2010年1月31日日曜日

Multimodal analgesia 講演会

1/30 (土) 雨

今週の水曜日に、シカゴから演者を招いての multimodal analgesia に関する講演会があったので、備忘録として簡単に残しておく。
講演の内容だけでなく、一部、自分があとで調べたことも含まれている。

Multimodal analgesia では、異なるクラスの鎮痛薬の組み合わせや異なる経路で薬物を投与することによって、効果的に鎮痛を得るとともに薬物による副作用の減少をはかることをねらいとしている。
Kehlet H et al. Anesth Analg 1993; 77: 1048-1056
Joshi JP. Anesthesiol Clin North America 2005; 23: 185-202.

2009年の時点で multimodal analgesia に関する論文は、Pubmed によると457件。
そのうちヒトに関する RCT は106件。

52件の論文からなるメタアナリシスによると、multimodal analgesia を用いることで術後のモルヒネ消費量と VAS をともに低下させることができた。
Elia N et al. Anesthesiology 2005; 103: 1296-1304.

術後の慢性痛は、心外で 20%、ソケイヘルニアで 9.8-31%、TKA で19.8% と比較的に高い。

Memantine が上肢アンプタ後の幻視痛を防ぐのに有用であるとの報告あり。
Schley M et al. Eur J Pain 2007; 11: 299-308.

将来的には、TRPV1 agonist などが術後慢性痛に有効なのではないかと期待されているもよう。

2010年1月30日土曜日

ネイティブに英語を教える

1/29 (金) くもり一時雨

臨床研究で必要な患者数を知るために、予備的研究を行なった。
とりあえずは発症率のようなものが算出できたので、それをもとに患者数を設定することになる見通し。
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病院での研究活動のあとで、まるで部活のように毎日英会話クラブに通っている。
英会話クラブでは英語を学ぶだけでなく、時々カナダ人に日本語を英語交じりで教えている。
現地の知り合いができるし、自分の英語力も上がるし、さらに英会話を学ぶ際の料金の割引きを受けられるというメリットもある。

特に決まった教材があるわけではないので、カナダ人たちはそれぞれ自分でテキストなどを適当に選んで持ってくる。
そしてレッスンの中で彼らはテキストの中の日本語を英語に訳し、それをさらに日本語に戻すという作業を希望することが多い。

たとえネイティブであっても、日本語を英語に訳すという作業はかなり大変なようだ。
自分でもわかるくらい超不自然な英文ができあがるため、ネイティブである彼らのストレスが相当なものだ。
英語を始めたばかりの日本人が英文和訳をすると、不自然な日本文ができあがるのとかなり似ている。

そんな時に「こんなふうに訳すといいですよ~」とばかりに、自分が正解と思われる英文をしゃべるのだが、ネイティブスピーカーに英語を教えているようでとても変な気分がする。
もっとも、自分が英語に訳す日本語は「新聞によると、水道料金が値上がりするそうだ」といったような、受験の時にさんざんやったような比較的に簡単なものばかりなので、ほとんど苦労はいらないのだ。

それでも時々、例えば「まで」の使い方で "by" か "until" かでネイティブと激論したりすることもある。
こっちは日本文の解釈には自信があるが、ネイティブは英語に自信があるのでお互いに譲らないのだ。

2010年1月29日金曜日

オリンピックと公共交通機関

1/28 (木) くもり一時雨

今朝、バスでカナダラインの駅まで行こうとしたら、めずらしく車内アナウンスがあった。
オリンピックとパラリンピックのために2月から3月の初めにかけて主要道路が閉鎖されるので、バスが迂回することになるとのこと。
http://www.translink.ca/en/Schedules-and-Maps/Transit-Service-Improvements.aspx#downtown_vancouver

「○○通りを左折、いや違った右折、次の△△通りを左折、それから××通りを左折・・・」みたいな感じで迂回路を延々と説明していたが、ものすごくクネクネ曲がるということだけはよくわかった。
この期間中はアパートから駅まで歩かざるをえないようだ。

自分としてはオリンピックだからしかたがない・・・と受け止めているのだが、永住者および年配の方の中には露骨に迷惑だといっている人も少なくない。
スカイトレインも利用者が倍になることから、通勤時間がふだんは30分のところが2時間になるというような話を聞かされることもある。
また、喧騒のバンクーバーを逃れて旅行に出かけ、その間、自分の家を賃貸する人もいるらしい。

