2011年5月31日火曜日

ゴミの捨て方

5/30 (月) 雨のちくもり 夕方から一部晴れ
 
ゴミをどのように捨てるかについてまだ書いていなかったので、ここらでまとめておくことにする。
 
ゴミ収集に関してはバンクーバーはおおざっぱに言って5つの区域に分けられており、その区域によってゴミを出す曜日が決められている。
月曜から金曜までを1日ごとに別々の区域をまわるので、つまり収集は週に1回というわけだ。
気温があまり高くない今の時期はいいのだが、夏真っ盛りのころはコンテナ(ゴミ箱)がとても臭い。
 
燃えるゴミと燃えないゴミの分別はなく、全部一つのコンテナに入れて家の前に出すことになる。
実際に作業をそばで見たことはないのだが、ゴミ収集車から機械でコンテナを持ち上げ、収集車の上でコンテナをひっくり返すことで自動的にゴミを集めるのだそうだ。
機械に適合しないといけないことから、どこの家庭も同じコンテナを使っている。
 
樹木の枝などの収集は2週に1回である。
また、新聞紙や段ボール箱などはリサイクルの対象になるので、黄色または青色のビニール袋に入れて同じ日に出すと収集してもらえる。
 
ウチの大家はコンテナを家の敷地内に入れているが、ほとんどの家は道路に出しっぱなしだ。
道路にコンテナがあると家の中からゴミを放り込むのが大変だが、わずか週1回のゴミ収集日にゴミを出しそこなうというリスクを避けることができる。
 
日本だとゴミの収集日はほとんど固定されているが、ここでは祝日があるたびに1日ずつうしろにずれるので忘れがちである。
このあたりはこの前までは金曜日だったのだが、つい先日 Victoria Day があったので、今週から月曜日になった。
 
何年か前にはゴミ収集業者がストライキをしたことがあったそうだ。
家庭ごみは各家庭でしかるべき場所(焼却場?)に持っていかなければならなかったし、バス停にあるゴミ箱のゴミは放置されていたので悲惨なことになっていたらしい。
ストライキといえば自分の子供の頃の鉄道会社のストぐらいしか思い浮かばないし、日本の病院のストライキはあまりたいしたことないが、ここのストライキはかなり本気だそうだ。
 
去年住んでいたアパートでは独自にゴミ収集業者と契約を結んでおり、全く別のシステムだった。
面積がタタミ2畳分ぐらい、深さが 1.2 メートルぐらいある巨大なゴミ箱に、施錠管理しつつ利用していた。
 
時々、そのカギに小石を詰めて使えなくするようなたちの悪いイタズラをする輩がおり、そのたびにゴミ箱の外にゴミが散乱するということがしばしばあった。
気の毒なのはアパートの管理人である。
そういう事件が起こるたびに後始末をしなければいけないわけで、ハードな仕事だと思った覚えがある。
 

2011年5月30日月曜日

爪がはがれた

5/29 (日) 晴れ
 
今日はものすごくいい天気で、絶好のテニス日和だった。
帰国していた間の2回分の日曜日はいずれも雨で中止だったらしいので、自分としては天気がいい時にバンクーバーにいられてかなりラッキーなように感じる。
 
天気はいいが、自分の部屋は半地下なので寒い。
出かけるときに防寒対策をばっちりしたのだが、思いがけず外は暖かいことに気づき、出直すことになってしまった。
 
それでも短パンではなく長いズボンをはいていったのだがこれが暑苦しくて、テニスをやっている間、かなり苦痛だった。
その暑苦しい感じは周囲にも伝わったらしく、なぜ短パンじゃないのかと、いろんな人たちに訊かれるはめとなった。
 
帰国前まで使っていたシューズに穴があいたので、日本を出発する前にテニスを含むいろいろなスポーツで使える靴を買ってきた。
買う時に試しにはいたら調子がよかったのだが、なぜか今日はちょっときついような感じがした。
そのせいもあるのかもしれないが、ボレーをした時にまた左足の親指の爪をはがしてしまい、ただでさえ根元が紫色だったのが、ついにほぼ全面紫色になってしまった。
 
それでも今日はテニスの調子は比較的よく、うまい人たちと対戦することができた。
ここではコーチが対戦の組み合わせを決めるのだが、たまたまコーチが見ている時にいやらしいプレーが奇跡的に次々と決まり、自分よりもずっと強い若者たちをいらいらさせることができたことが良かったんだろうと思う。
 

2011年5月28日土曜日

ラストスパートか?

