2010年11月29日月曜日

クーポンと「神」のご意思

11/28 (日) くもり一時小雨
  
いつものコースを走り、1時間1分44秒。
走っている最中に中国人に呼び止められ、スイミング・プールのありかを尋ねられなければ1時間1分を切れた・・・と思うことにしたい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
教会のパーティで、ワインまたはビールの25ドル分のクーポンが当たったことは以前に書いた。
有効期限が年内いっぱいなのでいつまでもぐずぐずするべきではないと思い、今日の午後、リッチモンドまで出かけてきた。
 
正確に言うと、実は先週土曜日の夕方、日本語学校のボランティアの後に一度は出かけてきたのだ。
ところがその時は土地勘が今ひとつで、もよりのカナダ・ラインの駅 (Aberdeen) からてくてく歩いたもののとうてい到着できる距離ではなく、あきらめて帰ってくるはめになった。
 
今日は前もってバスと電車の経路を調べていったから大丈夫。
準備万端の状態で出かけた。
 
ところが店についてから、思いっきりとまどうことになってしまった。
自分としてはBC Liquor のような小売店を予想しており、ワインを数本買うつもりだったのだ。
しかし実際は小売店というよりは市場で、ワイン30本単位でないと売れないと言う。
 
正確な値段はおぼえていないが、ワイン30本で最低でも160ドルぐらいだったと思う。
それを25ドル分割り引くというのが、店側の言い分だったというわけだ。
車でなく歩いていったので、たとえ160ドル払ったとしても持って帰ることはできそうもない。
 
しかたなく何も買わず、寒い中をとぼとぼと帰ることになった。
30本のワインは自分には扱いかねるので、このクーポンは教会関係の誰かに譲るしかないだろう。
 
教会のパーティで自分にクーポンをお授けになった「神」のご意思が、クリスチャンでもカソリックでもない自分にはとうていわかりかねる。

帰り道は本当にクソ寒かった。
「神」はなぜ私にこのような試練(?)をお与えになるのだろうか~??
 

2010年11月27日土曜日

雪かきの結果・・・有意差なし

11/26 (金) くもりのち雨

 
昨日の夜はそれ以前の数日間とくらべると暖かかった。
それでどうやら昨晩は寝ている間に雨が降ったようで、今朝出かける時には道路の雪は大部分が溶けてしまっていた。
 
昨日の夜、せっかく家の前の通りを正確にきっちりと自分の領域だとわかるように真四角に雪かきしたのに、今朝になったら境い目が全くわからない状況になっていた。
雪かきを上回る強烈な因子(雨)のせいで、周囲との差がもはや有意ではなくなったというわけだ。
 
むしろ雪かきをしたためにウチだけ壁際に雪がたまっており、かえって雪の処理を遅らせてしまったということになる。
隣人たちが昨日雪かきしなかったのは、こういう状況を読みきっていたのかもしれない。
またひとつ学んで、本物の Vancouverites にまた一歩近づいたような気がする。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
病院では麻酔科の某教授に、同じ領域で研究している日本人研究者に電話をかけるので、来週月曜日に手伝ってほしいと頼まれた。
先方が英語が堪能かどうかを確かめずに、日本時間の早朝にいきなり職場に電話をかけるつもりのようだった。
 
麻酔の導入中にいきなり見ず知らずの外人から電話がかかってきて、自分の研究について根掘り葉掘り質問されたら、さぞかし驚くだろうな~。
先方に悪気がないことがわかったとしても、不快な気分にさえなるかもしれない。
まずはメールで様子をうかがうことから始めたほうがいいのでは・・・と、アドバイスしておいた。
 

2010年11月26日金曜日

雪かき

11/25 (木) 雪のち雨 夜はくもり

 
朝めざめたらあたり一面に雪が積もっていて、しかもなお降り続いているところだった。
しかたがないので、ハイキングシューズをはいて病院へ出かけた。
 
昼頃、診療録からのデータ採取を終えて地下の資料室から出てきたら、まだ雪が降り続いていた。
フェローの研究室にはオーストラリア出身の麻酔科医がいて、雪が降っているということでテンションが高く、しきりに「クールだと思わない?」と同意を求められてしまった。
シドニーは雪が降らないらしい。
 
夕方には雨に変わっていたが、それもすぐに止んでしまった。
バス通りは車がたくさん通るので雪は残っていないが、一本入ると道は完全に雪に覆われていた。
 
夕食後、大家さんが玄関の階段を雪かきすると言うので、自分はふだん使っている裏の出入り口と裏通りを雪かきすることにした。
裏通りは15~20 センチぐらい積もっていたのだが、誰も雪かきした形跡がなかった。
 
