2010年8月31日火曜日

2年目に向けての試練

8/30 (月) 晴れ
 
Work Permit の書類を週末に書き上げ、あとほんの少しで郵送できるということまで来たのだが、今朝、秘書さんに会ったら、「役所は30日って言ってるけど、ホントは3ヶ月かかるよ」と真顔で言われた。
郵送の場合はとなりの州まで送ることになるのだが、秘書さんに言わせると、せっかくバンクーバーみたいな都会に住んでいるのだから、エア・ポートの Immigration office で手続きをするべきだということなのだ。
 
そうこうしているうちに、エア・ポートの場合はお金の支払い方が違うとか、パソコン上で出てくるべき書類が出てこないとかですっかりパニック状態になってしまった。
秘書さんに再び相談し、多くのドクターがしているように、オン・ラインで work permit の延長の申し込みをすることにした。
 
オン・ラインならちょっとは楽なのかな・・・と思ったら、全然そんなことはなかった。
まず、Government of Canada epass への登録だけでも大変だった。
http://www.cic.gc.ca/english/e-services/epass.asp
パスワードやIDを設定するだけでなく、それを思い出すための秘密の質問なども設定するのだ。
しかももちろん英語だから、よけいにストレスだ。
 
いろいろな質問に答え、今日はとりあえず HRSDC Confirmation Letter、Job offer letter、パスポートといった添付書類をアップロードするところまでこぎつけた。
しかしスキャナーからパソコンへの取り込み方がよくわからず、そこでまた秘書さんの世話になることに・・・。
スキャナーから自分のメールアドレスに直接送れるので、とても便利だと思う。
 
College of Surgeons & Physicians of BC から、早々と医師免許が届いた。
先週申請したばかりなのにすごい・・・と思ったら、免許の有効期間がwork permit の有効な1ヶ月間だけでがっくりした。
カナダの人々はふだんはかなりゆるいような印象があるのだが、Immigration とかCSPBC などの役所系はおそろしく厳格なように感じる。

2010年8月30日月曜日

多忙な週末

8/29 (日) くもりときどき晴れ
 
引っ越しが終わって落ち着いたはずなのだが、週末にもかかわらずこの2日間はきわめて多忙だった。
総説の締め切りが迫っているのが理由のひとつだが、それ以上に必死にならざるを得ないのが就労許可の更新である。
 
総説は失敗してもリジェクトで済む(今までの準備を考えると被害甚大だが)が、就労許可が得られないと国外追放になってしまう。
こっちの秘書さんはずいぶんと簡単に考えていたようだが、カナダ政府のホームページを見ると、新規に取得した昨年ほどではないにしてもけっこう面倒なプロセスである。
http://www.cic.gc.ca/english/information/applications/menu-inside.asp
今日は朝早くから研究室へ出向き、夕方まで総説書きの仕事と就労許可のための書類書きを交互に行なった。
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帰宅すると大家さん(G さん)はおらず、ネコ(名前は「ブーツ」・・・足だけ白いから)だけがいた。
G さんとそのお友達Mさんの帰宅を待って、食事(マレーシア風のカレー)をした。
G さんは交友関係が広くしょっちゅう友達が来るので、そのたびに自分も話に加えてもらっている。
 
ここに引っ越してから、以前よりも英語を使う機会がずっと増えた。
まだ効果は明らかではないが、そのうち英会話のラーニング・カーブがぐっと急上昇することを期待している。
 

2010年8月28日土曜日

UBC のオスキー

8/27(金)くもりのち晴れ 午前中は一時雨
 
来週から UBC の新学年が始まるので、学生とは今日がとりあえずは夏休み最後の共同作業となった。
試験まではまだまだ間があるので、大学が始まっても平日の夜とかに来られるかもしれないと言う。
 
試験の話から、オスキーの話を聞くことができた。
8つのステーションをまわって、問診はもちろんのこと、呼吸やバイタルサインなどひと通りのことをするのだそうだ。
 
ウチの大学では、問診で学生がけっこう苦労しているように見える。
UBCでは俳優が患者役を務めるのだそうだ。
患者がアフガニスタン帰りの兵士という設定だったりすることがあり、医学とは離れた知識が必要になるとのこと。
 