5/27 (木) くもりのち晴れ
 
昨年から今年にかけてデータを収集した研究について、現在、論文を作成している。
もともとは一つの論文にするつもりだったのだが、あまりにもデータが膨大でしかもまとまりがない(?)ので、結局、2つの部分に分けることにした。
つまり今は、2つのうちの片方を書いているというわけだ。
 
もう一方についても同じ調子で書くつもりだったのだが、どうも指導医が内容に満足していないらしく、さらにデータを追加するつもりでいることを今日知ることになった。
それで話し合いの機会をもってから、追加のデータ収集について倫理委員会へプロトコールの修正を申し出るようなことを言っていた。
 
自分としてはあと論文を書くだけだと思っていたので、ちょっと意外な感じがしてしまった。
もちろんいい研究ができるならぎりぎりまで喜んで汗を流すつもりだが、帰国を控えて「かけこみ」みたいな感じがどうしてもしてしまう。
まさにラストスパートといったところだろうか。
 
また、先日のフェローの修了式っていうか飲み会では、どうも自分も送られる側になる可能性があったらしいことを今日知った。
指導医からメールが来て、出席することを知っていれば送る準備をしていたのだが・・・と、おわびのようなメッセージが書いてあったのだ。
 
送られたフェローは正規の2年間の臨床のプログラムをこなしたわけで、自分とは全く立場が異なる。
なので自分は全然気にしていなかったのだが、どうも帰国前には自分のために少なくとも1回はデイナーっていうか飲み会を催してくれるとのこと。
こちらも「かけこみ」っぽい感じがしてしまうのだが、フェローを迎えて指導する側もなにかと忙しくて大変だなと思ってしまう。
 

2011年5月27日金曜日

リスの出入口発見

5/26 (木) くもり
 
朝、出かける時になにげなく上の方に目を向けたら、2軒隣の家の屋根にリスが1匹いるのに気づいた。
そのリスは屋根を駆け下り、屋根の側面にぽっかりあいている穴から家の中に入っていってしまった。
 
ほんの一瞬の出来事だったのだが、リスが家にあいた穴を通っておそらく屋根裏部屋へと入っていったようだった。
最近ウチの屋根裏部屋で物音がしなくなったと思っていたのだが、ひょっとしたら2軒隣へと引っ越していったということなのかもしれない。
 
その家はかなり古く、住人もそういうことには無頓着そうなので、リスにとっては追い出されるリスクが低く、きっと住みごごちがいいに違いない。
 

2011年5月26日木曜日

フェローの修了式

5/25 (水) くもりのち雨
 
今日はフェローの修了式が Zest という Japanese restaurant で行なわれた。
http://www.zestjapanese.com/
あるウェイトレスが日本語で教えてくれたのだが、バンクーバーで2番目に人気のある日本料理の店で、毎年表彰されているのだそうだ。
 
ある麻酔科医によると、バンクーバーで最も人気のある日本料理の店は Tojo というらしいのだが、値段もかなり高いとのこと。
http://www.tojos.com/Home.html
値段も評価に含めると、Zest が一番というもっぱらの評判らしい。
 
修了式を受けたのは正規のプログラムを終えた4人で、そのうち2人はタイから来た留学生だ。
タイから来た2人は自費でタイの病院から費用が出ていると思うのだが、あとの2人はたぶんここの病院に直接雇われていたのだと思う。
立派な修了証書を受け取っていた。
 
Zest の料理は日本でも食べたことがないようなものだったが、とてもおいしかった。
正直なところ自分は西京味噌は味が強いので好きではなかったのだが、今日のは味が控えめでトロとぴったりあって良かった。
 
バンクーバーの麻酔科医たちの中で日本に来たことがある人は多くはないのだが、日本食についてはよく知っている人が多く、驚いてしまう。
箸の使い方もとてもうまい。
 

2011年5月25日水曜日

いまだに冷えるバンクーバー

5/24 (火) 日本は午前中雨 → 午後晴れ、バンクーバーはくもりのち晴れ
 
24日の JAL でバンクーバーに戻ってきた。
日本に戻ってきた時ほどではなかったが、やはり JAL の機内は空いていた。
自分は中央3列シートの通路側で、隣とその隣は誰もいなかった。
 
