2010年9月29日水曜日

The Amazing Race

9/28 (火) 晴れ
 
研究が毎日地道に少しずつ進んでいることを除けば、現在は平和で変わりばえのない日々が続いている。
ブログに書くような事件も、何も起こっていない。
 
それでちょっと時期を逸したような気もするのだが、日曜日に始まったテレビ番組について書く。
The Amazing Race というアメリカの番組で、12組のペアが飛行機に乗って遠くへ行き、さまざまな課題をこなしながら目的地に着く早さを競うというもの。
http://www.cbs.com/primetime/amazing_race/
Dancing With The Stars と同様に、1週ごとに最下位のペアが脱落していくことになる。
http://abc.go.com/shows/dancing-with-the-stars/index
 
この Amazing Race に Nat と Kat という医師のペアが出場している。
彼女たちの仕事ぶりをこの番組で紹介しているのだが、オペ室でマスクや蛇管をいじっているところからして、どうやら彼女たちは麻酔科医らしいのだ。
同じ職種だということで、今後も彼女たちの奮闘を見守っていきたいと思っている。
 

2010年9月27日月曜日

Lynn Peak --- 挫折しました

9/26 (日) 雨 ふったりやんだり
 
ハイキングシーズンも最後だと思い、カナダ人の M 君と Lynn Peak へ行こうとしたが、結局は挫折してしまった。
 
Waterfront Station で待ち合わせし、SeaBus でノース・バンクーバーへ。
そこから 228 番のバスで Lynn Valley へ向かった。
Lynn Headwaters Regional Park の入り口を見つけるのに、30 分以上かかってしまった。
バスの停留所からまっすぐ歩きさえすれば良かったのだが、歩く距離は予想以上に長く、途中で余計なところで曲がったりしたために迷ってしまった。
 
入り口からは道は容易に見つけることができ、てくてく歩き始めたのだが、そのころから雨がだんだん激しくなってきた。
さらに困ったのは、Lynn Peak への道のりがだんだん険しくなるにつれて、昨夜からの雨のせいだと思うのだが、道の上の方から水がどんどん流れてきて、まるで濁流の中を歩いているような感じになってきたことだ。
 
道はすべるし足場が悪く崩れやすく、入り口から 40 分ぐらい歩いたところであきらめて引き返すことにした。
帰りの下り道は上りよりもさらにコンディションが悪く、よけいに時間がかかってしまった。
たいした靴をはいていたわけでもなく、準備も足りなかったように思う。
M 君は転倒しないように終始慎重に歩いていたが、かわいそうなことに帰りの SeaBus 乗り場であせって走ったために、思いっきりひっくり返ってしまった。
 
もう9月も終わりなので、おそらくよほどのマニアでない限りは、ハイキングは終わりなのだろうと思う。
秋から冬にかけての楽しみを見つけなければならない。
 

2010年9月26日日曜日

元気な子供たち

9/25 (土) くもりのち雨
 
日本語学校のボランティアから帰ってきたら、大家さんの親戚の小学生ぐらいの子供たち2人が泊まりに来ていた。
前に大家さんの誕生日パーティーで会った時はなかなかいい子たちだったが、今日は親もとを離れているせいか、子供らしく気持ちがいいくらいやりたい放題だった。
 
まず妹の方が自分の部屋に来て、いろいろと物色していた。
チョコのお菓子が目にとまったらしく、ひとつくれと言う。
1個だけあげるのもアレだからと、お兄ちゃんの分もあわせて2個あげた。
 
その後、夕飯前なのにいきなりフランスパンを 15 センチぐらい切って、2人でハムやチーズを塗ったくって食べようとしていた。
ナイフでパンを切ったりハムの袋を開けようとしているのだが、手つきが危なっかしくて手伝わずにはいられなかった。
 
隣の庭の梨の実を採ることになり、それ専用の道具を持って隣の家へ。
先端で枝を引っ掛け、手元のひもを引っぱることで先端を操作するのだが、それで実をとるたびに子供たちはバクバク食べていた。
おそるべき食欲・・・。
 
その後、夕食時にはなぜかお兄ちゃんはワイ●を飲んでいた。
妹の方はさすがにおなかがいっぱいだったのか、ろくろく夕食を食べずに食卓を離れたが、1時間後に自分がサンドイッチを作っていたらそれを食べたいと言い出し、さらに翌朝分のマフィンまで食べられてしまった。
 