CBCのウェブサイトにときどきアフガニスタンで亡くなった兵士の顔写真が出てたりするが、そういう話を聞くとなおさら、カナダが今も戦争に参加している国なのだと考えさせられてしまう。
 

2010年8月26日木曜日

医師免許更新申請

8/25 (水) 晴れ
 
去年の9月に BC 州の医師免許を受け取って以来、免許についてはずっと放置していた。
医師免許の更新は就労許可を更新してからの作業になると秘書さんに言われていたので、まだずっと先の話だと考えていたのだ。
 
しかし今日になって、秘書さんにすぐ更新手続きをとるようにと言われた。
どうもこのまま放置していると8月末で免許が切れてしまうため、当局 (College of Surgeons & Physicians of BC) から催促が来たらしいのだ。
 
免許の更新はウェブ上で行なうことができるのだが、まずログインが大変な作業だった。
自分の ID のほかに、パスワードみたいなのが2種類必要なのだ。
 
まず ID が何を意味するのかが全くわからなかった。
これはウェブサイトを見ていて、医師免許自体に載っていることがわかったが・・・。
家に帰って医師免許をチェックしようと思っていたところ、偶然秘書さんが通りかかり、自分の医師免許を実は秘書さんが管理していることがわかった・・・っていうか、忘れていた。
 
その後、ウェブサイト上でパスワードを再申請し、ようやくなんとかログインすることができた。
免許更新の際にはこの1年間で問題を起こしたことがあるかとか、尋問を受けたことがあるかどうかとか、いくつかの質問に答える必要があった。
そして最後に更新料 100 カナダドルをクレジットカードで支払って終了。
 
ウェブサイトでは、この更新の手続きの締め切りは6月ぐらいと書いてあったように思う。
College of Surgeons & Physicians of BC から時々メールが来ているのだが、そんなに真剣に読んでいたわけではないので、知らず知らずのうちに見過ごしていたのかもしれない。
 

2010年8月25日水曜日

銀行口座開設しました

8/24 (火) 快晴
 
今まではアパートの賃貸料などのまとまったお金はクレジットカードで支払っていたのだが、これからは現金も重要になってくるので遅ればせながら銀行口座を開くことにした。
賃料の支払いについて、大家さんは「トラベラーズ・チェックでも OK だと思う」と言ってくれたのだが、正直なところ今ひとつ心もとない。
 
早朝から診療録からのデータ採取を行ない、午前 10 時に病院のそばの Canada Trust に行った。
日本の銀行のようにその場ですぐに口座が作れることを期待していたのだが、アポイントが必要だと言う。
見渡す限り数人しかおらずその全員が窓口にいるので、確かにその一人が口座開設につきっきりになるというわけにはいかないのだろう。
名刺を渡されいったん引き上げた。
 
正午に銀行に行くと、窓口ではなく奥の小さな部屋に通された。
窓口のにこやかな若い行員とは違い、ちょっと迫力のあるオジさんが相手だった。
口座を開設するにあたって ID を2つ(自分の場合はパスポートと就労許可)提示し、住所や職場、電話番号などを訊かれた。
自分の発音が悪いわけではないと信じたいのだが、職場の部署を ”Department of Anestology” と書かれたのにはまいった。
 
一番の驚きは、銀行口座に使用料がかかるということだ。
預金を引き出すといった使用が月に 25 回以下の場合、月に 8~9 ドルぐらいかかるようだった。
もっとも、多額の預金があれば使用料はかからないのだが。
 
それから小切手の紙とカードを渡された。
いままでの人生で小切手を使ったことがなかったので、なんかワクワクする。
貯金通帳がないことと、カードに有効期限があることも新鮮に感じる。
窓口でカードの PIN ナンバーを登録し、さっそく預金してみた。
 
銀行口座がないとトラベラーズ・チェックの現金化が一度に 200 ドルまでだったのが、これからはその制限額がぐっと増えたので、生活がより便利になりそうだ。
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ついでながら、今日は久しぶりにいつものカフェテリアにコーヒーを飲みに行ったのだが、また支払いの時にレジのおネエさまに「あーら先生、お久しぶり。今日も紅茶?」と言われてしまった(http://anesthmemorandum.blogspot.com/2010/07/coffee.html)。
たぶん自分の発音が悪いのではなくて、彼女が無頓着なのか、機械的にそう訊いているのか、あるいは単にからかわれているだけなのだと思う。
 