成田空港のバンクーバー行きのゲートのそばで、研修医のころに小児病院でお世話になった S 先生に偶然お会いした。
お子さん2人も一緒で、これからバンクーバーでのお嬢さんの大学の卒業式に出席されるとのこと。
とても懐かしかった。
 
成田を発つ時からバンクーバーに着くまで、機内はずっと蒸し暑かった。
いよいよバンクーバーも夏かなと期待したのだが、空港の外に出ると思いがけず冷え込んでいた。
 
インターネットによると今日の昼間のバンクーバーの気温は 17 ℃なのだが、風があるせいかもっと低く感じる。
シャツとウインドブレーカーでは寒く、冬物をほとんど持って帰ってしまったことを後悔した。
今日の午後、2時間半ぐらい昼寝しようとしたが、寒くてあまり眠れなかった。
 

2011年5月22日日曜日

学術集会最終日

5/21 (土) くもりのち晴れ
 
今日は朝から呼吸の PBLD に参加したかったのだが、午後にリフレッシャーコースの自分の番を控えていたので、朝食後にホテルで最終的な仕上げをしてから会場に向かった。
PC センターでパワーポイントの受付を午前中に済ませたのだが、その時に担当してくれた人が、スライドショーで「コントロール」+ "A" でポインタを常時表示できるということを教えてくれた。
 
自分は今まで右クリックでポインタのオプションを選んでいたが、そういうショートカットがあるということを初めて学んだ。
ショートカットを利用した方がそういう操作をしていることがモニター上で気づかれずに済む分だけ、プレゼンがスマートに見えるかもしれない。
 
リフレッシャーコースでは前半は保護的一側肺換気について、後半は胸腔鏡下手術での呼吸管理について話したのだが、レクチャーのあとで受けた質問はほとんどが前半に関するものだった。
自分としては理論武装を万全にしたつもりだったが、質問は理屈よりもむしろ実際に現場ではどうするかという方向に向いていた。
 
例えば Tusman らの一見して過激に見えるリクルートメントの方法 (Ann Thorac Surg 2002; 73: 1204-1209) を本当に4分間もかけて行なうのかとか、COPD 患者でリクルートメントを 40 cmH2O で行なっても大丈夫かとか、自分がバンクーバーで指導医たちにぶつけた質問がそのまま返ってきたような感じだった。
いろいろなことを盛り込もうと思って欲張ってしまったが、振り返ってみると 45 分間全部を保護的一側肺換気に使うぐらいでも良かったのかもしれない。
 
いつかまた講演のチャンスがあったら、開胸手術の麻酔の知識をアップデートするとともに、thoracic anesthesia の権威たちがどのように実際に麻酔に取り組んでいるかを、さまざまな具体例を挙げながら紹介できるようにしたいものだと思う。
 

2011年5月20日金曜日

学術集会2日め

5/20 (金) 晴れ
 
午前中に招待講演で、悪性高熱症に関するものがあった。
スピーカーは英国から招いた人で、あたりまえだが英国なまりでの英語だった。
いまだに MH で死亡するケースがあるのは、MH reaction が不可逆的になるからだということは初めて知った。
そのため、早期の診断が必要だとのこと。
 
バンクーバーで生活していると、自分の英語がなかなかうまくならないので、絶望的な気分になることが多い。
自分の指導医は時々、英語がとてもうまくなったと言ってくれるのだが、お世辞にしか聞こえずかえってガックリしてしまう。
 
ただ昨日のマシモジャパンのランチョンもそうだが、日本で日本人向けにやさしく話されている英語を聞くと、自分の英語が明らかに向上しているのがとてもよくわかる。
日本を発つまではせいぜい半分もわかれば良かったのに、今では全部とは言わないまでもずいぶんはっきりとわかる。
どうしてこんなにゆっくりと話しているのだろう・・・と、不自然に感じるぐらいだ。
 