病院のまわりも駐車の制限が厳しくなる見通し。
オリンピックは街のすみずみのいたるところまで、人々の生活に大きな影響を与えている。

2010年1月28日木曜日

TEXAS HOLD'EM

1/27 (水) 晴れ

近所の巨大スーパーに行って買い物を済ませると、いつもというわけではないのだが、TEXAS HOLD'EM というカードをもらうことがある。
表面にはチップとトランプの絵が、中をめくるとトランプの絵が7枚ほど描いてあり、"FOLD!" と書いてある。

さらにインターネットでこのスーパーのウェブサイトにアクセスすると、このゲームができると書いてある。
http://www.safeway.ca/
どんなゲームかよくわからないのでしばらく放っておいたのだが、最近英会話クラブで出会うカナダ人にやり方を教えてもらったので、少しは遊ぶことができるようになった。

TEXAS HOLD'EM では結局はポーカーのようにロイヤルストレートフラッシュなどの役を作ればいいのだが、最初に配られるのが2枚だけであること、プレーヤーが共通に使えるカードが何枚かずつ場に置かれ、置かれるたびにチップを増やしていく点がポーカーとは異なるのだと思う。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%86%E3%82%AD%E3%82%B5%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%9B%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%87%E3%83%A0

ルールを見ただけでは簡単そうに見えるのだが、場にカードが置かれるたびにプレーヤー間の強さが容易に逆転しうる点が、ものすごく複雑だと感じた。
知り合ったカナダ人の中にはインターネットにクレジットカードを登録して現金の授受をしたり、ダウンタウンにあるカジノに実際に出かけていって賭けたりすると言っていた人もいた。

夕方のテレビ番組でカードゲームの中継をしているくらいなので、国民の生活に溶け込んでいるものなのかもしれない。

2010年1月27日水曜日

岡崎選手・バンクーバー入り

1/26 (火) くもり

昼ごはんの時に研究室でヤフーのスポーツ情報を見ていたら、スピードスケートの岡崎朋美選手が26日に成田空港を出発したと書いてあった。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20100126-00000019-maip-spo.view-000

どこの航空会社を使っているのかは知らないが、いずれにしてもバンクーバー国際空港に着くのは同日の午前中だから・・・と、しばし考え、もう着いてるはずだということに気づいた。

ジーンズにポロシャツくらいの気楽な格好で過ごしたとしてもかなり疲れるのに、いくらビジネスクラスだとしても日本選手団のスーツを着た状態で注目されながら8時間半も飛ぶのは本当に大変だったことだろう。
(本当に大変なのは、これからなのだろうけれども・・・)

アルペン・スキーの選手はいまだにW杯を戦っているようだし、フィギュア・スケートは四大陸が始まったばかりみたいだ。
これから続々と日本選手がやって来ることになると思うので、日本人どうしの会話のネタには困らない。

2010年1月26日火曜日

マッチング

1/25 (月) くもりのち雨

研究室のある建物に若い人たちがたくさんあふれ、教官がふだん使っている研究室のドアに CaRMS の Interview 会場であるようなことが書いてあった。
CaRMS とは Canadian Resident Matching Service の略称で、卒後教育のマッチングを司っているところらしい。
http://www.carms.ca/eng/index.shtml

日本の大学だと卒後臨床教育センターのような部署が試験のようなものを行なうが、ここでは Anesthesia とか Emergency Medicine といった部門ごとに面接を行なっていた。
システムが異なるもよう。

先日の備忘録に記入した「馬に乗っていた警察官」は、その後 Royal Canadian Mounted Police (RCMP) だったことがわかった。
http://www.rcmp-grc.gc.ca/index-eng.htm
ホームページによると、気の毒なことに先日のハイチの大地震のために殉職した人がいるようだ。

2010年1月25日月曜日

美術館裏のスクリーン

1/24 (日) くもちのち雨

右の写真は美術館の裏に、大きなスクリーンが設置された様子を示したもの。
この場所は Robson Street 沿いで正面玄関の真裏にあたり、ほぼ南側にあたるので、特に暖かい日は人々が日向ぼっこする場所でもある。
  
休みの日にはその辺に腰掛けて、チェスに興じている人々もいる。
その一方で、夜にはホームレスの寝場所にもなっている。
  
この場所は先週1週間くらい封鎖されたおり、何か建造されている様子だということはわかった。
週の半ばあたりにスクリーンが設置され、昨日くらいから実際に映像が写されるようになった。
毎朝病院に行く時にここを通るのだが、気の毒なことに雨の日も寒い日も警備員がいて見張っていた。
  