日本での自分の住まいの真ん前が急な坂なので、雪が降ったらすぐに雪かきしないと車が通れなくなってしまったものだった。
誰から始めるでもなく家族や近所の人たちと一緒にやるのが、冬のひとコマみたいな感じだったが・・・。
 
カナダ全体のことは知らないが、バンクーバーでは自宅前の雪や落ち葉をそうじしないと罰せられるらしい。
だからというわけではないのだけれど、とりあえず人として自分んちの前ぐらいはやらないと・・・という気分から真っ暗な中を一人で雪かきをしてみて、楽しくはなかったけれども一応は達成感らしいものは得られたと思う。
 

2010年11月25日木曜日

クマに出会ったら・・・

11/24 (水) くもり一時晴れ
 
ハイキングシーズンが終わっても荷物の整理をしていなかったので、リュックの中身はずっと夏のままだった。
少しは整理しないといけないと思っていたら、"What about bears ?" という冊子が出てきた。
 
副題が "A guide to coexisting with bears" と書いてあるので、自然を保ちつつクマといい関係を築きながら共存していこうというのが主旨らしい。
パラパラと見ていたら、クマと出会った場合の対処法が書いてあったので、冊子を処分する前にここだけ備忘録に残しておくことにする。
 
1) 落ち着いて静かに立ち止まり、状況を見極めましょう。クマが襲ってくるのはまれだということを思い出して。
 
2) 落ち着いたしっかりした声で、クマに話しかけましょう。あなたの声で、あなたが人間だということに気づくかも。
 
3) ゆっくり後ずさりしましょう。走ってはいけません。走ると追いかけてくるかも。
 
4) ベア・スプレーを準備しましょう。どうやって使うか知っておかないと。
 
5) もしもブラック・ベアーが襲ってきたら、ベア・スプレーを使ってやりかえしましょう。あなたが簡単にえじきにはならないということを、クマにわからせるためにあらゆることをしましょう。
 
今でも思い出すと笑ってしまうのだが、一緒にハイキングに行った M 君が真顔で、「クマに出会ったら死んだふりをすれば大丈夫」と言っていたことがあった。
直感的にそれは間違っているとは思ったのだが、頑固な M 君を説き伏せるのは容易ではなく、クマが出てこないようにとひたすら祈っていたのも、今となっては遠い夏の思い出となってしまった。
 

2010年11月23日火曜日

氷点下の暮らし

11/22 (月) くもり

 
風が吹いていたということもあり、昨日よりも今日の方が格段に冷え込んだ。
昼間、ちょくちょく CBC のウェブサイトでバンクーバーの気温をチェックしているのだが、今日はだいたいマイナス5℃ぐらいで安定していた。
 
東京生まれ、東京育ちの自分としては、この氷点下の外気温がとても辛い。
東京では一日の最高気温が氷点下になるのは、ひと冬にせいぜい数回だからだ。
耳がちぎれそうな気がして、フードで頭をすっぽり覆い、背中を丸めて歩くはめになった。
 
図書館から借りてきた新田次郎の「芙蓉の人」を電車やバスの中で読んでいるのだが、いくらバンクーバーが寒くてもさすがに富士山頂よりかもくらべものにならないほどましだろうと思う。
海のそばなので高山病になるわけではないし、生命の危険はとりあえずはないだろう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
Dancing with the stars のファイナルがあり、後半ちょっとだけ見た。
http://cdn.abc.go.com/shows/dancing-with-the-stars
大家さんはどうしてもブリストル(サラ・ペイリンの娘)に勝たせたくないらしく、自分にインターネットでジェニファーに投票せよと言う。
しかも権利のある5票全てをジェニファーにつぎこむようにとの、念の入れようである。
 
ところが何度挑戦しても、うまくつながらない。
北米じゅうの人たち、特にブリストルを支持するアラスカ州の熱狂的なサポーターたちがインターネット投票に殺到しているのかもしれない。
 

2010年11月22日月曜日

アパートのそばで飲んだ

11/21 (日) くもりのち晴れ
 
昨日の雪で歩道は凍っていたが、いつものコースを走り1時間2分8秒。
最初は他にジョギングしている人がおらず、すれ違う人に奇異な目で見られていたが、10 時半過ぎからしだいに人が増えていった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
ハイキングによく一緒に行った M 君と、今夜は久々に飲みに行った。
彼は最近ダウンタウンに引っ越したので、以前から興味があった Hapa Izakaya (葉っぱ居酒屋)に行くことにした。
http://hapaizakaya.com/
 