だからまたバンクーバーに戻っても、あまり悲観することなく、英語にはじっくり取り組んでみようと思う。
語学の習得には、何より根気が必要なのだと感じる。
 
夜は、都立旧 F 病院の先生たちの飲み会に合流。
本当に久しぶりに先生方にお会いできるのも、学会ならではの良さだと思う。
 

2011年5月19日木曜日

学術集会初日

5/19 (木) 晴れ
 
今日から神戸国際展示場とポートピアホテルで、日本麻酔科学会第58回学術集会が始まった。
すでに事前登録は済ませてあったのだが、今日の夕方のリフレッシャーコースを追加したかったのでブースCへ。
窓口ではなく、自動販売機みたいな機械で 1000 円支払った。
 
本来は事前に申し込んだ内容を印刷してくることになっていたのだが、すっかり忘れてしまった。
それで TEE のワークショップを申し込んでいたのも忘れていて、受付で申し込み内容を確認することでようやく気がついた。
 
この2年間、TEE からすっかり離れており、ワークショップで学ぶことは多かった。
スペックルトラッキング、長軸方向 strain、rotation(ねじれとほどけ)といった概念は、とても目新しい。
http://www.innervision.co.jp/suite/toshiba/supplement/0805/01cardiac_2/index.html
心房細動では、僧帽弁流入速波形の A 波のかわりに L 波が見られるというのも初めて知った。
 
開胸手術の麻酔でのポスター発表では、「肺切除術の既往がある患者での○○」という演題が2つもあったのが興味深かった。
自分が知る限りでは、肺切除術の既往がある患者で何かのリスクが高まるといったような論文は、anecdotal なものを除けばないように思う。
 
自分もバンクーバーでデータ採取している時に、肺切除術の既往がある患者では何らかの合併症のリスクが高まるかもしれないと思い、肺切除術の既往は全てチェックしていた。
しかし肺切除術のある患者で再び手術を受けるのは、おおざっぱに言って 40~50 人に1人ぐらいだったので、統計処理に耐えるだけの人数を集めるのが大変だと感じた覚えがある。
絶え間ない努力と根気が必要とされる領域だと思う。
 

2011年5月16日月曜日

震災後の暮らし

5/15 (日) 晴れ
 
金曜日に日本に戻ってきてから2日たった。
時差ぼけのために昨日までは眠くてだるくてしかたがなかったが、今日はもう大丈夫。
だいぶすっきりした。
 
地震は自分が気づいた範囲では土曜日の朝に弱いのが1回あっただけ。
新聞に毎日「今日の放射線量」が載っているのにはショックを受けたが、どうも日によってあまり大きな変化はないようだ。
  
昨日、今日と家族と買い物に出かけたりしたが、スーパーは照明が一部落ちており、なんとなく薄暗かった。
ファミレスでは冷房の設定が 28 ℃になっていて、オペ室にくらべるとかなり蒸し暑い。
 
また、ファミレスのトイレは手を乾かすドライヤーが使えないようになっていて、かわりにお手拭がたくさん置いてあった。
いたるところで節電が行なわれていることがわかったが、これから夏本番に向けてよりいっそうの節電が必要になることを考えると、いろいろな面で相当なガマンを覚悟しなければならないように感じられた。
 

2011年5月14日土曜日

震災後初の一時帰国

5/13 (金)
 
神戸の学会のために日本に戻ってきた。
時差のために夕飯を食べたら眠くてたまらずふとんに直行したのだが、かといって若者のように10時間以上眠れるわけもなく、日付がかわった翌午前4時半に前日分の日記を書いているところ。
 
恐れていた余震はまだ一度もない。
家族によると、ここ数日は揺れていないとのこと。
子供たちは震度3以下は全然オッケー(感じないも同然)と言っているが、バンクーバーでの2年弱では一度も地震がなかったので、実際に揺れたら自分はきっと心臓がバクバクすることだろう。
 
帰りの便は JAL だったのだが、客が今までになくものすごく少なく、スカスカ状態だった。
しかも大半は日本人とは断言しないまでも東洋系で、まるで国内線に乗っているかのようだった。
自分は中央3列シートの左端だったが、ほかの2つの席には誰もおらず、概ね機内はどこもそんな感じだった。
震災の影響なのだろうが、JAL の行く末が案じられる。
 
