2010年1月18日月曜日

見える人・知っている人のコワイ言葉

1/17 (日) くもり時々小雨

日本で行なった研究のうち、2つについて論文を書き残していた。
今日はそのうちの一つについて、概ね書き上げたところ。
明日もう一度チェックして、共同著者の意見を求めるつもり。
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日本語学校の図書館で、恐怖系の本が大量に入った。
寄付して下さった方がいたらしく、昨日はその話題で大いに盛り上がった。
自分も1冊借りてきて読んでいるところ。

コワイ話にはいろいろなパターンがあるのだが、自分が一番コワイと思うのは、自分に見えない霊のようなものを見える人がいて、親切(あるいはおせっかい)にも自分にいろいろと教えてくれるというパターンだ。
例えば、「引っ越してから変なこと起こってない?」とか、「また引っ越すって約束するのなら教えてあげる」などと言われたら、それは明らかに家に何かが憑いてるっていうことを意味しているわけである。

しかもそれを確かめるべくその家を借りた不動産屋を訊ねたとたん、不動産屋の顔色がさっと変わったりしようものなら、もうそれは確定的である。
その部屋で何か事件があり、それに関連する何かがその部屋に憑いているというわけである。

この本を読んでいて思い出したのだが、日本を発つ直前に海外在住経験のある某先生が自分のところに駆け寄ってきてくれて、「先生、お世話になりましたっ!」って言ってくれたことがあった。
多くの若い先生たちは瞳を輝かせて(散瞳ぎみに)「バンクーバーってどんなところですか?」とか、「どんな研究をするんですか?」などと訊いてくれたのだが、対照的に彼女は伏目がちにしかも瞳はやや縮瞳しており、額中央にしわを寄せつつ「本当にいろいろと大変なことが多いとは思いますが、頑張って下さいね」と心配そうに言ってくれた。

今は「そんなこともあったな~」と懐かしく思い出せるのだが、当時は本当に恐怖を感じた。
何年も海外暮らしをした人が本気で心配してくれる「大変なこと」って何だろう???
これは霊を見ることのできる人のコワイ一言に匹敵するわけで、バンクーバーに着いてからもしばらくは見えない恐怖と闘っていたような気もする。

自分が帰国してそのあとに留学する人がいたら、今度は自分が伏目がちに縮瞳させ、額にしわを寄せながら激励してあげようと思う。
でも、現時点ではまだまだその境地には遠く、自分には苦労が足りないようにも感じる。

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