ダウンタウンにはここを含めて2箇所ほど、オリンピックを見ることができる場所がありそう。
CBC ニュースの動画でも紹介されていた。

2010年1月24日日曜日

変わりゆく街なみ

1/23 (土) くもり ところどころ晴れ間あり

おそらくオリンピックのためだと思うが、ダウンタウンの街なみが毎日少しずつ変化しているのがわかる。
昨日帰る時はなかったものが今朝はある・・・みたいな感じ。

右の写真は今日の昼間の Granville Street の様子。
日本の提灯とはちょっと違うのだが、ランタンがいたるところにあり夜の街を彩っている。
http://www.globaltvbc.com/entertainment/lanterns+mark+Lunar+Year/2478100/story.html
上記のウェブサイトによると、カナダと台湾の子供たちがランタンの飾りつけをしたとのこと。

自分が昨年9月にバンクーバーに来て以来、この場所はずっと歩行者天国だった。
それが2週間くらい前から仕切りが設けられ、その内側に少しずつ物が増えていく様子がよくわかったのだが、昨日くらいからその仕切りがなくなって公開された。

2010年1月23日土曜日

オリンピック・ライン開通

1/22 (金) 晴れ

バンクーバーでオリンピック・ラインという路面電車が開通したらしい。
選手村近辺と観光地を結んでおり、しばらくは無料で乗ることができるとのこと。
http://olympichostcity.vancouver.ca/gettingaround/publictransit/olympic-line/

・・・などと書くといかにも現地情報という感じがするのだが、自分はこれをついさっき、朝日新聞のウェブサイトで知った。
http://www.asahi.com/olympics/news/TKY201001230156.html

もしも自分が今日本に住んでいて、そのそばで路面電車が開通するとなると、当然そのしばらく前から知っていたはず。
それをさっきまで知らなかったということは、言葉の問題とか、飲み友達がいないとかの理由があるのだろうが、やはり情報がどこかで遮断されていてすんなり入ってきていないような気がする。

コスモポリタンへの道は険しいってことかな。

2010年1月22日金曜日

超音波ガイド下硬膜外ブロック

1/21 (木) くもり 夕方は晴れ間が見えた

昨日のカンファレンスは超音波ガイド下ブロックに関するものだったが、その時間のほとんどは硬膜外ブロックに費やされた。
超音波ガイド下で行なうメリットは、後側弯症や強直性脊椎炎の合併、過去に手術歴を有する、病的肥満といった限られた患者層においてのみ認められる。

一般の患者層に対して超音波ガイド下で硬膜外ブロックを行なったとしても、患者の転帰には有意な改善が見られるわけではない。
伝統的な方法とくらべても、試行回数が減るといったメリットがある程度で、むしろ時間はよけいにかかることになる。

講演のあとでデモがあった。
硬膜を描出するのは腰椎領域では容易だが、胸椎レベルでは難しそう。

☆ 関連するウェブサイト
超音波ガイド下神経ブロック http://neuraxiom.com/
Sonosite のウェブサイトで実際の様子をビデオで見ることができる
http://www.sonosite.com/education/anesthesiology/clinical-tutorials/

2010年1月21日木曜日

カナディアンとアイスホッケー

1/20 (水) くもり

午後7時50分頃、Robson Street を馬に乗った警官が10人(頭)くらい行進していた。
オリンピックの予行練習かも?
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英会話クラブでカナダ人と話していると、彼らのアイスホッケーへの思い入れに圧倒されることがある。
彼らにとってオリンピックといえばアイスホッケーで、アイスホッケーさえ「ゴールド」ならあとはどうでもいいといった勢いである。
例外的に彼らの両親の片方が日本人だったりすると、日本のスポーツ事情をよく知っていて女子フィギュアスケートの話題にもなったりするが、たいていはそうはならない。

前回のトリノオリンピックでの屈辱的な敗北も、彼らの思い入れを加速させているようである。
そうは言ってもカナダにはライバルが多く、スウェーデン、ロシア、米国などが強いのだそうだ。
金への道のりは険しい。

昨年末にトロントから訪問教授が来た時、パワーポイントのプレゼンの中にトロントのプロチーム (Toronto Maple Leafs) の写真が出てきたのだが、その時講義を受けていたバンクーバーの麻酔科医たちのブーイングが激しかったことも、彼らの思い入れを感じさせるものがある。
バンクーバーには Vancouver Canucks があり、街全体が応援しているような雰囲気がある。

オリンピックが近づき、ダウンタウンに巨大スクリーンと思われる施設がいくつか建設されつつある。
自分の部屋にはテレビがないので、本番の時にはそこで楽しみたいと思っている。
が、おそらくアイスホッケーに関しては、近づくことができないくらいの混雑となるものと予想される。