飛行機は 767-300 だったのだが、機内のエンターテイメントが充実しており、MAGIC-Ⅲ・Ⅴがエコノミークラスで楽しめたのは初めてだった。
http://www.jal.co.jp/aircraft/conf/767.html
http://www.jal.co.jp/inflight/inter/jen/
映画も頭が切れることなく、全部最初から楽しむことができる。
 
また、食事をとるための機内のテーブルが、今までになく半分に折りたためるものになっていた。
小さく使うこともできるのでこれは便利・・・と思ったのだが、広げてみるとまっすぐ平らではなく、目の前でビールの入ったコップがすーっと滑り、思いっきりズボンの上でこぼれてしまった。
隣の席に人がいたら、絶対ひっかかっていたと思う。
 
あまりにも悲惨でがっくりしたのだが、その後、2~3時間もしないうちにズボンが完全に乾いてしまった。
機内はおそろしく乾燥しているということなのだろう。
 
バンクーバーを発つ時の機長のアナウンスで、成田の到着時の予想気温が 28 ℃であることが知らされた。
「そんなに暑いの~」とざわめく機内・・・。
到着時には 28 ℃はなかったと思うが、それでもとにかく暑い。
家に着いたら、扇風機が出ていた。
 
また、帰りに某私鉄を利用したのだが、駅と駅との間で車内の照明を消すことに気付いた。
駅に近付くとまた照明をつけ、駅を出ると照明を消す、の繰り返しだ。
しかもよく見るとところどころ蛍光灯が抜いてあり、車両内がなんとなく薄暗い。
震災後初めて帰ってきた自分にとっては、何もかもが新鮮に見える。
 

2011年5月12日木曜日

カナダでの葬儀についてさらに

5/11 (水) 雨
 
週末の葬儀を控え、大家さんや親戚の人たちは準備に忙しい。
どうやら当日はたくさんの食事を作り、教会の葬儀に参列したお客さんたちに振舞うことになるらしい。
食事やお菓子などが手作りだという点が、お通夜にスシをとる日本とはずいぶん違う。
 
また、葬式の時に黒の礼服を着るのは家族だけとのこと。
一般のお客さんは、派手でない濃い青などであれば、礼服を着る必要はないのだそうだ。
香典を持ってくる習慣もない。
 
また、葬儀のあとは故人のために神父にミサ (Mass) を営んでもらうことになるのだが、どうやらそれは個人単位で直接神父にお願いするようなことを大家さんが言っていた。
今回亡くなった方はその教会ではよく知られた人なので、さまざまな人々が神父にミサをお願いしたために、来週以降、ミサの予定がぎっしりになってしまったのだそうだ。
 
ミサを営んでもらうために、依頼した人が神父にいくらか払うことになる。
もっとも神父はそのお金を自分のポケットに入れるようなことはなく、布教のためにカソリックが十分広まっていない地域にまわされるといったようなことを聞いた。
 

2011年5月11日水曜日

旅の準備ほぼ完了

5/10 (火) くもり
 
学会に向けてもうすぐ一時帰国するので、今日はスーツケースに荷物を詰め込んだ。
コートを含めもう冬物の衣類はいらないので、一緒にがばっと全部持ち帰る予定。
 
ひょっとしたら重量制限を超えているかもしれないと思ってスーツケースを体重計に載せてみたのだが、20 キロにも満たないくらいだった。
衣類だとどんなに詰め込んだところで、たかが知れているということなのだろう。
 
今の自分の部屋を見渡してみると、全部の持ち物のうちの 1/3 程度を持ち帰ることになるようだ。
これ以上荷物が増えることはないだろうから、夏に永久帰国する時はきっと、スーツケース2個分で十分に足りると思う。
 

2011年5月10日火曜日

葬儀と友人のアドバイス

5/9 (月) くもりのち晴れ
 
大家さんの身近な人が、先週の土曜日に亡くなった。
その人には自分もお世話になっていて、何回か自宅に招いてもらったことがある。
 
週の後半に葬儀があるのだが、学会のための一時帰国の日程の関係で、自分は出席したくてもできない。
こういう場合は日本だとおそらく、出発前に御霊前を誰か家族に託すことになるのだろう。
機会を見つけて、仏壇に線香をあげるのもいいのかもしれない。
 