子供らの英語はとにかく早口で何を言っているのかさっぱりわからなかったが、数時間も一緒にいるとだんだんと慣れてくるから不思議だ。
ついでながら、今夜のステーキはソースがとてもよくできていてうまかったのだが、その下ごしらえはお兄ちゃんがしたそうなので、彼の名誉のために備忘録に残しておくことにする。
 

2010年9月24日金曜日

Second Notice

9/23 (木) 雨
 
UBC からめずらしくメールではなく封書が届いた。
中を開けてみると “Second Notice” として、就労許可を更新したのならその旨を届け出るように、とのことだった。
そうしないといろいろと困ったことになりますよ、と脅しの文句が親切そうな表現で書かれていた。
 
同様の内容を3ヶ月前に送ったと書いてあるのだが、そんなものは受け取っていない。
それを本当に受け取っていればその時点でもっと早く更新に向けて行動できたかもしれないのに・・・と悔しく思うが、今となっては仕方がない。
 
秘書さんによると、就労許可の更新は3ヶ月以上かかることもあるとのこと。
更新待ちの状態では出国したら最後、カナダ再入国は認められない。
来月は ASA に行こうと楽しみにしていたのだが、キャンセルせざるをえない状況もありうるというわけだ。
 
日本のカナダ大使館で初めて就労許可を申請した時はそこまでは時間はかからなかったのに、カナダ国内からオンラインで更新するのになぜそんなに時間がかかるのか?
現時点では待つことしかできないのが、とにかく歯がゆい。
 

2010年9月22日水曜日

今日でちょうど1年

9/21 (火) くもりのち晴れ
 
今ようやく本日分のブログを書く段になって初めて気づいたのだが、今日でバンクーバーに来てからちょうど丸1年になる。
生活にはだいぶ慣れてはきたが、正直なところまだまだわからないことだらけで、大学生の初めての一人暮らしよりもさらにおぼつかないと思う。
 
例えば、Medical Services Plan にはずっと加入していたのだが、最近になってようやく CareCard がないことに気づいて再申請することになってしまった。
カナダに住んでいさえすれば国籍問わず誰もが知っている常識が決して身についているわけではないということを、改めて痛感させられた。
 
時々 TOEIC の無料模擬テストをやっているのだが、英会話力についてもリスニングやスピーキングの力が決して向上しているわけではないことに気づく。
もっとも現実に英会話をする際には、相手が言おうとすることを場面に応じてある程度予期できるようになったので(星飛雄馬の大リーグボール1号のようだが)、受け答えは多少はスムーズにはなったと思う。
 
大家さんが体調を崩したことは前に書いた。
声がガラガラになって咳き込んでいるが、自分もうつったらしくのどの調子がおかしい。
明日から水曜日の朝の講演会が復活するので、今日は早めに寝て体調を整えることにする。
 

2010年9月21日火曜日

Dancing With The Stars

9/20 (月) くもり一時雨
 
アメリカン・タレント・ショーが終わり、新番組が始まった。
“Dancing With The Stars” という番組で、さまざまな著名人がプロのダンサーと組んで、ダンスを競うというもの。
http://shows.ctv.ca/DancingwiththeStars.aspx
 
タレント・ショーと同様に辛口なジャッジがいて、10点満点で採点を行なう。
また視聴者が電話投票を行い、その結果、次のステージに進む人が決まるらしい。
 
芸能人のダンスといえば、ウッチャンナンチャンが出ていた番組が思い出される。
かすかな記憶では藤原紀香が出ていたような気がしたのだが、改めてウィキペディアを見てみたら実は杉本彩だった。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%AA%E3%83%8A%E3%83%AA%E8%8A%B8%E8%83%BD%E4%BA%BA%E7%A4%BE%E4%BA%A4%E3%83%80%E3%83%B3%E3%82%B9%E9%83%A8
 
ついでながら、さして混んでいないカナダ・ラインに人々が乗りたがらないのかがわかった。
夕方の帰宅の時間帯でも日本と違って慢性的に混んでいるわけではないので、次の電車を待つことで空いている車両に乗ることができる可能性があるのだ。
バスも同様で、2本続けて混んでいるということはそんなにない。
 