2010年1月20日水曜日

気管支ブロッカー

1/19 (火) くもり一時小雨

気管支ブロッカーを使う機会に恵まれたので、忘れないうちに備忘録として残しておく。
今日使ったのは Cohen Endobronchial Blocker で、右下葉枝の分離に用いた。
http://www.cook-inc.com/cc/dataSheet.do?id=3989

あの有名な Cohen 教授の名を冠したブロッカーである。
COOK社の 9Fr の Arndt Endobronchial Blocker のバルーン部分が楕円形で、特に左主気管支の分離に向いているのに対し、
http://www.cookmedical.com/cc/dataSheet.do?id=3988
Cohen Endobronchial Blocker は 9Fr でもバルーンが球状で細い枝の分離が行いやすいので、片肺全体の虚脱が必要ない場合や、低酸素血症のリスクが高い症例で有用である。

さらに Cohen Endobronchial Blocker では写真をよく見ると先端に矢印がついており、それを目標とする位置にあわせて手元のホイールを回すと、先端が曲がって目標に到達しやすくなる。
もちろん、操作は気管支ファイバーでの観察下で行なう。

そんなにいいのならさぞ人気があるだろうと思ったら、どうもここの病院での一番人気は Fuji System の Fuji Uniblocker なのだそうだ。
http://www.lmapacmed.com/products/anaesthesia/intubation/fuji-uniblocker.html
(カタログは上記サイトからダウンロードできます。)

この日本が誇るべき気管支ブロッカーは、先端の操作性がさらに優れているのだそうだ。
日本製品が評判がいいのは嬉しいことだが、自分は使ったことが1回もないので、それがちょっとはずかしい。

2010年1月19日火曜日

偶然

1/18 (月) 朝は雨、その後晴れ

今日も乾燥機の中の洗濯物を取りに来ない輩がいる。
1時間待ったので乾燥機から取り出し、自分の洗濯物を入れた。

もうよけいな我慢はしない。
文句を言ってきたら闘うのみ。
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英会話クラブで受付の M さんから、自分が研究に従事している病院を見学したい人がいるので相談にのってあげてほしいと言われた。
まあそう言われれば一肌脱ぐしかないが、正直なところあんまり力になれないのではないか・・・とも思った。
自分はそこの常勤医というわけではなく、一人の外国人研究者に過ぎないのだから。

放射線技師というふれこみだったが、実際会ってみたらラボで働く技師さんということだった。
驚くべきことに、ウチの大学の某外科系の技師さんだった。

日本の大学だけでも80個くらいあるのに、どうしてよりによってウチの大学だったのだろう。
その英会話クラブでの自分の所業が全部大学に筒抜けになりそうで、ちょっとこわい・・・。

もっとすごい偶然が日本語学校の図書館のボランティアであったので、忘れないように備忘録として残しておく。
ボランティアで働いているおねえさまがたお二人は、同じ小学校だったとのこと。
もちろん一緒に渡加したというわけではない。
別々に来たのである。

それでどこの小学校か訊ねてみたら、なんと自分の生家から一番近い小学校だった。
学区域の関係から自分はそこの小学校に通っていたわけではないのだが、そこの学校の連中とはしばしば遊び場をめぐる抗争を行なっていたので、妙になつかしかった。

異国の図書館のボランティアの3人が3人とも、お互いに歩いて10分以内に住んでいたっていうのは、ものすごい偶然だと思う。
小さい頃通っていた歯医者が同じだったというのは本当に笑えた。

こういうのをどう表現したらいいのかわからないが、バンクーバーまで来てみたものの思い描いていたいわゆる「インターナショナルな活躍」とは程遠い、自分の生まれや育ちと密接に関連している何かにとりつかれているように感じる。

2010年1月18日月曜日

見える人・知っている人のコワイ言葉

1/17 (日) くもり時々小雨

日本で行なった研究のうち、2つについて論文を書き残していた。
今日はそのうちの一つについて、概ね書き上げたところ。
明日もう一度チェックして、共同著者の意見を求めるつもり。
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日本語学校の図書館で、恐怖系の本が大量に入った。
寄付して下さった方がいたらしく、昨日はその話題で大いに盛り上がった。
自分も1冊借りてきて読んでいるところ。

コワイ話にはいろいろなパターンがあるのだが、自分が一番コワイと思うのは、自分に見えない霊のようなものを見える人がいて、親切(あるいはおせっかい)にも自分にいろいろと教えてくれるというパターンだ。
例えば、「引っ越してから変なこと起こってない?」とか、「また引っ越すって約束するのなら教えてあげる」などと言われたら、それは明らかに家に何かが憑いてるっていうことを意味しているわけである。

