2009年12月30日水曜日

レトルト天国ニッポン

12/30 (水) 晴れ

昨日は読者の Mizo さんと、焼き鳥 → おでん → ラーメン の順で日本の味を堪能した。
バンクーバーでの3カ月ではほとんど飲まなかったためか、ビール・ウーロン杯など7杯ですっかり酔っぱらってしまった。

今日は子供たちとモノポリーで盛り上がった。
ボードウォークに3回止まり、あっさり破産して負け。
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バンクーバーではウォシュレット付きのトイレがないため、日本のトイレ文化の偉大さを海外で思い知ることとなった。
逆に今回帰国してみて、日本のレトルト食品の種類の多さと価格の安さに感銘することになった。

例えばレトルトのカレーはバンクーバーの日本食のコンビニで手に入るのだが、確かおよそ 3.5 ドルくらいでしかも種類が少なかった。
Made in Canada のレトルトのカレーは、自分が知る限りはない。

今回行った地元のドラッグストアでは、以前は気付かなかったのだが、種類が豊富でしかも120円くらいで買えるのである。
スープも同様で、コーンスープやワカメスープ、はるさめスープなどが1箱3食で100円ちょっとで買えるので、大量に購入してしまった。

この寒いのにコーラとかスプライトとか飲みたくないので、日本茶のティーパックも大量に購入し、さらに家に置いてあった水筒も持って行くことにした。
年明けのバンクーバー行きの飛行機に乗せるスーツケースの中身は、ほとんどがレトルト食品関係になりそうな勢いである。

2009年12月28日月曜日

4キロやせた

12/28 (月) 雨のち晴れ

あたりまえだがやはり日本は落ち着くので、食欲がわいてビールもおいしい。
昼食も夕食も満腹になるまで食べた。

あんまり調子に乗って食べ過ぎて太っても困ると思って、夕食後に体重を測ってみた。
するとなんと日本出発前よりも4キロ近く減っていることに気づいた。
ヨメさんの反応は、「もっとやせてたかと思った」というものだった。

カナダにいる間は、一度も体重を測ったことがなかった。
確かに最近、ズボンのウェスト周囲はゆるいとは思っていた。

体重が減ってしまったのは、まず酒を飲まなくなったということが理由として挙げられると思う。
以前は1日おきくらいに飲んでいたが、バンクーバーでは飲んだとしても週1回程度だった。

気持ちのどこかで緊張していたということもあったのかもしれない。
食べ過ぎるよりはあまり食べない方が体調が良いので、体調をくずさないように、食べ過ぎないようにしようという気持ちはあったと思う。

2009年12月27日日曜日

帰りの飛行機にて

12/27 (日) くもり

26日(土)にバンクーバーを発ち、27日(日)夕方に成田に着いた。
成田は摂氏十数度ということだったが、しばしば氷点下になるバンクーバーよりも寒いような気がした。

バンクーバーでは飛行機に乗り込んだものの燃料計の故障とのことで、いったん降機させられるというアクシデントがあった。
15ドル分のお食事・喫茶券をもらって空港で昼食をとり、2時間遅れでバンクーバーを離陸した。

2時間遅れで出発したから2時間遅れで到着するのかと思ったら、成田に着いたのは1時間遅れだった。
機長さんは「遅れを取り戻すべくがんばったけど定時には着きませんでした」ってアナウンスしていたが、ということは飛行機はふだんは全力で飛んでいるわけではなく、本当はもっと頑張れるものだってことか?