しかしここはカナダ。
こういう場合はどうしたらいいのだろう?
考えても解決しないので、友人の M 君にメールで尋ねてみた。
彼はカソリックではないが、カソリックのことにもかなり詳しい。
 
M 君によると、こちらでは葬儀の時に widow/widower が経済的に恵まれていない場合を除いては、お金を渡すようなことはしないのだそうだ。
そして彼の返事はまず ”Try not to assume” で、ずばり「大家さんに(どうしてほしいか)聞け」とのことだった。
そうしたらきっと言葉か祈りを求めてくるだろう、とも書いてあった。
 
今まで何回か友人たちのアドバイスに助けられてきたが、今回は自分にとっては「目からウロコ」だった。
確かにこういう “sensitive” なことに関してはあれこれ考えるよりも、特定の宗教を強く信じているわけでなければ、ここの習慣に従ってみるよりほかないのだろう。
 
また、ある人からは、某アジア系カナダ人が亡くなった時にたくさんの参列者がそれぞれ大量の花を持って集まってきたことに対し、「花(金)のムダ遣い」という評価が下され、それ以降、その教会では花の持ち込みを断っているという話を聞いた。
この世からあの世へ送られる時ぐらい、大量の花に飾られてもいいんじゃないかと自分は思ってしまうが、そういう考えが受け入れられないコミュニティもあるらしい。
 

2011年5月9日月曜日

ホームステイと母の日

5/8 (日) くもり
 
今日は母の日で、スタンレー・パークには一見してレストランでお祝いしようとする家族連れが大勢いた。
大家さんは親戚一同で空港近くのホテルへ、豪勢なランチを食べに行ったらしい。
若い世代がごちそうしてくれたそうで、とても満足そうだった。
 
以前、大家さんの誕生日とクリスマスに、それぞれプレゼントを渡すことが期待されたことは書いたと思う。
アパートなどとは異なり、ホームステイでは必ずとは言わないが、そういう物のやりとりが必須と考えられるパターンはどうやら確かにあるようなのだ。
 
大家さんは自分にとってはもちろん「母」ではないので、今回、何かをプレゼントする必要はないはずだと 80% 程度の自信を持っていた。
残りの 20% で自信が持ちきれずちょっと嫌な予感がしていたのは、バンクーバーの日本人の中で自分が学生と混じってホームステイをしていると知っている人たちがしばしば、大家さんのことを称して「バンクーバーのお母さん」と呼ぶことがあるからだ。
 
自分と大家さんの関係は母子のようなものとは全く異なり、どちらかというと仕事場における手術部の看護師長と後期研修医の関係(?)に近いと思う。
口答えはほとんど許されず、ほぼ絶対服従が要求される・・・といったところだろうか。
 
一方、中東から来た A 君は大家さんのことを日頃から「マム」と呼んでいるので、おそらく本当に「バンクーバーのお母さん」のように感じているのだろう。
大家さんは彼が母の日にくれたという金色の腕時計を嬉しそうに見せてくれた。
 
「あなたは何もくれないの?」とはさすがに訊かれなかったが、それでも背中と腋の下を冷たい汗が流れたのは言うまでもない。
こういうところで文化や習慣の違いを感じるのも、ある意味、ホームステイの醍醐味だとも思う。
 

2011年5月8日日曜日

エクセルの落とし穴

5/7 (土) 雨
 
昨日は飲み会で K さんの家に集合。
今まで不定期的に集まって飲んでいたのが、今回からは毎月恒例にするそうで、昨日はその第1回だった。
 
BC リカーで売ってた3番目に安い赤ワインを買っていったがあっという間に飲みつくし、その後はずっとビールを飲んでいた。
睡眠不足も加わり、なんか今日は気持ちが悪い。
久々の二日酔いかもしれない。
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日本語学校でフリー・マーケットがあった関係で、今日は図書館で寄附された本の入力を担当した。
その際、エクセルのデータを修正する過程でとんでもない落とし穴に気づいたので、備忘録に残しておくことにする。
 
寄附された本はまず、すでに図書館にある本とない本とに分類する。
日本語学校の図書館では35000冊以上ある蔵書のデータベースをエクセルで管理しているのだが、同じブックの中で1000冊ごとに別々のシートに分けている。
したがってキーワードで本を探す場合には、右クリックで全てのシートを選んだ上で検索する必要がある。
 