しかもそれを確かめるべくその家を借りた不動産屋を訊ねたとたん、不動産屋の顔色がさっと変わったりしようものなら、もうそれは確定的である。
その部屋で何か事件があり、それに関連する何かがその部屋に憑いているというわけである。

この本を読んでいて思い出したのだが、日本を発つ直前に海外在住経験のある某先生が自分のところに駆け寄ってきてくれて、「先生、お世話になりましたっ!」って言ってくれたことがあった。
多くの若い先生たちは瞳を輝かせて(散瞳ぎみに)「バンクーバーってどんなところですか?」とか、「どんな研究をするんですか?」などと訊いてくれたのだが、対照的に彼女は伏目がちにしかも瞳はやや縮瞳しており、額中央にしわを寄せつつ「本当にいろいろと大変なことが多いとは思いますが、頑張って下さいね」と心配そうに言ってくれた。

今は「そんなこともあったな~」と懐かしく思い出せるのだが、当時は本当に恐怖を感じた。
何年も海外暮らしをした人が本気で心配してくれる「大変なこと」って何だろう???
これは霊を見ることのできる人のコワイ一言に匹敵するわけで、バンクーバーに着いてからもしばらくは見えない恐怖と闘っていたような気もする。

自分が帰国してそのあとに留学する人がいたら、今度は自分が伏目がちに縮瞳させ、額にしわを寄せながら激励してあげようと思う。
でも、現時点ではまだまだその境地には遠く、自分には苦労が足りないようにも感じる。

2010年1月16日土曜日

間隙への突っ込み

1/15 (金) 雨 昼から晴れ

英会話を本格的に始めてから、1週間たった。
1時間みっちり話すというのは思ったよりも大変で、それは英語で話すからということもあるが、話題がなくなってしまうことがあるからだ。
会話は生き物だし人間どうしの相性もあるから難しいのだが、会話をする2人の協力がないとうまくいかないように感じる。

それで話題切れを防ぐために、最近は話題をたっぷり用意してから英会話に出かけることにしている。 おかげでハイチの地震のこと、オグシオの片方(小椋さん)の引退などについては、相当詳しくなった。

たった1週間で話せるようになるわけがないのだが、以前からの積み重ねがあるからか、最近、思考回路がつながってきたように思う。
以前は相手が英語で話し終わるのをじっと待って、それからこっちもじっくり考え重い口を開くという感じだった。
今は少し相手の話の持って行き方の予測がある程度できるようになったからか、相手の話が終わる前に一息つくかつかないかの隙間をねらって、質問したり同意したりすることができるようになったように感じる。

日本にいた時は NOV● に行っていたが、そこでは VOICE という先生1人に対して生徒が多数で自由にしゃべるというレッスンがあるのだが、上級者はつねに先生の話が終わる前につっこみをいれていたので、上級者が先生を独占してしまうという現象がしばしば見られた。
今、自分が日本に戻れば、多少はそんなこともできるような気がする。

もっともそれはマナー違反でもあり、ほかの生徒に嫌われる原因にもなってしまうのだが・・・。
こちらの英会話では1対1なので、そういう気兼ねはいらない。

まだ研究のプロトコールは指導医がチェックしているところなので、今のところ自分には時間がたくさんある。
日本でやり残した論文も書いているが、それだけではつまらないので、真の英会話上級者を目指してがんばる・・・というよりも思いっきり凝ってみたいと思っている。

2010年1月15日金曜日

McGrath ビデオ喉頭鏡

1/14 (木) 一日中雨

昨日の OPTI-Gard について、日本でも売っているというつっこみを Nao さんからいただいた。
http://www.leaders.co.jp/seihin2.html
それならぜひ大学のオペ室で購入していただいて、これを着用した上で宴会とかやることにしましょう!

今日は挿管困難が疑われる症例があり、レジデントの S 先生が McGrath ビデオ喉頭鏡を準備していた。
http://www.aircraftmedical.com/products
結局、使わずに済んだけど。

指導医の S 先生によると、アンギオ室のようにオペ室から遠く離れた Glidescope を持って行きずらい場所での麻酔では重宝するとのことだった。
ここでは挿管困難の場合の器具の選択を論じようとするとみんながみんな Glidescope が第一選択で、それにくらべて他の喉頭鏡がどうか・・・といった形での評価が行なわれている。

果たしてそんなに Glidescope っていいものだろうか?
コンパクトな分だけ、McGrath ビデオ喉頭鏡やエアウェイスコープの方が便利なような気がするが・・・。

2010年1月14日木曜日

仮面舞踏会?