2010年8月24日火曜日

くりかえす停電

8/23 (月) 晴れ
 
おととい1時間以上の停電があったことはすでに書いた。
夕方、部屋に帰ったら、今朝も40分程度の停電があったと言って大家さんが怒っていた。
もう1回あったら電気代を払わない、とまで言っていたのに、晩ごはんを食べていたらまた停電になった。
 
今度は10分ぐらい。
ごはんができあがったあとで本当に良かった。
しかし晩ごはん中のできごとだけに、よその家では炊飯中のところもあるにちがいないわけで、本当に悲惨な事態になる可能性が高かった。
 
自分が住んでいるのは Fraser ということになると思うのだが、大家さんによると停電はここを含むバンクーバーの東側で起こっているとのこと。
ちなみに、バンクーバーを東西に分けるのは、Ontario St. なのだそうだ。
何年も起こっていなかった停電が頻繁に起こることが、人災とか大事故とかの前触れでないといいのだが・・・。
 

2010年8月22日日曜日

街中が真っ暗

8/21 (土) 晴れ
 
今年は自分の発表はないので、ようやくこの時期になってASAの旅行の準備をすることにした。
今年から会員の参加費が無料ではなくなったことは知っていたが、リフレッシャー・コースが無料になったことは今日になって初めて知った。
会費のもとをとろうとして各会場が今まで以上に混み合うのではないかと、自分のようなケチな人間は考えてしまう。
 
まずは往復の飛行機を確保すべく航空会社のウェブサイトを見ていたところ、突然、部屋が真っ暗になった。
廊下に出たら、まわりを黒く塗ったような真の暗闇だった。
上下左右がまったくわからない。
日本だったら月明かりくらいは少しは入ってくるところだろうが、ここはカナダ。
自分の部屋は半分地下にあるので、廊下には外の光が入ってこないのだ。
 
大家さんが電気を使いすぎたとばかり思い、「ブレーカーはどこ?」と訊ねてしまった。
彼女の返事は「外を見てごらん。街中が真っ暗だよ」とのこと。
グラウス・マウンテンからはまばゆいばかりの灯りが輝いて見えるが、家のまわりはどこも闇で、どこの家もろうそくの灯りを頼りにしているようだった。
 
大家さんもさっそくろうそくを灯していた。
さすがは、homestay のプロ。
対応が恐ろしく早い。
 
停電は1時間半ぐらい続いた。
街中がこんなに長い間真っ暗になったのは、自然災害を除けばたぶん小学生の頃以来だと思う。
日本はたぶん、電力の供給がどこよりも安定しているのだろう。
 
ダウンタウンのアパートで電気を使いすぎてブレーカーを落とした時は、メキシカンの彼女が外を見て「外は大丈夫だから、このアパートの問題だ」といったようなことを言っていた。
自分にはそういう発想はなく、停電はつねに住宅内の電気の使いすぎだと思い込んでいた。
 
今回の停電は原因が現時点では明らかではないが、自然災害が原因の停電といえば、2006年の日本心臓血管麻酔学会で長崎に行った時のことが思い出される。
電車をなぎ倒したくらいの強い台風が長崎を直撃し、自分が泊まっていた安ホテルは全ての電力が遮断された。
 
日没ぎりぎりまで太陽の光を頼りに JB-POT の勉強をし、翌朝にそなえて暗闇の中、7時半にはベッドに入ったことがなつかしい思い出となっている。
ついでながら、その後、ホテルの従業員がろうそくを持ってきて自分の部屋をノックしたらしいのだが、半分眠っていた自分は金縛り状態になってしまい、たいへんな苦痛を味わったことも、この際だから備忘録に残しておく。
 

