 
どうもオーストラリアでは雨があまりふらないらしく、食器洗いの時の彼女の水の節約ぶりは徹底している。
2つの流しに水をためこみ、一方では洗剤で食器を洗い、もう一方ではすすいでいた。
決して水道水を流しっぱなしにすることがない。
 
ついうっかり、「食器洗浄機だと手洗いよりもさらに水が節約できるらしいですよ~」と口走ったら、「なんで?」「どうして?」「どういう機序で?」と、グイグイ攻め込まれてしまってとても困った。
 

2011年3月28日月曜日

カナダらしくないテニス

3/27 (日) くもり
 
インドア・テニスが終わったことは、ずいぶん前に書いたような気がする。
来週からスタンレー・パークでテニス・ドリルが始まるのだが、昨日はなぜかそのテニスのコーチからインドア・テニスのメンバーにメールがあった。
 
今日の午後からテニスをしにスタンレー・パークに来ないかというもので、特に用事もないので出かけてきた。
同様にやって来た人がもう一人いて、結局2人で2時間近くテニスをすることになった。
体力のある若者の相手をするのはたいへんだった。
 
途中でコーチがやって来て、来週からのドリルについて説明があった。
誤解を怖れずに言えば、カナダでは何かにつけイージー・ゴーイングで、何でも適当にやって楽しければ OK みたいなイメージを持つことが正直なところ多いのだが、それとは全く対照的にコーチはシリアスな雰囲気を醸し出していた。
 
おおざっぱに要約すると、「インドア・テニスと外は全然違うものだから覚悟するように。人数は制限を超える場合があるので、ついて来れない者は別の曜日にまわってもらう。初心者のうちは道具に金をかけるな。外は寒いので身体を冷やさないように上着を持ってくること。ついて来れば、たとえ初心者でも数年後にはうまくなれる」といった感じだろうか・・・。
「ついて来られなければ別のクラスにまわる」、「ついて来れば成果を約束する」といったあたりは、なんか日本の学習塾を思い起こさせるものがあるような気がする。
 
先日、バスの中でなぜか左肩を傷めてから、バックハンドを両手で打てなくなってしまった。
左手で柱につかまっていたらバスが突然急ブレーキで止まり、そのはずみに身体だけ前に進んだ時に左上肢が過度に外転してしまったのだ。
 
ただ走るだけでも肩が痛い。
もっとも 30 分以上走っていると内因性オピオイドが分泌されるせいか、途中で痛みは感じなくなることが多い。
 

2011年3月27日日曜日

Harrison Hot Spring

3/26 (土) 晴れのちくもり 夜は雨
 
病院で知りあった友人とそのまた友人の3人で、Harrison hot spring にドライブに出かけた。
ホームページで見るととてもきれいな温泉なのだが、おそらくこれはホテルのものだと思う。
http://www.harrisonresort.com/
 
われわれが行ったのは公営の温泉で、見た目は縦が約 20 メートル、横が約 7 メートルの屋内プールといった感じだった。
一方からは熱いお湯が吹き出ていて、おそらくその周囲の水温は 40 ℃弱といったところなのだろうが、反対側からはぬるいお湯が出ていて、たぶんそっちは 30 ℃台半ばだったのではないだろうか。
 
カナダなので、もちろん水着着用で入った。
日本の温泉ランドほど立派ではない。
 
そこにはせいぜい1時間ほどいてあとはまわりを散策でもしようと思っていたのだが、なんとそこに結局5時間ぐらいずっと浸かっていて、皮膚がふやけてしまうと思うほどだった。
そこのリゾート地で写真を撮ったので載せておく。
(・・・と思ったのだが、アップロードがうまくいかないので、また後日・・・ということにする)
 
夜は大家さんのお姉さん夫婦の結婚記念日のパーティに招待された。
ファミリーが一堂に集まって、とてもにぎやかなものだった。
 

2011年3月24日木曜日

BC Liquor での募金

3/23 (水) 晴れ
 
今日も指導医がフェローの研究室にふらりと現われ、日本の家族の様子などをたずねてきた。
原子力発電所のことはあいかわらず心配だが、スーパーの食料品などの供給状況は改善しているみたいだと答えておいたのだが、すると彼は日本製品でオペ室への供給が滞っているものがあると言う。
 
何のことだかさっぱりわからなかったが、彼によるとどうやら “Fuji Blocker” の在庫がなくなって困っているとのこと。
http://www.fuji-sys.jp/article/13440401.html
思わぬところで、北米の胸部麻酔が震災の影響を受けているというわけだ。
 