帰りの便では映画を3本観たが、"District 9" が一番おもしろかった。
http://en.wikipedia.org/wiki/District_9

宇宙船が地球にやってきたものの帰れなくなり、しかたなくアフリカのある地域に隔離して住まわせることにしたという現実離れした話。
最初はドキュメンタリー調で話が進んで行くのだが、出演者がシリアスな表情で、
「私たちの税金を使ってエイリアンを住まわせるなんて許せない!」
などと画面に向かって憤っていたのが笑えた。

2009年12月26日土曜日

ダウンタウンのクリスマス

12/25 (金) 晴れ

右の写真はヨットハーバーから撮った North Vancouver で、山のてっぺんにうっすらと雪が積もっているのがわかる。

今日はクリスマスで祝日なのだが、ゲラ刷りと著作権に関する書類をファックスで送らないといけないので、誰もいない麻酔科のオフィスに行った。
自分の研究活動のために休日も入ることができるようにしてもらったのだが、本当にほかに誰もいないため、ID を持たずにトイレに行ったら二度と入れないとか、フェローの部屋の鍵を内側に置いてドアを閉めたら終わりだ・・・などと考えずにはいられなかった。
オフィスには2時間程度しかいなかったが、ずーっと緊張しっぱなしだった。

さて、ダウンタウンのクリスマスだが、Safeway や Sears、The Bay などの大手スーパーやデパートは完全に休みで、スターバックスコーヒーはやっているところと休みのところがあった。
マックは2つとも開いていた。
Subway も開いていた。

セブンイレブンはどこも開いていたため、ダウンタウンに住んでいればさほど困ることはないように感じた。
ちょっと郊外に行くと、また事情は異なるのだろう。

ダウンタウンのクリスマスは静かだが、クリスマスをはさんでその前後が買い物の時期のようである。
翌26日は Boxing day のため、この日にさまざまな商品を売りさばくためにどこの店もディスカウントの広告を出している。
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オフィスの行き帰りに Cambie Street の坂の上からダウンタウンの写真、美術館でオリンピックまでのカウントダウンの写真を撮ったので、ブログの Header を変えてみた。
また、気分を換えるために Navbar の色も変えてみたところ。

2009年12月25日金曜日

誰もいないオフィス

12/24 (木) 晴れ

クリスマス前日の今日は、ついに3階のオフィスから人が誰もいなくなってしまった。
何としてでも一時帰国の前には必要な文献をダウンロードしておきたかったので、今朝は8時前にオフィスに着いたのだが、麻酔科だけでなく他の部門の職員も誰もおらず、オフィス全体が真っ暗だった。

だだっ広い3階の部屋を独り占めしているようで気分がいい。
ふだんだとどうしても遠慮がちになるが、誰もいないのでパソコンでラジオを聴きながらマイペースで仕事をすすめた。

最近はいろいろなジャーナルから査読を依頼されることが増えたので、自分の研究だけでなく査読用にも文献を集めた。
査読はバンクーバーに着いてから急に増えた。
臨床に従事しておらず、時間だけは十分にあることがバレているのだろうか・・・。
同時に2つまでは受けることにしているが、今回は3つ重なったので1つは断った。

10時ごろ麻酔科ではない誰かが来て、午後2時ごろ帰って行った。
ご丁寧に電気を全部消して行ったので、自分の部屋が真っ暗になった。
全く気がついてくれていない・・・。

夕方は Bay デパートで、ついに大人用の赤いミトンを手に入れた。
それからハーバーセンターでお菓子類のお土産を買った。
ハーバーセンターの中は店が半分以上閉まっており、クリスマス体制になっているもよう。

夜のダウンタウンはやはり早々と店じまいしているところが多かった。
以前から気になっていたインド料理のようなテイクアウトの店に初めて行ったが、調理の時間がものすごくかかった上に注文を間違えられ、しかも味がイマイチだったので、ローテーションには決して組み込まないことにした。

2009年12月24日木曜日

クリスマスパーティ 英会話クラブ編

12/23 (水) くもり

クリスマスと年末を控え、オペ室の稼動数が日ごとに少なくなっている。
手術室の中の人もまばらで、人口密度が明らかに低下している。
昼食時に行くフードコートも人が少なく、街の労働人口自体が低下しているように感じる。

今日はダウンタウンにある英会話クラブのクリスマスパーティに招待してもらったので、夕方1時間半くらい参加してきた。
行ってみると日本人はワーホリを中心とした若い世代がほとんどで、あとはそこで英語を教えている、または日本語を学んでいるカナディアンが5人くらいいた。