2010年8月21日土曜日

アパート退去手続き完了

8/20 (金) 晴れ
 
今朝の時点ではまだ荷物が残っていたので、6時に起きてまずアパートとの間を1往復した。
そして13時に管理人と会う約束だったので、再びアパートへ戻った。
 
管理人が部屋に入ってまず驚いたのは、ベッドのマットレスが床に直接ひかれていたこと。
他のユニットの同じタイプの部屋は、ちゃんとベッドの台の上にマットレスが置かれているとのこと。
去年の9月にいた管理人に手抜きされていた(差別されていた?)ことに今さらながら気づかされてしまった。
気づかなければそういうものだと思っていたし、腹を立てずにすんだのに・・・。
 
さらに、自分としてはもらったつもりだったブランケットを寄付しようと思ったのに、クリーニング代を請求されてまたちょっとむっとしてしまった。
管理人としては自分が借りていたものだと思っていたらしい。
それで、昨年、自分が体調を崩した時にアパートじゅうの暖房が全停止し、幹部がブランケットを配って回ったという歴史を説明するはめになった。
 
メキシカンは別れを惜しんでくれたが、残念ながら彼の英語の半分ぐらいしか理解できなかった。
こういう出会いや別れといった人生の重要な局面で相手の言葉がわからないというのは、すごく損をしているような気がしてならない。
再会を約束したので、今度会う時までには少しでも英語力を高めておきたいと思う。
 

2010年8月20日金曜日

引っ越しました

8/19 (木) 小雨のち晴れ
 
早朝はくもっていたがそのうち雨が降ってきて、どうなることかと思ったが、まあなんとか無事に引っ越しの荷物を運ぶことができた。
正確に言うと全ての荷物を運べたわけではなく、8割程度といったところか。
明日、正式にアパートのカギを返すので、その時に残りの荷物を運ぶことになる。
 
引っ越し先はいわゆる home stay である。
“Home stay”であって、「ホームステイ」ではない。
つまり、日本語のホームステイから受けるイメージとはかなり違うと思う。
自分のイメージとしては、本郷あたりにある賄い付き下宿に近い。
http://www.gesyuku.net/room/nihonkan.html
↑ これは本郷ではないが・・・。
 
もうメシの心配をしないでいいと思うと、とても幸せに感じる。
自分のほかには学生が1人いるだけなので、洗濯機を争うこともないだろう。
一番重要なのは、研究や執筆活動に専念できることである。
 
引っ越し先で呼び鈴を押した時、何も返答がなく一瞬不安に感じたが、バンクーバーにやってきた昨年の9月21日のことがなつかしく思い出された。
あのころにくらべれば1年間の蓄積がある分タフになったし、これからの1年も生き抜いて行けると思う。
 

2010年8月19日木曜日

アパートの侵入者に思うこと

8/18 (水) 晴れ
 
自分の留守中に研究を UBC の学生が手伝ってくれることになっていたが、最近彼から妙に弱気なメールが届いていたので、朝一番に診療録のチェックに出かけた。
彼のパソコンが不調なようで、データ処理が滞っているとのこと。
 
確かに診療録置き場にはカルテがたまっており、仕事が順調には進んでいないことを物語るような光景だった。
彼も一人っきりで単調な作業をするのは、モチベーションが上がらず辛かったことだろう。
学生をはげましつつ、これからピッチを上げてデータを採取していくことにする。
 
昨日はなんちゃってイタリアンのおばさんが、今日は学生が言っていたが、自分がいなかった間、バンクーバーも例年になくかなり暑かったらしい。
猛暑は日本だけじゃなかったというわけだ。
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夜中に目覚めたら、共有スペースの灯りが消えていることに気がついた。
そして朝起きたら、共有スペースには寝袋にくるまって誰かが寝ていたので、その誰かが寝る時に灯りを消したということなのだろう。
 
フランス人やメキシカンはそういうことはしないので、状況からするとコリアンの女の子が男子を連れ込んで共有スペースに寝かせたということが最も考えられる。
薄い扉1枚を隔てて、どこの誰か全然知らないヤツが共有スペースに寝ているのは、ものすごく気持ちが悪い。
アパートの玄関に電子錠が付いていて、ユニットの入り口にもカギが付いているのに、防犯には全く役に立っていないというわけだ。
 
日本の学生寮や運動部の合宿所なら、そういうことがあっても不思議ではないと思う。
それは仮に面識が全くなかったとしても、あくまでも同じ大学生、同じ部活、(さらには同じ人種・言語)といった共有する何かがあることが前提だからだ。
 
ここは平和で安全な日本(韓国)じゃないし、かりそめにもアメリカ大陸だぜ(怒!)。
自分は明日転居し、あさってには完全にここを引き払うが、そういう意味では本当にこういうインチキくさい生活をよく1年近く続けられたものだと思う。
(もっと早くそれに気づかなかった自分にも腹が立つ!)
 