2010年9月20日月曜日

引き出し限度額

9/19 (日) 雨時々くもり
 
今日は休みなので、午前中は部屋の掃除をしたり、洗濯をしたりして過ごした。
ベッドのシーツや枕カバーなどを洗濯していたら、大家さんが洗濯したのを使わなくても、新しいのを出して交換して使っていいと言うので、そうさせてもらうことにする。
 
部屋の掃除は自分がするのがあたりまえだが、共有物や共有スペースのようなものはどうなっているのか、今ひとつあいまいなままである。
アパートの時は細かいルールがびっしりと書いてある書類を読まさせられた上に署名させられたが、ここにはそういうものは一切ない。
他人の家に下宿しているという実感がわく。
 
引っ越してからほぼ1ヶ月経つので、午後に軽く病院に行きがてら賃料を払うために銀行に行った。
カードでお金を引き出そうとしたが、どうも1日の支払い限度額が 500 ドルらしく、それ以上は引き出せなかった。
 
銀行の約款にそういうことが書いてあったのかもしれないが、英語なので読んでない。
日本では普通のやり方だと1日 50 万円までだったと思ったので、カナダは日本の 10 倍危険だから限度額が 10 分の 1 なのだと勝手に解釈することにした。
 
ついでながら、今朝は久々に Queen Elizabeth Park までジョギングした。
公園だけでなく行き帰りもアップダウンがはげしいので、とうてい平地のように早く走ることはできない。
ある程度の時間にわたって高い心拍数を保つことを目標に、ゆっくりめに走った。
往復プラス公園の外周で、42 分 40 秒。
このぐらいが適当なところだろうと思う。
 

2010年9月19日日曜日

中国人の床屋

9/18 (土) 雨時々くもり 一時晴れ
 
バンクーバーで初めて床屋に行った時にコミュニケーションで苦労したことは、昨年10月下旬に書いた。
http://anesthmemorandum.blogspot.com/2009/10/blog-post_25.html
そのイラン人の床屋には結局9ヶ月ぐらい通ったのだが、引っ越したので新たに見つける必要ができた。
今日は髪が伸びてきていいかげんボサボサなので、以前、Fraser Street で見つけた中国系の床屋に行ってきた。
 
店に入ると英語でない言語で何か話しかけられた。
中国語だったのかもしれない。
自分のことを中国人だと思ったのかも。
よくわからずにぼーっとしていたら、”Hair cut ?” と訊かれた。
手招きでようやくイスに座ることができた。
 
どのくらい短くするのかを説明するのに、イラン人の床屋以上に苦労した。
あの時は ”1.5 cm” で通じたのに、今日は全然だめだった。
床屋が電気バリカンのカバーを見せて、”サーティーン エムエム? (13 mm)” とか “シックス エムエム? (6 mm)” とか訊ねてきた。
 
手振りで “13 ミリメータ” と答えたら、「何だそれ?」っていう顔をしている。
どうやらミリメータとかセンチメータを知らないらしい。
来たことをハゲしく後悔したが、”Not really short ?” と訊くので “Yes, yes.” と答えたら何となく意思が伝わったようだった。
 
しかし髪を 13 mm だけ残して丸坊主状態にされたらたまらないので、いつでもストップできるように鏡を食い入るように見て散髪を受けることにした。
散髪が始まってみると思いのほか丁寧で、イラン人の床屋よりも良かったような気がする。
あまりの心地よさに、いつのまにかウトウトしてしまった。
 
終わって鏡を見せられ満足した旨を伝えたら、彼は満面の笑みだった。
エムエムには本当に参ったが、今度は散髪に関する中国語をマスターしてから行ってみようかと思っている。
 

2010年9月18日土曜日

誕生日を祝うこと

9/17 (金) くもりのち晴れ
 
M さんのお別れパーティーだけでなく、大家さんの誕生日パーティーが連日続いたことはすでに書いた。
自分は疲れたが、大家さん自身も疲労のためかついに倒れてしまった。
 
そのため、今日の夕食は中華のデリバリーだった。
おかゆみたいなのとワンタンスープ、リブ肉などなど。
味も濃い目でしかもふだん食べないものだったので、とてもうまく感じられた。
 