パーティは12時からだったと思うが、参加者がどんどん入れ替わっているようだった。
ピザやケーキ、チョコがたくさんあったが、アルコールは禁とのことだった。
ワインがあればもっと良かったのに・・・。

ワーホリを卒業して別の資格というか身分で滞在している日本人数名と知り合う機会があった。
ワーホリ時代の思い出をいろいろ教えてもらったが、彼らの人生経験は海外ならではの冒険というか危険と隣り合わせのスリルに満ちたものだということがわかった。
麻酔科医のスリルとはずいぶん違っていた。

今回知り合った人たちに限らないのだが、ワーホリでカナダに来た時は英語が全く話せなかったという人が圧倒的に多いみたいで、それでも職探しに挑む姿勢には恐れ入るばかりである。
彼らと話していると、元気がもらえるような気がする。
彼らの話によると最近は "Work Permit" を得ることがかなり難しいらしく、申請の時点で即却下というパターンが多いらしい。

自分はバンクーバーに到着してまもなくからこの英会話クラブには週2~3回のペースで通っていたが、来年はもっとペースを上げてみようと思っている。
幸いなことに研究活動は思っていたよりも順調に行っているように思うので、もう少し欲を出して英会話も磨いていくことを来年の目標に据えるつもり。

2009年12月23日水曜日

ドメスティックだった「あきよしくみこ」

12/22 (火) 晴れ 

心電計の電極を正しい位置に貼るのは麻酔管理の基本中の基本だが、電極が3枚ではなく5枚用いる場合はちょっとあやしくなってくる。
通常は3枚のところ、胸部誘導が必要な場合は5枚になるのだが、そんな症例はたくさんあるわけではないので覚えずらい。

それで研修医の時に教わったのが「あきよしくみこ」で、右上肢から左下肢にむかって赤(あ)、黄色(き)、白(し)、黒(く)、緑(み)の順番となる。
覚えたのは20年近く前になるが、すでに脳ミソに溶け込んでしまって、忘れたくても忘れられない長期記憶となっている。
最近の医学生や若いドクターの中には秋吉久美子を知らない人が大勢いいるが、自分の少しあいまいな記憶をたどると、平凡パン●やプレイボー●のグラビアで活躍していたような気がする。

今朝、オペ室で患者さんの左側に立っていたら、レジデントの S 先生が患者さんの左側に電極を貼ってくれと、自分に3枚コードつきで渡してきた。
見ると赤いコード付きの電極が含まれている。

明らかに日本人でない彼女に「あきよしくみこ」を説明してもしかたがないのだが、一応、教育のためと思い、「赤いコードは右肩って決まってるんだよ・・・」と言おうとした。
まったくもうこんなことも知らないなんて・・・っていう態度で言ってたかも。
が、最後まで言い終わらないうちに、赤いコードに "LL" と書いてあるのに気がついた。

思わず途中で言葉を飲み込んでしまったために、S 先生も「??」って感じで、近くにいた指導医の P 先生も「??」、ナースも「??」、前投薬がよく効いた患者さんは "zzz・・・"。
コードの接続部にあるカラーコードの説明を見たら、なんと日本とは全く違うことがわかった。
カナダでは「あきよしくみこ」は通用しない・・・。

日本ではコンスタントに活躍している本家本元の秋吉久美子が海外で活躍しているのかどうかは知らないが、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E5%90%89%E4%B9%85%E7%BE%8E%E5%AD%90
こちらの「あきよしくみこ」は必ずしもインターナショナルではないようである。

2009年12月22日火曜日

プロトコール完成?