2010年8月18日水曜日

成田スカイアクセス

8/17 (火) 晴れ
 
今回はエア・カナダでバンクーバーに戻ってきた。
夏休みシーズン中だけあって、乗客には若者が多かった。
自分が搭乗した時はエコノミーの最後部ががら空きだったのだが、出発ぎりぎりになって大量の若者が乗り込んできて、結局は席はほとんど埋まったようだった。
 
荷物を預けたもののなぜか搭乗しなかった人が1人いたそうで、その人の預かり荷物を取り除くために時間を要し、出発が少し遅れた。
爆発物とか有害物を預けているという可能性もないわけではないと考えると恐ろしい。
 
今回は成田空港へ向かうのに、開業してちょうど1ヶ月の成田スカイアクセスを利用した。
都心からではなく途中の駅から一般特急に乗ったのだが、電車は空いていてすぐに座ることができた。
http://www.keisei.co.jp/keisei/tetudou/skyliner/jp/
 
今までは船橋経由で都心と成田空港を結んでいたスカイライナーを、より直線的な路線を走らせることで時間短縮を図っているようだ。
ウィキペディアによると、線路と施設の保有は京成電鉄ではなく別会社にやらせているらしい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E7%94%B0%E9%AB%98%E9%80%9F%E9%89%84%E9%81%93%E3%82%A2%E3%82%AF%E3%82%BB%E3%82%B9
 
スカイライナーは高いので、今までは成田空港と自宅との行き来には京成線の特急に乗っていたのだが、スカイアクセスの一般特急を利用できるとなるとより早くて安いので、自分のような田舎者にはとてもありがたい。
 

2010年8月17日火曜日

暑すぎる日本の夏

8/17 (火) 晴れ
 
日本に戻ってきた頃は夏らしい暑さが心地よかったが、あまりの激しさにバンクーバーが恋しくなってきた。
夏休みももう終わりなので、昨日は子供たちと屋外プールに行ってきたのだが、その時のプール近辺の気温が、37.5℃!
今朝も暑く、午前中からエアコンを入れてしまった。
 
3年間飼っていたオオクワガタのオスが、おととい死んでいた。
昆虫が死ぬといつものことだが、夏の終わりを感じる。
 
しかしムシかごが空いたのは一瞬のことで、今朝はそのオオクワガタの子供が菌糸ビンの中で羽化しているのを発見した。
けっこう大きいオスだ。
残念ながら父子の対面はならなかったが、またこれから3年間くらいは飼育が楽しめそうである。
 

2010年8月14日土曜日

ホテルマンに学ぶ

8/14 (土) くもり
 
家族で旅行に行く時はいつものことなのだが、観光地でのホテルマンの仕事っぷりにはプロ意識が強く感じられ、顧客サービスの徹底という点ではほかのどんな仕事にも負けないのではないかと感心させられてしまう。
病院では患者が目の前にいようといまいと職員どうしが私語を交わすことはそう珍しくはないと思うのだが、いいホテルであればあるほどそういうことはなさそうだ。
 
自分は航空業界にもかつてはホテルマンのようなイメージを持っていたが、最近は値下げ競争に加えて安全管理が厳しくなってきていることもあって、つねに忙しそうな国際線の客室乗務員にはあこがれの職種といったイメージを持つことは難しくなってきている。
つい最近も海外で、わがままな客にキレた客室乗務員が、職場放棄して非常用出口から帰宅したという事件があったばかりだ。
http://mainichi.jp/select/today/news/20100812k0000m030034000c.html?link_id=RSH05
 