夕食の間、大家さんの電話がひっきりなしに鳴っていて、親戚や遠くの友人が休むまもなくおめでとうと言ってくる。
そして応接間のテーブルの上には、カードやプレゼントが山盛り状態だ。
そういうおめでとう攻撃がよほど嬉しいらしいので、自分もついついカードとプレゼントを贈ってしまった。
 
年配の女性だろうと誕生日はしっかりきちんと祝うのが、どうもこちらのやり方らしい。
4~5人いる麻酔科の秘書さんたちもそんな感じで、秘書さん自身だけでなく主任教授の誕生日には必ずその主役を取り囲んで、Happy Birthday to you を全員で歌っている。
 
以前、主任教授の秘書さんがたまたま自分たちの居室のまん前にいて、何か作業をしていたことがあった。
その居室は透明なガラスで仕切られたせまい区画なので全て丸見えだったのだが、やはり4~5人の秘書さんが彼女をずらりと取り囲んで、自分のすぐ目の前で “Happy Birthday” を合唱し始めたのは驚いた。
 
当時は今よりもただでさえ緊張の毎日だったのに、ガラス越しに外人(本当はカナダでは自分が「外人」なのだが)にぐるりと取り囲まれたような感覚があり、心拍数とおそらく血圧も一気に上がった覚えがある。
 
少なくとも自分は、日本ではなかなか年配の女性に「お誕生日おめでとう」とは言いずらい。
「またさらにバアさんになったよ」などとニヤリとされようものなら、「そんなことはないです、とってもお若いですよ」とも、「左様デゴザイマスネ」とも言えないからだ。
 
来週は大家さんのお姉さんの誕生日パーティーがあるらしい。
いくつになっても誕生日を盛大に祝うのはある意味とても爽やかで、見習うべきことなのかもしれない。
 

2010年9月17日金曜日

静かになったホームステイ

9/16 (木) くもりのち雨
 
ふだんは話し好きな M さんのおかげ(せい?)でにぎやかなホームステイだが、今朝、M さんがシアトル経由でオーストラリアに帰っていったので、夕方帰った時はうそのように静まりかえっていた。
いつもは気にならないブーツの鳴き声が、やけに大きく感じられる。
 
ここのところほとんど毎日のように M さんのお別れパーティーまたは大家さんの誕生日パーティーで、睡眠不足と重なって体力的にとてもきつかった。
本当にまるで高橋留美子の「めぞん一刻」のような宴会続きだった。
アパートのパーティーに懲りてアパートを出たのに、結局はそういうものからは逃れられない運命だと悟った。
 
大家さんにしても M さんにしてもすでにリタイヤしている世代なので、時間に余裕があるのだ。
だいたい11時過ぎまで飲んで騒いでお開き・・・というパターンが定着している。
 
今日は平常の毎日に戻り、夕食のあと30分ほど読書をして、仕事の残りを片付けてメールおよびブログを書くことができた。
時間を有効に使うことができると、たとえ疲れていても気力と体力が回復してくるような感じがする。
 

2010年9月15日水曜日

いわゆる「満員」電車

9/14 (火) 晴れ
 
昨日は夜遅くまで作業し、ようやく総説を投稿することができた。
締め切りを過ぎてまで、欧州某国の有名麻酔科医からの図の引用許可を待っていたのだが、結局は1週間という時間をムダにしただけに終わった。
 
疲れ気味ということもあって、今朝はふだんより1時間遅い6時半に起きた。
パンとコーヒーで軽く朝食を済ませバスで駅まで行くと、いつになく混んでいる電車がやってきた。
そうは言っても、東京の通勤電車にくらべると全然たいしたことはないのだが・・・。
 
自分の前に乗車口付近にいた2人は、あっさりと乗るのをあきらめてしまった。
実際に乗ってみると逆の戸口の方は全然空いており、さらにあと2~3倍は人を詰め込めそうな感じだった。
 
東京で通勤していると乗車口で足場を確保したり、そのあとでカバンを押し込みつつ勢いをつけて上体をすべりこませたり、痴漢に間違えられないような姿勢を工夫したりといろいろな技が身につくが、こちらの通勤電車はそういうのとは全く無縁の世界のように思える。
 