開店時刻ちょうどに待ち合わせていたので店の中はすいていて、ゆったりとしていた。
店が広い上に店の中にまばらにテーブルが並べられているので、他の客を気にしないですむ。
前に行った居酒屋はカウンターにぎっしりと客が並べられ、まるで養鶏場のニワトリがエサをついばむような感じで辟易したことを思い出した。
 
ビールを飲んで久々に刺身や焼きうどんを食べ、なんとなく生き返ったような気がした。
ホームステイのメシはうまいのだが、そこはやはり日本食とは違うので、食事で「ふだんの自分」を取り戻すことは難しい。
 
今日行った居酒屋が前に住んでいたアパートのすぐそばだったのだが、不思議と懐かしい気分にはならなかった。
アパートの自分がいた部屋はカーテンが閉まっており、きっと誰か借り手がついたのだろう。
メキシカンとコリアンがいた部屋はカーテンが開いていて、真っ暗だった。
 
メキシカンとは連絡をとろうと思っていながら、まだ果たしていない。
すでにアパートを去ったのか、気になるところだ。

アパートの近くの Donburiya には本当によく通った。
テイクアウトして部屋でボソボソ一人で食べるのは当時は普通のことで別になんとも思わなかったが、今となっては単身赴任の孤独を思い出させる記憶以外の何物でもない。
http://www.urbanspoon.com/r/14/1473852/restaurant/Robson-Street-West-End/Donburiya-Vancouver
 

2010年11月21日日曜日

雪が積もった

11/20 (土) くもり 晴れ間あり

現在の住まいの近所のようす
 
前夜から雪が降り続いたらしく、朝起きたら雪が 10 cm ぐらい積もっていた。
正直なところ出かけるのは気が重かったが、ハイキングシューズをはいて出かけることにした。
カメラを片手に持ち、バス停までの間に何枚か写真を撮った。
 
バスが日本語学校に近づくにつれ、雪の量が少なくなってきていることに気づいた。
去年、ダウンタウンに住んでいたころはほとんど雪が降らなかったのに、メトロタウンでは積もっていたのを思い出す。
ほんの少し移動しただけで、天候がずいぶん違ってくるようだ。
 
日本では東京近郊にしか住んだことがなかったので、この時期にまとまった雪を経験したことは一度もない。
ここバンクーバではまだ 11 月だというのにしっかり降っていて、先が思いやられる。
大雪だった 2008 年の再来を恐れる人々が多い。
 

2010年11月20日土曜日

名人を作る雰囲気

11/19 (金) くもり一時雨、雪
 
朝出かける時、夜中に降った雪が薄く残っていた。
帰りに病院を出た時も、歩道にうっすらと雪のあとがあった。
このブログを書いている午後11時45分現在、外気温は摂氏0度。
本格的に寒くなりつつある。

先日届いた SIN のカードを秘書さんに見せ、コピーをとってもらった。
これで2年目の手続きは完了だそうだ。
昨日は来年8月までの医師免許が届いたし、もう何も心配することはなさそうである。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
日本語学校の図書館で借りてきた「一局の将棋 一回の人生」(河口俊彦著、新潮社)を読んでいる。
プロ将棋の棋士であり文筆家としても知られている著者が、同僚でありライバルでもあるさまざまな棋士たちの生きざまを描いた読み物である。
あまりにも古いのが惜しいが、人間の生き方は本質的にはそう変わらないので、時代を超えておもしろく感じられる。
 
将棋は麻雀とは異なり情報量が 100% 公開されているゲームなのだから誰にでも名人になるチャンスがあっても良さそうなのに、著者は「名人には選ばれたものしかなれない」と言っている。
ある棋士が若いうちに名人候補だと同僚(ライバル)に認められると、自然とそうなっていくような雰囲気ができ上がってくるのだそうだ。
 
そしてそのように大山、中原、谷川は本当に名人になったし、この本が出版された平成6年の時点で羽生を名人候補として挙げているのだが、実際、羽生はその後まもなく名人になっている。
ついでながら、本書では森内、佐藤、村山も同様に期待の新人として取り上げており、若くして亡くなった村山を除いた二人は名人となっているから、将棋界の場の雰囲気というのは間違いのないもののようである。
 
本書では大山十五世永世名人の生き方を、かなり辛口に描いている。
対局者は基本的には公平なはずなのだが、タイトル戦の際には大山の意向が一方的に尊重されるということが長く続いていたらしい。
日程や場所、パーティの段取りなども大山の気持ちひとつで何でも決まってしまうので、すでにその時点で相手はペースを乱されているというわけである。
 