1/13 (水) くもり一時雨

日本では見かけたことがなかったのだが、OPTI-Gard というアイガードを使っているのを見た。
http://www.dupacoinc.com/OptiGard.html
顔面付近で手術を行なっている際に、術者が手や腕、あるいは器械などで患者の目を圧迫したり突いたりしてしまうことを防ぐためのものである。

なぜか「仮面舞踏会」を思い起こさせる形状をしている?
目を保護することが第一の目的なので、まわりの青い部分は製作者の遊び心が表れているように思うのだが・・・。

日本でもあるのではないかと思い、「目 プロテクター」、「アイ ガード」、「アイ プロテクター」などのキーワードでグーグルしてみたが、スポーツ用あるいは溶接用のものはあるものの、医療用のものは見当たらなかった。
麻酔中の眼の合併症を防ぐのに役立ちそうなので、日本でも使うようおすすめしたい。

2010年1月13日水曜日

暖かいバンクーバー

1/12 (火) 雨ときどきくもり

昨日、2つめの研究のプロトコールのたたき台ができあがった。
こちらはさまざまな問題があるので、指導医との話し合いが必要になると思われる。
指導医が検討している間に、日本で書き残した論文を仕上げようと思っている。
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カナダが北国ということから、日本からのメールでしばしば寒さについてお気遣いをいただくことがある。
寒い時は確かに寒いのだが、この2日間くらいはバンクーバーは暖かい。
正確な気温は知らないのだが、天気予報の情報から摂氏 10 度程度にはなっているもよう。

一方、日本は寒さが厳しくなっているようで、朝日新聞のウェブサイトによると大雪になる可能性があると書いてあった。
http://www.asahi.com/national/update/0113/TKY201001130149.html

寒さで体調が悪くなるのが困るので、暖かい日が続くのは自分としてはとても嬉しい。
しかし暖かいことで困っている人たちもバンクーバーにはいるようで、本日の新聞 "metro" によると、オリンピックの会場の一つである Cypress では山に雪が降っておらず、大会まであと1ヶ月しかないことから心配されているとのこと。
http://www.metronews.ca/vancouver/local/article/419755--one-month-to-go-now-where-s-all-the-snow
実際、昨年2月の Cypress でのスノーボードのW杯は、雪のコンディションの問題から中止になっているらしい。

また、新聞によると雪をよその場所から移動させるという方法もあるようだが、環境を破壊しないようにするためにも、それは奥の手としてとっておいているようである。

2010年1月12日火曜日

ECFMG からの便り

1/11 (月) 一日じゅう雨

日本の医師免許しか持たない者がカナダで臨床に従事するためには、Eucational Comission for Foreign Medical Graduates International Credentials Services (ECFMGICS) に医師免許のほか卒業証書や成績証明書などを登録しなければならない。
書類を書くことは難しくないのだが、資料をそろえるのが大変だった。

例えば医師免許の英訳を厚生労働省に依頼すると、最低でも1ヶ月はかかるらしい(自分の場合は、もっとかかった)。
自分の卒業大学の附属病院に勤めていれば比較的楽だが、卒業大学から遠く離れている場合は卒業証書の英訳や成績証明書を取り寄せるのも大変だ。

自分の場合は ECFMGICS に資料を送ったのが6月下旬だった。
登録までに最低でも数ヶ月かかることから、9月に渡加するのは無理だと思った記憶がある。
ところが実際は自分の場合は研究が中心のため、ECFMG への登録より前に educational license をブリティッシュ・コロンビア州から受け取ることができた。

さてその登録だが、その後どうなったのかすっかり関心が失せていたのだが、今日になって ECFMG からようやく登録ができたとの連絡が来た。
実に半年以上の月日がかかったことになる。
しかもその連絡には、資料が全部そろったわけではないので、日本の施設に催促してほしいとも書いてあった。

こちらの秘書さんが、フェローシップの手続きは通常は1年前、最低でも8ヶ月前から行なうと言っていた理由がこれでよーくわかった。
いろいろな手続きに煩わされてきたが、結局一番時間がかかったのが ECFMGICS だったわけだ。
臨床で留学を志す人は、ぜひとも早め早めに行動を起こしてほしいと思う。

2010年1月10日日曜日

お茶だけでしゃべった

1/9 (土) 雨ときどきくもり

日本語学校でのボランティアのあと、先日のクリスマスパーティーで知り合った K 君と待ち合わせ、世間話をしてきた。
アルコール抜きではちょっと(というかかなり)さびしいので、自分としては本当は飲みに行きたかった。
しかし彼は全く飲めないらしい。

今まで知らなかったのだが、グランンビル通りの下はかなり大きいショッピングモールになっていて、まるでアリの巣のように広がっていた。
Sears の地下がどこか広いところにつながっていることは知っていたが、まさにそこだったようだ。
その一部がフードコートになっていて、そこで3時間近くしゃべっていたことになる。