2010年9月14日火曜日

テレビが来た

9/13 (月) くもりのち晴れ
 
ここにはかつては4年間ホームステイしていた人もいたそうだが、自分のような最長で1年間というケースも実は長い部類に入るらしい。
それで先日、大家さんが自分の部屋にテレビを購入してくれると言っていた。
もっとも自分はテレビをそんなに見ないし、見る時はみんなでリビングでワイワイ言いながら見る方が楽しいので、固辞していたのだが・・・。
 
夕食前に帰ると、大家さんが近所の人といっしょにサンデッキで談笑していた。
どうもその近所の人が craigslist で、テレビを無料で手に入れてくれたそうだ。
http://vancouver.en.craigslist.ca/
 
薄型テレビとはほど遠い「ぶ厚い」テレビだが、そこまでしてくれたのなら・・・と、ありがたく頂戴した。
大家さんはコンセントさえ差し込めば、全てのチャンネルは無理でもニュースぐらいは見えるはずだと言う。
 
さっそく試してみた。
コンセントを入れてスイッチを入れると、全部で60個以上あるチャンネルのうち、3つ映った。
ひとつは中国語、ひとつはフランス語、もうひとつは英語のコメディ・・・。
 
どんな言語でもそうだと思うが、コメディを理解するのは超難関中の難関だ。
なんでみんな笑ってるんだろう???
オードリーみたいなのが出てくればそれだけでおもしろいんだろうけど、こっちのコメディーは身体を使ったお笑いじゃないし、何がおかしいのか自分にはさっぱりわからない。
 

2010年9月12日日曜日

BBQ のこだわり

9/11 (土) くもりのち雨
 
日本語学校のボランティアから帰ってくると、大家さんが BBQ をするので火を起こすのを手伝ってほしいと言う。
日本にいた時は新聞紙と薪で火を起こし、その後で炭を加えたかなあ・・・などと記憶をたどってしまった。
 
実際には M さんが仕切りたがっていたので、彼の手伝いをすることにした。
M さんは新聞紙を敷かずに直接墨を入れ、そこにスプレーで油のようなものをまいて、火をつけようとしたが、なかなか安定しない。
カナダはそうやるのかと思って最初は見ていたが、やっぱり新聞紙を敷くのが良かったようで、その後は強い火力を得ることができた。
 
BBQ が始まってからが大変だった。
M さんがやろうとしているところに大家さんと、さらには歴代の homestay 第一号の K さんまでが加わって、どのように BBQ をやっていくかで激しく論争していた。
アルミホイルや肉の置き方、油の引き方などそれぞれが一家言をもっているみたいで、お互いにやり方を譲ろうとしない。
それは自分が肉を裏返す動作にまでおよび、手首のひねりが遅いと注意されてしまった。
 
それでも何となく妥協案というか折衷案ができあがり、安定して肉が焼けるようになってからは、誰も文句を言わなくなったというか関心を示さなくなった。
仕切りたがる人がいたり横から口を出す人がいたり、このあたりは日本と何らかわらないと思う。
 

2010年9月11日土曜日

続・突然の変更

9/10 (金) くもり
 
ふだんの朝の通勤では、バスと電車(カナダライン)を使っている。
まず家から大通りまで出て右折し、そこから100メートルほど通り沿いに歩くとバス停に着く。
その時、大通りの進行方向の右側の歩道をてくてく歩くので、バスが来ないか後ろを振り返りながら(車は右側通行)バス停まで行くことになる。
バスが来るのがちょっとでも見えれば、もちろんバス停までダッシュするわけだ。
 
ところが今朝、そんな感じでいつものバス停に行こうとしたら、なんと大通りに出たすぐのところにバス停が生えていた。
日本ではありがちだが、ひょっとしたら酔っ払いが動かしたんじゃないかなんて思ったが、しっかり根元はコンクリートに埋まってた。
もちろん、「バス停変更のお知らせ」なんていうものはないので、ひょっとしたらバスが止まらないんじゃないかなんて思ったが、バスはなんとなくためらいがちに止まってくれた。
 
ここに引っ越してきたばかりの頃は、昨日までバス停があった場所に、バス停のポールが地面に横に転がっていた。
きちんとコンクリートに埋まって直立したのは、引っ越してから2日後ぐらいだったと思う。
この下宿にいた日本人の A 君がうれしそうに、「通り沿いに歩くとバス停が転がってる」と教えてくれたのを思い出す。
 