今週の土曜日は大家さんの親戚の結婚記念日のディナーがある。
およばれされた立場としては何か買い物でもして貢献しようと思い、今日は BC Liquor にワインを買いに行った。
 
BC Liquor では現在、日本の震災への募金を行なっており、レジで前に並んでいた客が5ドル寄附していた。
http://www.bcliquorstores.com/newsrelease/bc-liquor-stores-collect-donations-japan-relief
こういうレジでの募金にはどうも慣れず、自分はいつもやり過ごしてしまうのだが、後ろの客もやはり5ドル寄附していたのには驚いた。
 
BC 州の人口 430 万人のうちどれぐらいの人が BC Liquor に行くのか知らないが、このペースだと相当の額が集まり、震災地の復興に役立てられるように思う。
土曜日にはまた BC Liquor にビールを買いに行くので、その時には自分もいくらか募金して貢献しようと思っている。
 

2011年3月23日水曜日

自分の番

3/22 (火) くもり一時雨 夕方は晴れ
 
毎週水曜日の朝、持ち回りで講演会があることは今まで何回か書いてきた。
どんな感じで講演会が行なわれるのかがわかってきたので、最近は内容についてこのブログに批判的なことを書くことも多くなっているように思う。
 
しかしついにというか、来月なのだがようやく自分の番が来ることになってしまった。
そうは言ってもフルに1時間しゃべるのではなく、自分の指導医が当番の時に 10~15 分程度話すだけなのだが・・・。
 
聞くだけなのと自分でやるのとではずいぶん話が変わってくる。
今から少し緊張している。
指導医が自分の(東京の)大学の写真を混ぜて紹介がてらしゃべればいいのではないかと言っていたので、写真を手に入れるべく東京の職場にお願いのメールを送ったところ。
 

2011年3月21日月曜日

Central Library

3/20 (日) 晴れのちくもり
 
昨日と同じコースを走り、タイムは昨日と全く同じ 38 分 06 秒だった。
休日だったがテニスをするあてもなかったので、午前中走ってから、午後は図書館に行ってきた。
 
今まで何回か分館に行ったことはあったが、1年半以上も住んでいながら Central Library の中に入るのは今日が初めてだった。
建物は7階建てで、一番上は事務室みたいな感じになっていたような気がする。
 
6階から下にそれぞれ書庫やパソコン、閲覧用の机があった。
机には電源があるところとないところがあり、自分のパソコンを使いたかったので電源を求めてさまよってしまった。
 
Library の中ではインターネットに接続できるのだが、うっかり自分の ID とパスワードを忘れてしまったために使えなかった。
以前、分館で教えてもらった時のメモ書きがどこかにあるはずなので、これから探すことにする。
 
日本の図書館だったら電源が使えるのが普通だと思う。
しかしこちらの病院に隣接する建物の小さな図書館では、電源のソケットはあるものの、わざわざ使えないように中身がスカスカにしてある。
 
それでは机の蛍光灯用の電源を抜いてパソコンの電源をつなげばいいということになるのだが、ご丁寧なことに蛍光灯の電源ケーブルは特殊な形状をしており、それを抜いて電気を「不正に使用」できないようになっているのである。
その点、Central Library では電気が使える分、まあ太っ腹ということになるのだろう。
 

2011年3月20日日曜日

4度目の停電

3/19 (土) 雨のちくもり 夕方から晴れ
この前の日曜日と同じコースを走り、38 分 06 秒。
 
右の写真は日本語学校の図書館での potluck lunch の準備のひとコマ。
自分は最初から他力本願で、大家さんに頼んでいくつかおかずを持たせてもらった。
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夜9時半ごろだったと思うのだが、ここに引っ越してきてから4度目の停電があった。
前にも書いたが自分の部屋は半地下にあるため、停電になると真の暗闇になる。
壁伝いに階段に向かったところ、大家さんが懐中電灯を片手に待ち受けていた。
 
停電はウチだけでなく、まわりの住宅も真っ暗だった。
電気は5分ぐらいで復旧した。
 
突然の停電にもかかわらず、困ったには困ったのだが、今回は気分的にはふしぎと落ち着いていた。
被災地では停電どころか命を失ったり、家族と離ればなれになった人たちが多いこととか、被災地でなくても輪番停電や電気節約のために真っ暗な中で仕事や生活を強いられている人たちがいっぱいいるということを、日本から遠く離れたここでも考えずにはいられない。