そんな感じで大山の偉大な業績を考慮すると誰も異を唱えられなかったのだが、タイトル戦のパーティ会場で悪気もなく正論を述べたのが十六世永世名人となった中原だったというのがまたおもしろい。
そういう意味でも、彼は名人に選ばれたということになるようである。
 

2010年11月19日金曜日

診療録の厚さに思うこと

11/18 (木) くもりのち雨
バンクーバーから少し離れたところでは、雪が降っていたらしい。
 
診療録からのデータ採取が終わりに近づいていることはすでに書いた。
最初はカルテの構成さえよくわからなかったので気胸のような侵襲の小さい手術から始めたのだが、ついにここ数日は肺移植の診療録に目を通すまでになった。
 
侵襲の小さい手術では診療録が薄いし移植ではぶ厚いのだが、その差は自分が当初思っていたよりは大きくはなかった。
平均すると、気胸を繰り返す患者では1冊の診療録に3回分ぐらいの手術の記録が残っているのに対し、肺移植では1回で2~3冊分に相当するといったところだろうか。
 
しかし中には、肺移植で 15 冊分の記録が残される場合もある。
それは移植後にすんなり退院できなかったケースで、さまざまな合併症のために数ヶ月間以上の入院を余儀なくされたというものだ。
合併症対策がいかに重要かということを物語るものだと思う。
 
最近はこういう超ぶ厚いカルテからデータを採取することが多くなってきた。
あたりまえだが診療録は厚ければ厚いほど、データの採取は大変だ。
最初は苦労した気胸手術のデータ採取が、今ではとても楽に感じられる。
訓練の賜物かもしれないし、いわゆるプレコンディショニング効果なのかもしれない。
 

2010年11月18日木曜日

肺高血圧症と右心不全 講演会

11/17 (水) 雨のちくもり
 
Manitoba 大学から演者を招き、肺高血圧症と右心不全の周術期管理に関する講演会があった。
ASA などでもしばしば肺高血圧症関係の教育講演があるが、周術期管理に関する内容が薄いことが多いような気がしていただけに今回は期待がもてた。
 
肺高血圧症の分類について
McLaughlin VV et al. J Am Coll Cardiol 2009; 53: 1573-1619.
Table 1 に詳しく書いてある。
 
Transpulmonary gradient (TPG)
TPG が高いか低いかによって、病変の部位がわかる。
http://www.lsccardiacnetwork.nhs.uk/uploads/files/cardiac/training/presentations/invasive/Cardiac_Calculations.pdf
 
肺高血圧症の治療法
Farber HW et al. Pulmonary arterial hypertension. N Engl J Med 2004; 351: 1655-1665.
Barst RJ et al. Updated evidence-based treatment algorithm in pulmonary arterial hypertension. J Am Coll Cardiol 2009; 54: S78-84.
アルゴリズムがわかりやすくて役にたちそう。
 
肺高血圧症の予後
McLaughlin VV et al. Prognosis of pulmonary arterial hypertension: ACCP evidence-based clinical practice guidelines. Chest 2004; 126: 78S-92S.
肺病変で死ぬわけではない。右心不全が死因となる。
 
Transseptal gradient (TSG = LVESP – RVESP)
左室と右室は心室中隔を共有しているため、TSG を維持することが右室機能を保つ上で重要となる。
正常では 120 – 25 = 95 mmHg 程度だが、例えば 85 – 60 = 25 mmHg と下がってくると右心不全に陥る。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
Safeway にマフィンを買いに行ったら、今まで 3 ドル 99 セントだったのが急に 4 ドル 59 セントに値上がりしていた。
去年の9月以来、少なくとも 600 個は食べたと思うが、急に値上がりするとなんか仲間に裏切られたような気分になってくる。
 
また、SIN が work permit と同様に、これまた普通郵便で送られてきた。
万一、誤配があったらどうするのだろう??
 

2010年11月17日水曜日

なぜか強いブリストル

11/16 (火) 晴れ
 
月曜と火曜はテレビで Dancing with the stars を観ている。
プロのダンサーと有名人がペアとなって月曜日に踊り、視聴者からの投票によって火曜日に最下位のペアが1週ごとに失格していくというものである。
http://abc.go.com/shows/dancing-with-the-stars
 
これにアラスカ州の知事だったペイリンの娘 Bristol Palin が出ている。
素人目にもダンスは決してうまくないのだが、なぜか失格にならない。
彼女よりもずっとうまい有名人が、次から次へと脱落している。
 
まさか裏で政治力が働いているということはないのだろうが、実力とは不釣合いな、異常なまでに強大な支持を受けているとしか思えない。
ひょっとしたらアラスカ州の視聴者やアラスカに縁のある人々が、ことごとくブリストルに投票しているのかもしれない。
いずれにせよ、選挙の戦い方を知っている・・・という感じを受ける。
 
しかしそれにしても不思議なもので、依然として他の有名人にくらべて見劣りはするものの、この数週間は徐々にブリストルの実力が向上してきているのがわかる。
まさに地位が人を作る・・・っていう感じだろうか?
 