2010年9月10日金曜日

ひとりきりの夕食 --- 楽しいひととき

9/9 (木) 晴れ
 
オーストラリアから来た M さんがもうすぐ帰ることから、大家さんやM さんを含むアジア某国の移民者仲間で今夜は出かけて行った。
ふだんはみんなと一緒に夕食を食べるが、したがって今日は自分ひとりきりの夕食である。
大家さんが出かける時は、そうなることが多い。
 
さびしいことはさびしいが、ひとりきりの自由な時間も悪くない。
アパートの時とちがって変な緊張感もなく、パソコンで日本語のドラマを観ながらゆっくりと食事をした。
ドラマの名前は忘れたが、主人公の夫が10年後の世界からやって来て、自分との結婚を妨害しようとする話。
ありえない話だが、食い入るように見てしまった。
 
大家さんのネコ(ブーツ)を家の中に入れるように頼まれていたので、7時過ぎに玄関を開けて「ブーツ!」と叫んでみる。
マタタビの袋を振っても反応なし。
8時前、同じことをするもやはり反応なし。
 
8時半、同じように叫ぶと、今度は暗がりの中を通りの向こうからダッシュしてくる生き物が見えた。
必死に生垣をくぐりぬけ、一目散に階段を昇って駆け寄ってくる。

イヌが飼い主のもとに走ってくるのはよく見るが、ネコが走ってくるのは初めて見た。
正直なところネコはあまり好きではないのだが、あまりにも急いで走ってくるので、この瞬間はかわいいやつだと思ってしまった。
 

2010年9月9日木曜日

突然の変更

9/8 (水) 晴れ一時雨
 
最近は週に1回のペースで英会話クラブに通っている。
つまり、週1回しかダウンタウンに行っていない。
 
今日は英会話クラブに行くため、1週間ぶりにカナダラインの Vancouver City Centre で降りた。
階段を昇って地上に出ると、いつもと違う風景が・・・。
歩行者天国だったはずのグランビル通りに、バスが走っているのである。
 
バスの経路が変わるのはしょっちゅうなのでそんなに驚かなかったが、人がバスにあやうく轢かれそうになっていたのには驚いた。
おそらく、バスが走るようになったことに気づいていなかったのだろう。
左右を確認することなく道路に飛び出したような感じだった。
英会話クラブに行ってバスのことを話したら、受付の女性もやはり轢かれそうになったと言っていた。
 
バスに限らず、ここでは突然いろいろなことが変わる。
特に公共料金がそうだろう。
マンスリー・パスの値段はしょっちゅう変わっているようだ。
グラウス・マウンテンのスカイライドの値段も、シーズン途中に突然倍増していた(怒)。
 
歩行者天国をやめるのであれば、せめて1ヶ月ぐらい前から予告すればいいのにと思う。
日本だったらきっとそうしていることだろう。
でも実は予告していたのに、英語だから視界に入っていなかっただけだったりして・・・。

2010年9月7日火曜日

何のために働くのか

9/6 (月・祭) 雨
 
オーストラリアから大家さんの友達の M さんが泊まっていることは前にも書いた。
ものすごくおしゃべりで、酒が入るとさらによくしゃべる。
いつまでも話題がつきない。
日本人の知り合いが多いらしく、日本のこともよく知っている。
 
今日が Labor Day だからというわけではないのだろうが、昨日は酔った M さんに議論を持ちかけられた。
http://en.wikipedia.org/wiki/Labour_Day
日本人は働きすぎる。
ボスが帰らないと部下が帰ることができないなんてばかげている。
平日に子供が起きている時間に帰らないから、子供に週末しか帰ってこないって思われるんだ・・・などなど。
 
「いや~、それが日本の伝統なんですよ~」と軽くかわそうとしたら、
「伝統だと~? それがキンタ●ぶらさげてる男の言うことか!」と、さらに激高させることになってしまった。
(ちなみに英語でキンタ●は、かんたんに “ball” でいいらしい)
 
このあたりは妙に大家さんと M さんは気が合っていて、従順に超過勤務をして労働者の権利を主張しない人のことを愚か者だと思っているフシがある。
また、アパートに住んでいたころ自分が週末に病院でデータ採りをしようとしていたら、フランス人に「週末に出勤するといくら手当が出るのか」とか、「手当てが出ないってことは、ボランティアを強いられていることか」などと、しつこく訊かれていたことを思い出した。
 