できることなら自分も一流ホテルマンのように、患者にとって決して愉快な経験ではない周術期の医療を少しでも快適なものにするために尽くすことができれば・・・と思う。
自分の医師生活の後半をより充実したものにするためにも、留学生活の後半では周術期医療のあり方についても考察していきたい。
 

2010年8月10日火曜日

東京スカイツリー

8/10 (火) くもり一時雨
 
所用があって、家族で渋谷へドライブした。
帰りに昼ごはんを食べようと思い、ファミレスを求めてフラフラと車でさまよったら、いつのまにか駿河台下から上野、さらには浅草へ。
 
ふと気がつくと、目の前に大きなタワーが。
浅草らしくない建築物に面食らったが、これが東京スカイツリーなのだということを初めて知った。
 
最近の小学生や中学生は林間学校とかで出かけると、まずは行きがてらこれを写すらしい。
というわけで、冷静にわが家のデジカメの中身を調べてみると、確かにいくつかこの建物が写っていた。
 

2010年8月9日月曜日

Wii Party

8/9 (月) くもり
 
数ヶ月ぶりに家族と会うと、特に子供たちのおねだりにはどうしても甘くなってしまう。
昨日の夕方、近所のトイザらスに行って、”Wii Party”を買ってきた。
http://www.nintendo.co.jp/wii/supj/
http://en.wikipedia.org/wiki/Wii_Party
 
80種類以上のミニゲームが入っているのだが、本当にどれもすぐに勝負がつくミニゲームばかりだった。
ルールと操作が比較的簡単で、小さな子供はもちろん、ゲーム機の操作に慣れていない大人でも楽しめるところがいい。
 
テレビのコマーシャルでもやっていたが、自分としては「パンチングファイト」が気に入っている。
http://www.ossan-live.com/video/001276.php
攻撃せずに逃げ回ると確実に2位にはなれるのだが、決して1位にはなれない。
攻撃は最大の防御なり・・・みたいなところがある。
 

2010年8月5日木曜日

運転免許更新

8/5 (木) 晴れ
 
ちょうど運転免許証の更新時期だったので、免許証センターに行ってきた。
今回は間違えることなく、ちゃんと車で出かけた。
 
5年前の更新の時は、更新のお知らせのハガキに「なるべく公共交通機関をお使い下さい」と書いてあったために、ものすごく不便だったにもかかわらず本当に公共交通機関を使って行った。
帰りのバスの乗り場所がわからなかったのでセンターの人に尋ねたら、「なんで車で来なかったの?」と逆にもの珍しげに訊かれたり、「この人、車で来なかったんだって~」と他の職員との話のネタにされたりして散々だった・・・ということがあった。
 
無事故・無違反だったので、講習は30分ほどであっさり終了。
中型免許という概念ができたこと、免許証には本籍を載せなくなったこと、4ケタの暗証番号が2つ必要になったこと、もみじマークが変更される見通しであること、聴覚障害者用のマークがあることなど、とても勉強になった。
http://www.npa.go.jp/koutsuu/kikaku/momijibosyuu.pdf
あたかもリフレッシャー・コースのようだった。
 
夕方は子供の林間学校のお迎え。
自分が子供の頃とは違い、今は林間学校が終わったら、解散場所まで親が迎えに行くことになっているようだ。
 

2010年8月4日水曜日

アリエッティ観た

8/4 (水) 晴れ
 
家族と夏休みを過ごすため、また日本に戻ってきた。
成田空港で飛行機から一歩外に出た瞬間、モワッという熱気とともに鼻の粘膜の血管が拡張するような感覚があった。
 
セミの鳴き声が懐かしい。
アシナガバチが飛んでいるのを久々に見た。
なぜ、バンクーバーではセミやハチがいなかったのだろう。
 
午前中、娘と映画館へ。
「借りぐらしのアリエッティ」を観た。
http://www.karigurashi.jp/index.html
 
舞台設定といい登場人物といい、ひょっとしたらそんなことがあるかもしれないという現実感をいつのまにか持たさせられてしまう。
宮崎駿アニメから日本に関心を持ちはじめる海外の若者が少なくないのも、よくわかるように思う。
 