というわけで今日はセミ・ファイナルだったのだが、昨日ジャッジから満点の評価を得たブランディとマックスのペアを破り、まさかのファイナル進出となった。
おそるべし、ブリストルの勝負力!
しかしダンスの実力と投票の結果の乖離が著しく、正直なところ番組の興味が大きく損なわれているように思えてならない。
 

2010年11月15日月曜日

穴埋め作業

11/14 (日) くもり時々霧雨
 
いつものコースを走り、1時間0分50秒だった。
少しずつだがタイムが短縮している。
最初は苦しかった Queen Elizabeth Park 周囲の長い坂道にだんだん慣れてきて、今週はそれほど苦しさを感じなかった。
もっとも、公園からの帰り道が上り坂なので、なかなかいつもスピードを出し切るというわけにはいかないのだが・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
医療端末からのデータ収集は一応は終わったのだが、改めて見直してみるとところどころに空欄があり、それらを埋める作業を始めている。
データ収集を始めたころは端末の使い方が心もとなかったので、自身のない箇所は後回しにしていたというわけである。
 
医療端末のありがたい点は、紙の診療録と違っていつでもどこでも参照できるという点である。
少しずつ確実にデータは集まっているので、遅くとも来年1月末には統計処理に入りたいと思う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
今日は職場近くの Safeway で時々会う親切なレジの店員に、 “Are you working holiday?” と訊かれた(ような気がする)。
「ワーキング・ホリデー・ビザでこっちに来てるの?」と言ったのか、「休日なのに働いてるの?」と言っているのか、どっちなのかわからない。
 
二人っきりならそれからいくつか会話もできるだろうが、後ろにずっと客が連なっているとついつい面倒くさくて「イエス、イエス」と言ってしまうのが悲しい。
中国人をはじめとするアジア人がたくさんいる土地柄からして容貌から「ワーキング・ホリデー」と言ったとは思えず、外国人くささが抜けないあたりからそのように訊かれたというのが真相なのだろう・・・。
 

2010年11月12日金曜日

寒い夜と山岳小説

11/11 (木、祝) 雨
 
いろいろな人たちの話を総合すると、ホームステイの不満の上位3つは ①メシがまずい、②メシが少ない、③寒い ということになっているらしい。
このうちメシがまずいのは致命的で、あまりにもまずくて食べられないために外に食いに行かざるをえないというパターンもあるようだ。
これでは何のためのホームステイだかわからない。
 
現在の自分の状況は、メシに関しては味も量も全く問題がない。
ただ、がまんできない範囲ではないのだがちょっと寒いように思うことがある。
ちなみにここ数日間は、夜11時の時点で外気温はだいたい摂氏5度ぐらいとなっている。
 
部屋が寒い原因としては、自分の部屋は下にあるのに対して大家さんの部屋が上にあることが大きいと思う。
特に夜はそうなのだが、大家さんが下の部屋の気温の低下に無頓着になりがちなのである。
もっとも朝は5時ぐらいから暖房を入れてくれるので、顔を洗ったりコーヒーを飲んだりして出かける時は快適なのだが・・・。
 
先日、図書館で借りた「孤高の人」があまりにもおもしろかったので、続いて新田次郎の「聖職の碑」と「芙蓉の人」を借りている。
これらはいずれも山岳小説なのだが、とりあえずお腹が満たされていれば、多少寒い状態で寝ても(低体温症で)死ぬことはないようなことが書いてある。
逆に、寒い時に疲労と空腹の両方が同時に来ると、相当あぶなくなるようだ。
 
新田次郎の小説を読むようになってから、気のせいか寒さに強くなってきたような気がする?!
山の中と違って部屋の中は風がないし、服も濡れたままということはないので、なんとなくだが恵まれた気分にさえなってきてしまう。
階段をほんのちょっと登りさえすれば、食糧も無限に備蓄してあることだしね・・・。
 