日本の労働環境一般について論じるのは難しいが、少なくとも自分の仕事については、いい業績を挙げることが全てだと説明するようにしている。
最近では、アスリートの例を挙げて説明しているのだが、こちらの人たちには今ひとつうまく伝わっていないように感じる。
 

2010年9月6日月曜日

Goat Mountain

9/5 (日) くもり
 
バンクーバーにお住まいのAさんのおすすめで、Goat Mountain へハイキングに行ってきた。
Goat Mountain は Grouse Mountain から近いのだが、自分がいろいろな人に訊いた限りでは知っている人はほとんどおらず、地味な存在のようだ。
http://www.vancouvertrails.com/trails/goat-mountain/
 
カナダ人の M 君と一緒に行った。
天気が良くなかったので自分は比較的重装備だったのだが、彼は大胆にも半袖と短パンの格好で、片手に水筒を持っているだけだった。
 
彼は20才代半ばで若いだけあって、 Grouse Grind も疲れを見せずにどんどん行ってしまう。
自分にとって3度目の Grouse Grind は1時間15分もかかった。
どうもタイムは荷物の重さによって大きく変わってくるらしい。
 
Grouse Grind の後で Grouse Mountain の左側の道を通ってGoat Mountain へと向かった。
ものすごい霧の中を進んで行くことになった。
途中、小雨が降ってくることもあったが、幸いなことに大降りにはならなかった。
 
最初は舗装されているから良かったのだが、そのうち細くてアップダウンのある山道になった。
Alpine Route と書いてある道を進むのだが、最後の方にはくさりを使ってよじ登るような急な箇所もあった。
近くにいたハイカーによると、事故で人が亡くなることはよくあるらしい。
 
石が積まれている小高い丘のようなところがあり、まわりのどこよりも高いことを確認し、頂上に着いたということで、軽くサンドイッチを食べた。
たまたまハイカーが通りかかったので尋ねたら、なんと実はそこは頂上ではなかったので、さらに小道をどんどん進んで行くことになった。
本物の頂上はすごく広くて、ホームページに載っている通りだった。
 
笑えるのは帰りがけにその「にせの頂上」に通りかかったら、家族連れがそこによじ登っていたこと。
やはり彼らに同じことを尋ねられたので、そこは頂上ではないと教えてあげた。
「ここは頂上ではありません」と、看板を立てるべきだと思う。
 
Grouse Mountain から Goat Mountain への往復は、Grouse Grind の比較にならないほど長くて大変だった。
ホームページにあるとおり、往復でほぼ4時間かかった。
M 君は古傷の膝を痛め、自分は太ももの筋肉がつる寸前だった。
帰りに一瞬晴れた時があったので、その時に下界を撮った写真を載せておく。
 
帰りにスカイライド乗り場近くのレストランで、ビールとちょっとしたつまみを頼んだ。
そのつまみというのがシェアメニューで、おそろしく小さいハンバーガーが3つだったのだが、肉の味とチーズの味の組み合わせが絶妙で、今まで食べたことがないくらいおいしかった。
M 君も絶賛していた。
けっこう高いのだが、あれを食べるだけのためにもう1回あのレストランに行ってもいいと思う。
 

2010年9月4日土曜日

ネイティブのレスポンス

9/3 (金) 晴れ
 
Language exchange みたいなことをしていると、英語が母国語の人 (native English speaker) の反応がいくつかのタイプに分かれることに気がつく。
まず、こちらがどんなにマズい英語でも平然としている人。
どうもそういう人たちは日本人の英語のマズさのパターンに慣れているらしく、なぜか一応通じてしまうから不思議である。
今の homestay の大家さんはまさにそのパターンだ。
 
次に、マズい英語を重箱の隅をつつくようにして全てを修正しようとする人。
こちらが完璧な英語を話さないと許してくれず、次の話題に移らせてくれない。
こっちにとっては勉強になるのでまあまあありがたいのだが、気の毒なことに気に入った完璧な英文を作ることができずに、ネイティブ・スピーカー自身がしばしば長考状態に陥ってしまうことがある。
 