今日はたまたま北杜生の「マンボウ響躁曲」という本を検索しようと思い、全てのシートを選択してから「マンボウ」とキーワードを入れて探したのだが、その結果、すでにその本が図書館にあるらしいことがわかった。
しかしよーくみると「マンボウ響躁曲」ではなく、データベース上の本のタイトルが「マンボウ響曲」となっているのだ。
「躁」という字が入力できなかったのだろうか・・・と思いつつ、せっかく誤りを見つけたのだから修正しようと思い、「響」と「曲」の間にカーソルを置き、「躁鬱」と入力してから「鬱」の字を削除した。
 
ここでやめておけば自分のミスに気づかなかったのだが、次に検索しようとした本がたまたま「快妻オバサマVS.躁児マンボウⅡ」という本だったので、「マンボウ」というキーワドをそのまま残した状態で検索した。
するとなんと奇妙なことに、次から次へと「マンボウ響躁曲」という本がヒットするではないかっ?!
なぜか各シートに1冊ずつ、北杜生ではない作者の名前で「マンボウ響躁曲」が入っている。
しかもさらによーく見ると、各シートの同じ列の同じ行に「マンボウ響躁曲」があるのだ。
 
この時点で、どうやらとんでもない誤りをしてしまったことに気づいた。
家に帰ってから実際に検証してみたのだが、全てのシートを選択した上でそれを解除せずに任意のセルに入力すると、その入力が全てのシートで同じように反映されるのだ。
エクセルとはずいぶん長い間つきあってきたつもりだが、自分の知らない凶暴な一面(?)を見せつけられた思いで愕然としてしまった。
 
研究活動でデータベースを作る際に検索機能はよく使うが、幸いなことに全てのシートを選ぶということはしていなかった。
ちょっとしたことを知らなかったためにデータベースがめちゃくちゃになる可能性があるわけで、本当にあぶないところだったと思う。
 
図書館のデータベースもたまたま早く気づいたものだから、事なきを得た。
データのバックアップがあって、本当に良かったと思う。
 

2011年5月6日金曜日

新しい乾燥機

5/5 (木) 雨降ったりやんだり
 
洗濯物がずいぶんたまったので、汗臭かったテニスウェアも含めさっそく洗濯してみた。
大家さんは出かけていていなかったが、やってみれば何とかわかるだろうと思い、乾燥機も使ってみた。
 
乾燥機は Kenmore という会社の製品なのだが、いかにも北米の家電という感じで、見た目がごつい。
http://www.kenmore.com/shc/s/p_10154_12604_02661252000P
乾いたら自動的に止まるとかで、省エネ対策も万全らしい。
 
乾燥機の扉を開けてみると、なんと内側に灯りが点いて中がすごく明るい。
洗濯物の取り忘れとか、なさそうだ。
中が真っ白で電気がついているので、まるで冷蔵庫のように感じる。
 
ところで昨日の、英語の “stop” はフランス語の “arrest” というのは勘違いで、よく見たら英語の “off” がフランス語の “arrêt” だった。
まあいずれにせよ、語源はきっと “arrest” なんだろうと思うが。
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大家さんが帰ってきてから聞いた話だが、今日はリス専門の駆逐業者が来たとのこと。
天井裏に登ったり家の周りをチェックしたりした結果、屋根と家の壁が接するあたりにすきまがあいていて、そこからリスが出入りしたのではないかということだった。
 
天井裏からリスを残らずその場で駆逐したのかと思ったらはそうではなく、一方弁のようなネット(天井裏から出ることはできるが入ることはできない)を設置して、そのうちいなくなるのを待つような方策をとったのだそうだ。
3年保証で 500 ドルちょっと払ったらしい。
 
500 ドルの高さに驚いてしまったが、大家さんは火事になるよりはよっぽどマシだと言っていた。
リスが天井裏でワイヤー(電線のことだと思うが)をかじったために火事になるということが、カナダでは少なくないらしい。
一種の火災保険のようなものとして考えて、納得して支払うしかないということなのだろう。
 