コンビニでウーロン茶(100円)を買ったのだが、価格に税額が込みになっているのは買い物をする上で便利だというのがとてもよくわかった。
ブリティッシュ・コロンビア州でもHST込みの価格を表示してくれると、大いに助かると思う。
 

2010年8月2日月曜日

Vancouver Pride Parade

8/1 (日) くもりのち晴れ
アパートで生活する
    残り日数・・・あと1+3日
 
Pride Paradeがあったので、アパートのすぐそばのRobson Streetまでカメラ片手に出かけてきた。
昼の12時にRobsonとThurlowの交差点からスタートし、DenmanからBeach Avenueにかけてパレードが行なわれた。
http://www.vancouverpride.ca/
 
UBCの医学部からメールが来たことは前に書いたが、確かに参加していた(写真左)。
でもかなり地味で、今ひとつさえなかったように思う。
マッチョが一人でもいてくれれば良かったのだが・・・。
 
たくさんのイベント参加者を見ているとだんだんわかってくるのだが、やはり必須アイテムとしての優先順位は、①やせマッチョの男、②激しい音楽、③車の上で踊る、④7色の風船、⑤ビキニの女、⑥シャボン玉、⑦スモーク といったところだろうか。
 
残念ながらこれら全てのアイテムを満たしていた団体はなかったように思うのだが、Presenting Sponsor でもある TD Canada Trust が個人的にはよかったように思うので、上に写真を載せることにする。
トラベラーズチェックを換金した時の TD Canada Trust の対応の良さについては以前に書いた。
Pride Parade にも対応できる多彩な人材を確保しているあたり、Canada Trust はものすごい企業に違いない。
 

2010年8月1日日曜日

ボロいビルの攻略

7/31 (土) 晴れ
アパートで生活する残り日数・・・あと2+3日

今日はここのところ続いているような快晴というわけにはいかず、グラウス・マウンテンよりも低いところに雲がかかっており、夕方には頂上付近はもやがかかっていた。
すっかり秋の気配を感じる。

スタンレー・パークのまわりをいつものコースで9km走ろうとしたが、屋外プールを右折したところで Sea Wall が工事のために封鎖されており、途中であきらめざるをえなかった。
今日は8kmちょっと走ったことになるが、タイムは43分39秒だった。
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日本に戻る前に仕事をひと区切りさせないといけないので、今日は土曜日だったが診療録の閲覧に出かけた。
ちょっといやな予感はしていたのだが、土曜日ということでいつもの入り口が封鎖されており、ビルの中に入ることができなかった。
 
「このドアが閉まっている時は、反対側の救急部の入り口から入って下さい」とは書いてあるものの、どこにも救急部はなかった。
おそらく昔、救急部があったころのなごりのメッセージなのだろう。
 
東京にある自分の大学の研究棟が似たようなボロいビルなので(ひょっとしたらもう取り壊されているかもしれないが)、その経験からすると絶対にどこかに入り口があるはずなので、執念深く探すことにした。
人に訊こうにも、土曜日だから誰もいなかった。
 
とりあえずつながってそうな隣のビルの1階に入ったが、1階どうしは施錠されていて通れないことがわかった。
それならば2階どうし、あるいは地下どうしがつながっているはずなので、地下にいったん降りてみることにした。
 
ボロボロのビルでしかも人が誰もいないので、本当に心細かった。
何度も迷子になりそうになったが、ついに地下どうしがつながっていることを発見。
東京でのボロい研究棟住まいの経験が役に立った。
つまらないことだが、本当にどんな経験が役に立つのかわからないものだと思う。
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仕事を5時で終え、カナダ人の友人M君と飲みに行くためにリッチモンドへ。
おそろしく空いているスポーツ・バーで飲んだ後、おそろしく混んでいる中華料理屋へ行った。
リッチモンドだけに中国人がいっぱいで、本当にここは中国なんじゃないかと思うぐらいだった。
 
アパートに戻ってから、久々にメキシカンと会った。
こうしてアパートで会うこともなくなるので、メールアドレスとケータイの番号を交換した。
イングリッシュ・ベイの花火も終わりだし、季節の変わり目とともに別れの季節のようなものを感じさせられる。