そして最後にこれが一番やっかいなのだが、こっちが言葉に詰まるととたんに眉間の皺が深くなったり、手を耳にあてて一生懸命聞き取ろうとしたりと、わからないことが態度に表れる人。
こういう態度をされると、こっちの緊張感が一気に高まる。
 
クリスマスパーティの時に、隣の席に座った人がまさにこれだった。
自分のオフィスの場所を説明しようとして ”third floor” と言ったらこれが通じず、とたんに手を耳に当てて近づいてくるのだ。
何度くりかえしても通じない。
背中に冷たい汗が流れるのを感じた。
 
今、大家さんの友達の M さんがオーストラリアからやってきて泊まっているのだが、彼もまさにこのタイプだった。
英語にちょっとでも詰まると、とたんに眉間の皺が深くなる。
もっとも彼は優しい人なので、不機嫌になっているのではなく、一生懸命聞き取ろうという態度なのだと信じているのだが・・・。
 
彼と一緒に夕ごはんを食べたり、ビールを飲んだり、テレビを観たりするようになってから1週間近くたった。
昨日、今日は彼からそういう態度は消え、わかってるんだかわかってないんだか大家さんのように平然とするようになったように感じられる。
一緒に住んでいると、だんだん相手の英語のマズさが気にならなくなってくるのかもしれない。
そういう意味では Homestay っていうのは、ネイティブ・スピーカーからある種の言語に関する鋭敏さのようなものを失わせる何かを潜ませているのかもしれない。
 

2010年9月2日木曜日

タレント・ショー

9/1 (水) 晴れ
 
大家さんがアメリカン・タレント・ショーが好きだということで、自分も最近一緒にテレビを観ている。
http://www.cbc.ca/weather/s0000141.html
 
昨日はセミ・ファイナルで、10才のオペラ歌手とか、大がかりな手品を披露するマジシャンとか、大ケガをしながらもマウンテンバイクで高いところから降りてくる無謀な若者とか、賞金が高額(100万ドル)なだけにさまざまなつわものが出てきておもしろい。
今日はファイナル進出者への発表で、悲喜こもごもの場面を見ながらこのブログを書いている。
来週の月曜日がファイナルなのだそうだ。
 
それぞれの出場者の技がすごいこともさることながら、ジャッジのコメントが妙に辛口だったり大げさなスタンディング・オベーションだったりで、それに対して会場の観客が賛同したりブーイングしたりするところがとても興味深い。
こういうのを見ていると、いい論文がなぜかリジェクトされたり、たいしたことがないのが逆にアクセプトされたりすることもあるのだろうと、妙に納得させられてしまう。
 

2010年9月1日水曜日

締め切りを守ること

8/31 (火) 雨
 
総説の締め切りが迫ってきたので、午後から担当教官と打ち合わせを行なった。
その時に締め切りのことが話題になったのだが、彼は自分は締め切りを守ることが大事だと思っていると断った上で、一般的には2週間くらいの遅れは OK だといったようなことを言っていた。
 
昨年は指導教官の共著という形で、テキストのチャプターを2つ執筆するのを手伝った。
その時はインフルエンザのような症状で2人とも締め切り(12月1日)の少し前に倒れてしまい、提出が2週間ほど遅れることになってしまった。
しかし今日の話では、同じテキストの別の執筆者の中には今年の6月末になって、つまり半年ほど遅れて提出した猛者もいるという。
せっかく最新の内容を盛り込んだのに時代遅れになってしまいかねないし、編集者だけでなくほかの執筆者にとっても全く迷惑な話だと思う。
 
日本でも本や総説のたぐいを書く時には、締め切りを守らない人が多いと聞く。
自分はそれは日本特有のものであって、何となく勝手なイメージとしては西洋ではきっちり守られるものだと思い込んでいた。
 
医者の悪筆が日本もカナダもそしておそらくは世界共通のものであろうことは以前に書いた。
執筆の締め切りが決して守られないことも、おそらくは世界共通なのではないかと思う。
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Work permit の書類に関しては、ようやく今朝、提出できた。
本当に期限内に更新できるのかどうか今ひとつ不安が残るが、G8 のひとつでありテクノロジーに秀でているカナダに限って、オンラインで提出した書類をノロノロと扱うなどということは決してないと信じている。