2010年11月11日木曜日

「ビビリ」で思い出すこと

11/10 (水) 晴れ
 
電子カルテからのデータ収集がついに終了した。
紙の診療録からのデータは、80%ぐらいの進捗状況といったところだろうと思う。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
日本語学校の図書館で勧められて、小林信也著 「カツラーの秘密」(新潮文庫)を読んでいる。
スポーツライターである著者によると、勝負を前にしてビビッてしまう「ビビリの状態」というのは決してマイナスではなく、理想的な集中状態に入る一歩手前に訪れる歓迎すべき現象なのだそうだ。
 
つまりビビッたら自分が本気になっている証拠であり、いよいよ勝負に向かう準備が整った証しであると著者は述べている。
そのビビリを乗り越えれば、恐れを知らぬ集中状態が待っているとのこと。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
自分のことを振り返ると、当時はそういう理想的な状態だとはとうてい考えられなかったが、去年の9月、日本を発つ時は確かにかなりビビッていたと思う。
家族はもちろんのこと、友達や知り合いさえもいない外国で一人で年単位で暮らして行くということについて、考えない日は1日もなかった。
駐在員と違って、向こうで待っていてくれる誰かがいるわけでもないし・・・。
 
その出発の日、成田空港でエア・カナダのエコノミー席に乗り込んだら、前に座っていた人に席を交替してほしいと英語で頼まれた。
それは全く構わなかったので快く交替したのだが、その後でもとの席に査読を依頼されていた論文を置きっぱなしにしていたことを思い出した。
 
その論文を返してもらおうと思ったら、本当かどうかわからないがその客は医療メーカー勤務だとかということで、しつこく根掘り葉掘り仕事のことについて訊かれてしまった。
今だったらタダで自分のインチキくさい英語を聞いてもらえるんだと思って、喜んであることないこと話すのだが、当時は「こういう外人たちと毎日生活することになるのか・・・」と思い、ビビリが最高レベルに極まったのを思い出す。
 

2010年11月10日水曜日

ダウンタウンでの手続き

11/9 (月) くもり 雨降ったりやんだり
 
Work permit が届いたら秘書さんに見せることになっているのだが、秘書さんはずっと休んでいる。
パスポートなどの重要書類を持ち歩きたくないので、work permit を見せるついでにいろいろな手続きをダウンタウンで済ませようと思っていたのだが、一向に秘書さんが来ないので、しかたがないから手続きを先に済ませることにした。
 
まずは社会保険番号 (Social Insurance Number) を得る(更新する)ために、Hastings Street 沿いにある Sinclair Centre へ。
去年の9月に来たので、何となく覚えている。
 
受付で名刺大のペラペラの紙切れを渡され、そこに母親の旧姓などのいわゆる「秘密の質問」の答を書き込み、待つこと10分あまり。
呼び出されてパスポートや work permit を見せるだけで、超簡単。
古い SIN カードは期限切れとのことで没収された。
2週間もすると、新しいカードが郵送されるとのこと。
 
その後、B.C. Identification (BCID) カードを得るために、Georgia Street 沿いにある Driver Licensing Office へ。
こっちでは運転しないことに決めているのだが、免許証とは別に ID があると便利なことから BCID を作ることにした。
http://www.icbc.com/driver-licensing/BCID
ID のためだけに常にパスポートを持ち歩くわけにはいかないし・・・。
 
こちらは 15 分ぐらい待たされたが、手続きが始まったら早かった。
Primary ID として work permit を、secondary ID としてパスポートを見せた。
例によって「秘密の質問」に答えるほか、身長と体重も訊かれた。
仕事だからしかたがないのだろうが、太っている若い女の子にも「体重は何キロ(ポンド)?」って心を鬼にして真顔で訊くんだろうか?
料金は 35 カナダドルだった。
 
写真撮影もあっという間に終わった。
メガネははずさないといけないらしい。
ふつうは4週間で郵送されるとのことだった。
 
その後、道路の反対側にある H.I.S. へ行って、自分で使うのだがいわゆる「呼び寄せチケット」を購入した。
日本を発つ時は本当に生きて戻って来られるんだろうか・・・と、漠然と未来に不安を持ったものだが、こうして留学の終わりを意味する来夏の帰りのチケットを買っているのが、当時を思い返すとどうにも信じられない。
 
今日は雨でしかも風が吹いていたこともあって、なにやら寒かった。
明日からマフラーと手袋をつけて出かけることにする。
 

2010年11月9日火曜日

何で聞いてないの?

11/8 (月) 晴れ
 
今さらながら・・・という気もするのだが、よく知っている人に何かを質問した時に、「なんで(説明を)聞いていないの?」とか「(説明を)聞いていないからわからないんでしょう?」と言われると、ものすごく精神的ダメージが大きいことに気づいた。
聞こうと努力していたのに英語を十分に聞き取れなかったから質問した・・・ってことじゃ、ダメってことなんでしょうかね?
 