ふだん病院でカナダ人に囲まれていると、日本人と話すことが楽しく、それ自体がストレス解消となる。
それだけに、しつこいようだが飲みたかった・・・。

2010年1月9日土曜日

本格的な英語学習

1/8 (金) くもりのち晴れ

以前にも書いたが、今年から本格的に英会話の勉強を始めることにした。
現地の人に日本語を英語で教えるというボランティアも一緒にやるので、仕事の後に1日1~2時間程度、費やすことができるようになる。

今日がその1回目。
A 先生は以前自分が日本語を教えた人だったので、お互いによくわかっていた。

マンツーマンでの1時間は、さすがに内容が濃い。
NOV●に通っていた時は1コマが40分でしかも1対5だったので、密度が全く違う。
会話の学習はやはり1対1が基本だと、今さらながら実感する。
もっとも、日本では料金が高いので、1対1を続けるのは難しいが。

最も苦手な日常会話を中心に教わった。
特にいつも困るのが、朝の麻酔導入が終わって手術室を立ち去る時のあいさつである。
どう言ったらいいものか、いつも悩んでいた。

麻酔科医の教官とリサーチフェローの立場を説明するのに苦労したが、A 先生から教わったことを備忘録として残しておくと、
"Thank you very much. I'm leaving." あるいは、
"If you don't need me any more, I'm off." または、
"I'm going now if there isn't anything else."
なのだそうだ。

"If you don't need me ..." は何かちょっと偉そうな感じがするのでしつこく真意を確かめたのだが、やはりこれでいいのだそうだ。
でもやっぱり、自分が日本の大学病院に勤めていたとして、アジアやヨーロッパの留学生が "If you don't need me ..." って言ったら、何かちょっといやな感じがすると思う。
「あんた、何様?」って感じ?
これはもう文化の違いとしか、言いようがないだろう。

それから、日常生活で日本の気候を尋ねられることが多いので、表現の仕方を教わった。
自分が、"Tokyo is on a lower latitude than Vancouver, so ..." と言ったら、
「それは日常会話じゃないよ」と日本語で注意されてしまった。
日本語と同様に、"Tokyo is located further south than Vancouver." でいいらしいのである。
「Tokyo はVancouver の西であって、南じゃない。Vancouver の南はシアトルやサンフランシスコだ」と一応反論したが、会話は理屈じゃないそうである。

こんな感じで英会話を続けるつもり。
麻酔学の研究とはまた違ったおもしろさがある。

2010年1月8日金曜日

アパートのからくり

1/7 (木) 晴れ

昨日、アパートに戻ったら、年末と違うところが3つあった。
ひとつは廊下やキッチン、トイレなどの共用スペースがきれいに掃除されていたこと。
自分の部屋に「共用スペースをきれいに使うべし」という趣旨の怒りのメッセージが投げ込まれていたこと。
そして、なぜかキッチンに無数の小バエが飛んでいた。

これらの関連が今ひとつつかめなかったのだが、今日になってこのアパートの管理人と会ったことで事情が飲み込めた。

年末に生ゴミをゴミ箱に長いこと放置した人(これは隣のオーストラリア人にちがいないのだが)がいて、小バエが大量に発生してしまったのだそうだ。
対処するための薬品を管理人さんが明日手に入れるので、それをゴミ箱に噴霧することになるらしい。

また、ワーホリの M 君が去って新しく別の日本人が入って来たことも、管理者側が共用スペースをきれいにした理由の一つのようだ。
共用スペースは住人がきれいに使うことになっているものの、新しく住人が入って来た時に共用スペースが汚かったら、誰が汚くしたかに関係なくアパートのイメージが悪くなってしまう。
また、最初からアパートが汚かったら、新しく来た住人にきれいに使うように命じるのが難しくなるということもあるだろう。

どうやら新しい住人が来るたびに、アパートの管理者の手が入るらしいことがわかった。
1ヶ月ごとに住人がどんどん入れ替わったとすると、常にきれいな状態が維持される・・・そういう風にできているらしい。

2010年1月7日木曜日

バンクーバーに戻りました

1/6 (水) 成田もバンクーバーも晴れ

このお正月に年賀状をたくさんいただきましたが、ほとんどお返事を書けずじまいでした。
申し訳ありません。
この場をもって、御礼申し上げます。
ありがとうございました。
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成田からバンクーバーに入るのは3回目なので、もうすっかり慣れた。
初めて来た時はわけがわからずタクシー、2度目は地理が今ひとつよくわからずシャトルバス、今回は余裕でカナダラインを使いアパートへ戻った。