12/21 (月) 雨 夕方からくもり

現在、二つの臨床研究案があり、まずそのうちの一つについて計画を立てている。
それは疫学に関するものなので、計画ができて倫理委員会の承認が得られさえすれば、あとはデータ収集に没入するのみである。
自分の中では週末に完成させるつもりだったが、今日までもつれこんでしまった。

日本で働いていた時と違い、今は時間だけはたんまりとあるので、文献を検索したり読んだりするのに十分な時間をさけるのがありがたい。
逆に、日本では臨床や教育のあいまによく研究活動ができたと、今振り返って感じる。
こちらのスタッフが研究の時間がないとこぼす気持ちはよくわかる。

夕方にプロトコールが一応は完成したので、指導医にメールで送ったところ。
とりあえずは彼のコメント待ちの状態となったので、今のうちにもう一つの計画も立てようかと考えている。
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夕方はダウンタウンにある英会話クラブへ。
また今日もクリスマスの話題となり、地元のカナダ人 C さんによると、
1) クリスマスは大手スーパーも閉まる、
2) 24日も多くの店は早く閉まる、
3) ダウンタウンのマックは半分くらいは空いてる
とのことだった。

2009年12月21日月曜日

恐怖のクリスマス(?)

12/20 (日) 一日中雨

12月になると、クリスマスをどう過ごすかということが話題にのぼるようになる。
自分としては特に何か予定があるわけでもなく、ふだんと同じように過ごすしかないのだが、しばしばそれが他の人の関心というか心配を誘うことがある。

カナダ人は日本のクリスマス事情を知らないので、「ふーん、そうなんだ~」といったような特に何ということもない反応なのだが、こちらに長いこと住んでいる日本人の方は自分がこちらのクリスマスを理解していないことを見越して真剣に心配してくれる。
自分としては全く実感がないのだが、どうも街が全部閉まるらしい。

「マクドナルドさえも休みになるから気をつけろ」とも言われた。
しかしマックが休みになることに関しては異議を唱えるカナダ人もいるので、真偽のほどは自分の目で確かめるつもり。

近所のマーケットにフードコートがあり、その中に週1回のローテーションで通っているイタリアンが食べられる店があるので、今日は夕方そこに行ってきた。
週1回のローテーションを守るとたいていどこでも顔を覚えてくれるので、それなりに話がはずむようになる。

今日はやはりクリスマスの話題になったので、そこの店がやっているかどうか訊いてみた。
すると年中無休のその店さえも、25日は休むらしい。
マーケット全体のスケジュール表を見せてくれたのだが、24日は18時まで、26日も短縮、31日と翌元日も休みか短縮営業だった。
2日からは平常通り。

クリスマスが来ると、街があたかも死んだようになるのだろうか。
クリスマス前にバンクーバーを脱出すべきだったがもう遅い。
「食糧をたくさん買っておかないと、たいへんなことになるよ~(ニヤリ)」と言っていた麻酔科の秘書さんの旦那さんの顔が忘れられない。

2009年12月20日日曜日

ボランティアの打ち上げ

12/19 (土) くもり

右の写真は、この前の日曜日に写した Bay デパートの様子。
バンクーバーオリンピックのカナダ代表候補選手の巨大なポスターが、デパートの周りを取り囲んでいる。
ここでは、オリンピックの公式グッズが多数販売されている。

今日はボランティアの帰りに Bay デパートに寄り、一時帰国のおみやげとして子供用の赤いミトンを手に入れた。
先日のブログで書いたが、100万組以上売れたという人気商品である。
残念ながら大人用はまだ売り切れだったので、明日もう一度行ってみようと思っている。
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今日は日本語学校でのボランティア活動が最終日だったので、打ち上げがあった。
こっちの人たちがやるクリスマスパーティではなく、どちらかというと忘年会に近い打ち上げである。

一応はみんなで食べたいものを持ち寄るということになっていたが、こうなると中年男性はほとんど赤ん坊同然で何もできないもので、ボランティアの「おねえさまがた」に依存というか寄生に近い状態だった。

お好み焼きみたいに日本だったら普通に食べられるものが、こちらではとてもありがたく感じられた。
シューアイスを食べたのは、何ヶ月ぶりだっただろう・・・。
フランスパンにハムとチーズをのせて食べたが、あのハムはうまかった。
ふだん自分がラーメンに入れてるようなぶ厚いハムではなく、ちょっと薄めでいぶしてあるような感じ?