負のエネルギーが徐々に溜まっていくのを感じるが、これを何とか前向きに転換してさらに精進したい。
また、負のエネルギーを溜めこむことがないように、人との間合いには注意を払いたいとも思う。
 

2010年11月8日月曜日

サマータイムの終わりのひとコマ

11/7 (日) 晴れ
いつものコースを走り、1時間0分 55 秒。もうすぐ1時間を切れるかもしれない。
 
サマータイムの切り替わりはいつも日曜日なので、勤め人にとっては都合がいい。
しかし日曜日に教会などに出かける人たちは多少は緊張感を感じているみたいで、昨日パーティに行った時は大家さんにしつこく、「家に帰った時にもし自分が忘れてたら、時計を1時間巻き戻すように必ず言ってよ」と何度も言われた。
 
昨日は帰宅後に、自分も腕時計や目覚まし時計を全て1時間戻した。
こっちで買ったプリペイドのケータイは勝手に時間を合わせてくれるし、パソコンは太平洋時間に合わせてあるのでやはり自動的に調整してくれていた。
 
今日はバスに乗って本を読んでいたら、知らない人に時間をきかれた。
なぜかこっちの人は、自分が学校で習ったみたいに “What time is it ?” とは絶対にきいてこない。
今日も全部を聞き取ることができず、しかも何か前置きを長々と言っていたのだが、”what” と “time” と “have” が断片的に聞こえたので、時刻が知りたいらしいということはわかった。
 
「1時8分」と答えたら、また何か長々と言っていたが “time” と ”change” という言葉が断片的に聞こえたので、いわゆるサマータイムのことで悩んでいたらしい。
カナダの人ではなかったのかもしれない
その後で、「昨日だったら今、何時?」と奇妙なことをきかれたので、「昨日だったら2時8分」と答えておいた。
 
街中の公園や建物の時計はサマータイムを考慮していないものも多く、1時間ずれたものが平然と存在していることも日本とは違う生活のひとコマということになるのだと思う。
 

2010年11月7日日曜日

教会のパーティ

11/6 (土) くもり時々雨
サマータイムは今日で終わりなので、時計を1時間遅らせた。
 
大家さんとその親戚がみんなカトリックということから、親戚ぐるみで教会のディナーに誘われた。
教会が近いうちに建物を増築するので、その資金集めが目的なのだそうだ。
 
場所はリッチモンドにある中華料理のレストラン。
自分が最も新しい店子なのだが、初代の店子の K さんも来ていた。
料理は肉とか魚とかエビとか12品ほど出たが、全部本気で食べるとあっという間に腹いっぱいになりそうだったので、そこそこ手を抜いてつまみ食いした感じだった。
 
15 枚1組 10 ドルでチケットを販売し、抽選で賞品が当たる Raffle Prize という企画があった。
1等の商品が Apple iPad 、2等が Toshiba 32 インチ LCD HD TV などで大いに盛り上がったが、全部はずれた。
 
一方 Door Prize というのがあり、これは 60 ドルのディナーのチケットを買って参加した人なら誰にでも資格があるというもの。
こちらはなぜか最後の最後に、リッチモンドの飲み屋のビール/ワインの 25 ドル分のクーポンが当たってしまった。
ハイキングによく一緒に行った M 君を誘って、飲みに行こうかと思っている。
 
また 50/50 (フィフティ・フィフティ)という企画があり、これはやはり 15 枚1組のチケットを 10 ドルで販売し、その総売り上げの半分を教会がゲットし、残りの半分を抽選で当たった人が手に入れるというもの。
こちらも自分ははずれたが、当たった男性は太っ腹なことに手にした全額を教会に寄付していた。
 
その他、音楽あり、ダンスありでにぎやかな会だった。
老若男女問わずステージに上がって踊るあたりはやはり北米のもので、日本ではちょっと見られない光景だと感じた。
 

2010年11月6日土曜日

コンビニで休憩

11/5 (金) くもり時々雨 のち晴れ
 
ここ2日間も続けてブログの更新をさぼってしまった。
医学的に表現すれば、「特記すべきことなし」ということだ。
部屋と職場の往復で1日が終わってしまい単調な毎日の繰り返しということもあるし、こっちの生活に慣れてきたということもあると思う。
今後は小さな ”事件” でもいいので、なるべく書き残しておくことにする。
 