レトルト食品を買い込みすぎて、スーツケースが重かった。
成田空港で測ったら 22.4 kg だった。
手荷物預かりの無料の上限は 23 kg なので、まあまあ満足感が大きかった。

日本航空だったので、いつものように映画を堪能した。
HACHI 約束の犬 
http://ja.wikipedia.org/wiki/HACHI_%E7%B4%84%E6%9D%9F%E3%81%AE%E7%8A%AC
Love Happens http://en.wikipedia.org/wiki/Love_Happens
This Is It http://en.wikipedia.org/wiki/Michael_Jackson%27s_This_Is_It

Love Happens は主人公とまわりの登場人物に感情移入できて一応泣けるのだが、主人公の立ち直り(奥さんが亡くなってから次の恋まで)が早すぎて、ちょっとどうなのかなあ・・・という感じ。
This Is It でマイケル・ジャクソンがしばしば強調していたように、余韻ってものが大事なんじゃないかと思うけど。

アパートでちょっと昼寝してから、英会話クラブへ。
180 ドル/31時間のレッスン料を支払った。
ミニチュアの門松が机の上に置いてあったけど、それ以外は正月の余韻は微塵も感じられなかった。
やっぱり、さすがアメリカ!

明日から本格的な始動。
月並みだけど、がんばるぞ。

2010年1月5日火曜日

1.5 キロ戻った

1/5 (火) 晴れ

日本に着いた日とほぼ同じ条件で体重を測ったら、1.5 キロ増えていることに気づいた。
別に食いまくっている意識はないので、正月ぶとりというわけではなく、いつもの(渡加前の)自分に戻りつつあるといったところなのだろう。
4キロ減ったことに気づいた時は、ひょっとしたら悪い病気かも・・・とちょっとあせったが、そういうわけではないらしい。

日本にいると、とにかく緊張することなく安心して眠ったり飲み食いしたりできることが嬉しい。
家族や友人の存在の大きさやありがたみを、そういうところで改めて感じる。
バンクーバーでの生活には慣れつつあり、知り合いや友達もぼちぼちできつつあるのだが、やっぱり外国で異文化空間なので知らず知らずのうちに緊張を強いられているのだろう。

この正月休みはとても快適で、十分に充電できたように感じる。
また早く仕事モードに戻り、もう一つのプロトコール作りに集中することにしたい。

2010年1月4日月曜日

新宿でのお食事

1/4 (月) 晴れ

読者の一人でもある Nao さんと新宿で待ち合わせ、住友三角ビル50階に食事をしに行った(ごちそうになった)。
築地は4日は休みらしく、寿司屋が開いていることは期待できない状況だったが、それでもなんとか Nao さんがぐるなびで見つけてくれたらしい。

バンクーバーにもスシ屋(弁当屋やスーパーではなく)はあり、行けばうまいものが食べられるのかもしれないが、なんとなくちょっとインチキくさいような気がしてまだ行っていない。
日本にいる間に本格的な寿司や茶碗蒸し、蟹を食べることができてよかった。

高いところから眺める東京の夜景はとてもきれいだった。
東京には30年以上住んでいたし、もっと若い頃は新宿などの高層ビルにも遊びに行っていたはずだが、不思議なことに「見慣れた景色」という感じはしなかった。
バンクーバーにも高い建物はあるが、高層ビルは見かけない。

2010年1月3日日曜日

写真撮影

1/3 (日) 晴れ

昨年の暮れ、ある麻酔関係の雑誌から、執筆依頼があった。
総説の依頼だったら忙しくて無理だと思って封を開けたら、意外なことに趣味、余暇、仲間などに関する執筆依頼だった。

原稿締め切りまで時間はたっぷりあるし、これなら時間のある時に少しずつ書けると思ったのだが、執筆要領に写真が1枚必要と書いてある。
これは困った。
一人でできることならともかく、仲間について書くのなら急いでテーマを決め、この一時帰国のうちに写真を撮らなければならない。

人様に披露できるような立派な趣味があるわけではないのだが、柔道に関してなら原稿用紙のマス目を埋めることくらいはできると思い、12月30日に館長と読者の Mizo さんに連絡をとった。
そして今日、三が日に申し訳ないとは思ったのだがお二人にご協力いただき、夜から写真撮影を行うこととなった。

シャッターは館長の奥様に押していただき、道場の壁をバックに三人ならんで写真を撮った。
なんとか写真は手に入ったので、あとは原稿をプロトコール作成の合間に気分転換をかねて少しずつ書いていくつもり。