ボランティアの方々には本当にこの3ヶ月間お世話になったと思う。
異国で生きるには、日本人の定住者の方の情報が欠かせない。
ボランティアの方は概してコンピュータのスキルが高い方が多いため、何も言わなくてもやがてこのブログの存在はバレてしまうと思うので、その前にさりげなくお知らせしなければ・・・と思っている。

2009年12月19日土曜日

洗濯と乾燥に関するストレス

12/18 (金) 雨 ふったりやんだり

アパートには全く満足しているというわけではないことは、以前にも書いた。
特に洗濯と乾燥には困ることが多い。

洗濯機と乾燥機が1台ずつしかないため、自分の前の人が洗濯物を引き取りに来ないと、永遠に洗濯が終わらないのだ。
洗濯に約30分、乾燥が約45分なのだが、中には乾燥を2回続けてする人もいるので、そうなると待ち時間がかなり長くなる。

今日は夕方5時半に洗濯を始めたのだが、自分の前に洗濯をした人が乾燥機を2回使い、しかも終わっても引き取りに来ないのでとても困った。
待ってても埒があかないので、とりあえず中身を横によけておいて、自分の洗濯物を乾かすことにした。

現在、夜10時57分だが、まだ取りに来ない。
前にも書いたが週末は2階で宴会状態なので、酔っ払って忘れているか、全く気にしていないかのどちらかなのだろう。

さて、その乾燥機から取り出して横によけておいた洗濯物なのだが、なんとかけぶとんがシーツごとまるまる出てきた。
かけぶとんって、洗濯機と乾燥機で洗濯していいんだっけ??

室内干しということも考えるのだが、いろいろなウェブサイトを見ていると、北米では室内で洗濯物を干すのは御法度と書いてあるものが多い。
きちんと乾燥機を使いましょうと書いてある。

しかし何らかの対策をたてないとやってられないので、これから工夫を凝らしていきたいと思う。
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この洗濯とは全く別なのだが、今日の夕方、アパートで大事件が発生した。
ブログに書くことは気が引けるので、数ヶ月程度たってうまく収まったら、記録を公開したいと思う。

2009年12月18日金曜日

赤いミトン

12/17 (木) くもり 夕方から雨

今日の新聞 "The Province" によると、バンクーバーオリンピック記念グッズがものすごい売れ行きなのだそうである。
特に赤いミトンはすでに 100万組以上売れた「ミリオンセラー」ということで、大々的に扱われていた。

確かにスカイトレインに乗っていると、いずれもオリンピックグッズなのだが若い女の子たちが赤いミトンと白いニットの帽子をかぶっているのに気がつく。
先日、オペ室のナースが仔犬を買ったということで写真を見せてくれたが、その写真には家族ほぼ全員で赤いミトンをつけて写っていたという記憶がある。
その看護師さんは、「私はブームになる前(11月)にミトンを買った」と得意気だった。

オリンピックグッズは高価な物が多いのだが、ミトンは10ドルなのでまあまあお手頃なのだ。
自分もおみやげに買いたいと思ったのだがすでに遅く、Bay デパートでは売り切れ状態である。
http://store.hbc.com:80/scarves/torchbearer-youths-red-mittens/prodRTUAF915Y.html

看護師さんは「きっとまた売り出すわよ」と言ってくれたが、帰国の日までに間に合うだろうか。
それが問題である。

2009年12月17日木曜日

いろいろな意味での第2章

12/16 (水) 雨 夕方は一時晴れ間が見えた

バンクーバーに着いたのが 9月21日だったので、アパートの3ヶ月契約がまもなく終了する。
アパートには全く満足しているわけではないことは最近も書いたが、かと言って他に探すのも大変なので、とりあえず契約を延長した。

この3ヶ月でアパートの管理者がずいぶん変わった。
最初に世話になった2人はいずれもいなくなったみたいだ。

今日は家賃支払いのために朝10時にマネージャーと待ち合わせをしていたのだがスッポかされ、代わりに日本人の管理人に支払った。
契約を来年夏まで延長したことで、研究だけでなくアパートに関しても次のステージへと進んだというわけだ。