いつものように診療録からデータを採っていたら、自分の名前がオペ室の記録に麻酔科のアシスタントとして載っていたのに小さな感動を覚えた。
おそらく LiSA の連載の取材のために胸部手術の部屋に入った時に、ナースが自分をレジデントか何かと勘違いしたのだろう。
 
もよりの駅からバスに乗ったら、ふだん降りる停留所より手前で運転手が「数分間停車します」と言って、コンビニの中へ消えていった。
「おおっ! これが噂に聞いた『コンビニ休憩』かっ!」と、静かな感動を覚えた。
本物を見たのは初めてだ。
これでまた一歩、Vancouverites (「バンクーバーっ子」とでも訳すのか?)に近づいた。
 
最近2週間に読んだ本。
孤高の人 (上)(下) 新田次郎 著
ドナービジネス  一橋文哉 著
「孤高の人」は、インターネットやケータイはもちろんのこと、テレビさえなかった大正末期から昭和初期の人々のシンプルな生活が美しい。
 

2010年11月3日水曜日

初めてのチャーハン

11/2 (火) 晴れ
 
ホームステイを始めてから自分で食事を作るということがなかったが、今日は大家さんが出かけたので自分でチャーハンを作ることになった。
もっともふだんはそれでも作ってから出かけてくれるのだが、たまたま昨日、チャーハンの素とかインスタントみそ汁などが日本からたくさん届いた(感謝!)ので、今日はトライしようと思い立ったのだ。
 
やることはアパートにいた時と変わらないのだが、フライパンの質が全然違うことに気がついた。
アパートではどんなに油をふんだんに使ってもフライパンにあっという間にこげついてしまっていたのに、大家さんのフライパンは全然問題がなかった。
そういうところでも手を抜かれていたのだと、いまさらながらに気がついた次第・・・。
 
今日は一日中データ収集に集中することができたのだが、誰ともしゃべる機会がなかったような気がする。
大家さんもいないので、気がついたら情けないことにブーツを相手にしゃべっていた。
 
しかもその後、たまたまインターネットで見たのが「ねこばん」という番組。
http://nekoban.net/
孤独な時はなんとなくネコに癒されるというのが、本当に何となくだがわかるような気がする。
 

2010年11月1日月曜日

Trick or treat ?

10/30 (日) 晴れのちくもり 一時小雨
いつものコースを走り、タイムは1時間1分4秒。
 
昨年の今ごろはアパートで熱を出して苦しんでいたが、今はカナダの一軒家に下宿生活をしているところなので、必然的にハロウィンに参加することになった。
大家さんがキャラメルとかチョコとかをある程度買ってあったのだが、自分も24人分のお菓子が小分けになっている大袋を Safeway で買ってきて混ぜてもらった。
 
伝統的なカボチャのランタンを自作している家庭はほとんどなく、あったとしてもプラスチック製のものが多い。
http://en.wikipedia.org/wiki/Halloween
大家さんはランタンそのものを飾るかわりに、カボチャのポスターをドアに貼っていた。
玄関先の門を開け、玄関の外の電灯をつけることで準備完了。
誰がどうみても、「お菓子準備してお待ちしてます」というのがよくわかる。
 
夕方6時過ぎから玄関横のブラインドから外の様子をうかがっていたが、一向に子供たちが来る気配がない。
こっちがのぞいているのに気づいて、警戒しているのだろうか?
 
20分ぐらい粘っていたが来ないので、あきらめてアイスダンスのテレビ番組を見ていたら、大家さんが子供がこっちに来ていると教えてくれた。
最初のお客さんはプリンセスに扮した3才くらいの女の子で、すそが長いドレスを両手で持ち上げて、歩きにくいからなのだろうが大また開きで階段をダッシュして昇ってくるのが見えた。
 
トントンとノックしてくれたのでドアを開くと、ハアハアと息を切らしながら “Trick or treat ?” と言ってくれた。
予想通りの展開にもかかわらずなぜかうれしい・・・。
キュートな仮装にはお菓子を3コ、そうでもないのには2コと決めていたのだが、これが絶妙な配分で、合計 64 人の子供たちに配るとうまいことお菓子がはけた。
 
夜の行事ということもあるし、子供が他人の家に行くことから親の同伴が必須であり、小さい子供の場合はほとんどの親たちが玄関先まで一緒に来ていた。
年長の子供たちの場合は親は門の外で待っていたり、もっと大きい子供たちは親なしで徒党を組んで家から家へと練り歩いていた。
 
お菓子をあげる方はこれで終わりなので簡単なのだが、お菓子をもらった側は親による検分が必要なのだそうだ。
子供の口に入るものだし、こういうご時世なのでお菓子に毒や針が入っていないとも限らないということである。