2011年5月5日木曜日

夜中の腹痛

5/4 (水) 晴れのちくもり
 
昨晩は夜中に腹が痛くなり、何度も何度もトイレに駆け込んでしまった。
し~んと静まりかえっているところにトイレの換気扇が何度も何度もブーンと鳴り響いていたわけで、大家さんにも中東の A 君にも申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
まあ、そんな感じで他人の眠りを思いやる余裕はあったので、重症の腹痛ではなかったということなのだろうと思う。
 
今朝はいったんは5時半には目覚めたものの、あまりにもだるいので講演会はスキップすることにした。
さらにひと眠りしたらかなりスッキリしたので、結局はいつもと同じ7時ちょっと前に出かけた。
何となく腹がゆるいような気もするが、出かけてからは腹痛はない。
 
帰宅したら真新しい乾燥機が届いていた。
大家さんも使い方がわからないらしいので少し研究し、明日はたまった洗濯物を片付けようと思っている。
 
あらゆるボタンの説明書きが英語とフランス語の2本立てで、いかにもカナダの洗濯機といった感じだ。
どうも英語の “stop” は、フランス語で “arrest” と言うらしい。
心臓が止まりそうで、ちょっとコワい。
 

2011年5月3日火曜日

乾燥機・故障中

5/2 (月) 雨
 
昨日はものすごくいい天気で、スタンレー・パークでのテニスはとても充実していた。
運動不足のためか、気づかないうちにひねったのかもしれないが、左腰が痛くて今日はかがむことができない。
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ウチでは大家さんとの取り決めで洗濯は週1回ということになっているので、ふだんは日曜日に洗濯している。
しかし先週以来、乾燥機が壊れており、金曜日に洗濯したら干し場に洗濯物があふれてしまい、いまだに乾いていない。
 
昨日使ったテニスウェアも早く洗いたいのだが、どこに干すかということを考えるとなかなか踏み切れない。
洗濯しないまま部屋の中に干しておいてふと気づくととても汗臭くて、なんか運動部の部室のような匂いがしている。
 
新しい乾燥機は水曜日に届くことになっている。
とても待ち遠しい。
 

2011年5月1日日曜日

いざという時はホテルのトイレ

4/30 (土) 晴れ
 
今日は朝から大家さんが出かけたので、晩メシは店子たちで勝手に食べることになった。
自分たちの家賃には食費が含まれていることから、大家さんは自分に2人分の食費ということで 20 ドル預け、中東から来た A 君のメシの面倒も見てほしいと言い残して去っていった。
 
A 君が晩メシ時にいれば一緒に食べるのだが、彼は今日はグラウスにスキーをしに出かけてしまい、夕方の時点では家にはいなかった。
ケータイでテキスト・メッセージを送ったが、彼は家では食べないという返事だったので、ビールを2本飲んでから一人で食べにふらふらと出かけることにした。
 
最初はオークリッジのモールの中にあるフード・コートで食べようと思ったのだが、土曜日のため夜は閉まっていて入れなかった。
このあたりからビールの効果で尿意が強く感じられ、あせりはじめることになる。
日本と違ってもちろん駅にはトイレはない。
 
せっかく駅までバスで来たのに今さら引き返すのもアレなので、カナダ・ラインでダウンタウンへ。
パシフィックセンターのフード・コートを目指したが、やはりここも閉まっていた。
遠くまで来たことを悔いたがもう遅い。
 
腹は減ってはいたのだが、それよりもとにかくトイレに行きたくてしかたがなかったので、すぐ隣の某ホテルへ。
「いざという時はホテルのトイレを使えばいい」と言っていた H さんの顔がちらりと思い浮かんだ。
 
ロビーの階へエスカレーターで上がり、あやしく思われないようにさりげなくトイレを探していたら、いきなりホテルマンが近づいてきて ”Washroom?” と訊ねてきたのにはキモをつぶした。
親切なホテルマンのおかげで事なきを得たのだが、どうしてトイレを探しているってわかったのだろう?
ホテルの中をふらふらしている人を見たらトイレだと思え・・・と教育されているのだろうか?
 
確かにバンクーバーでは、「いざという時にはホテルのトイレを使え」は正解だと思った。
雑誌に書いてあることや現地の人々のアドバイスを裏づける形となったというわけだ。
これでまた Vancouverite に一歩近づいた。
もうすぐ帰国だけど。