今日は病院で初めて日本語を話せる医師に出会った。
「日本語話せますか?」と日本語で話しかけられて驚いたが、仲間に出会ったようで心強い気持ちがした。
また、先日のクリスマスパーティのおかげで人間関係が少しふくらみ、こちらも新しいステージへと進んだ気がする。

ブログに関してもキリ良く、今日が 100回目となった。
正直なところ、こんなに続くとは思わなかった。
ブログがないとひょっとしたら疎遠になったかもしれない方からメールをもらえることができ、とても嬉しく思っている。

2009年12月16日水曜日

第2章のはじまり

12/15 (火) 雨

テキストの執筆が終わり、本格的に臨床研究に取り組むことになった。
バンクーバー生活の第1章が終わり、第2章に入ったというわけである。

臨床研究のネタのヒントは、指導医の J 先生が提供してくれた。
彼の研究の発想は自分とは全く異なるので、彼とディスカッションしていると脳が活性化されるような気がする。
自分は今までいろいろな機械やモニターを使って「データを搾り取る」ようなイメージを持っていたが、彼はもっと自然体である。

彼は彼で臨床研究を進行させており、今日はそれを見せてもらった。
プロトコールなどはここには書けないが、日本の自分が所属していた施設と最も異なることは、ここでは同意はリサーチナースが取得するということである。

同意の取得に医師が関わるとそれが患者にプレッシャーとなるので、中立な立場にあるリサーチナースが担当するのだそうだ。
リサーチナースが同意を取得している間、自分も含め医師や学生は遠くから様子をながめているだけ・・・ということになる。

リサーチナースが研究の説明と同意取得を担当してくれると医師は楽だが、同意を取得できない場合に医師からリサーチナースへのプレッシャーはないのだろうか・・・と、余計な心配をしてしまう。
かつて自分は、研究の同意を高率に取得することも医師(研究者)の能力のうちだと考えていたが、どうやらそういう時代ではないみたいで、遅かれ早かれ日本も追随することになってしまうのだろう。

2009年12月15日火曜日

アパートに住むこと

12/14 (月) くもり 夕方から雪

カナダの(そしておそらく米国も)アパートは、日本のいわゆるアパートやマンションとは大きく異なる。
自分は最初は日本で言うところのワンルームマンションに住みたかったのだが、家賃がものすごく高いので断念せざるをえなかった。

病院はダウンタウンからは離れているのだが、不動産屋に言わせると高級住宅街とのことで、家具なしの場合で1ヶ月あたり 1100 ドル以上、家具付きの場合だとその 1.5 倍が相場だと言われた。
最高でも2年しかいないので、家具を買うことは自分にはとうてい考えられなかった。

そうなるとアパートということになるが、よほどの高級なところでなければシャワーやトイレ、台所は共同ということになるわけで、それなりの煩わしさはある。
たいていの人は掃除は嫌いなので、よほど話し合いがうまく行って当番などが決まっていれば話は別だが、ふつうは汚れ放題になる。

自分は週1回、共同のリビング、台所、シャワー、トイレの床の掃き掃除とモップでの拭き掃除をすることで、一応は自分の担当は済ませたと思っている。
先日は汚れきったトイレや台所を、オーストラリアから来たカップルの彼がピカピカにしてくれて、神様のように思えた。

騒音も問題で、2階は若者たちが住んでいるため、土曜日は深夜まで宴会状態である。
外部からいろんな人たちが出入りしているため、決して静かにはならない。
幸いなことに自分は3階のため、被害は最小限である。
3階には、やや年代が上の人間が配置されているようだ。

実はつい先ほども洗濯機と乾燥機をまわしていたのだが、また誰かに乾燥機を途中で開けられてしまい、運転がストップしてまたやり直すはめになってしまったところ。
これもまた、共同生活ならではのデメリットである。
しかしその一方で、ヒューズが飛んだりいろいろな備品が壊れた時に、自分で直さなくても管理人さんがやってくれるといういい点もある。

つい1年ほど前までは、この年になってまた共同生活をやり直すことになるとは夢にも思わなかった。
日本に帰りさえすれば元の生活が待っていることを励みにして、今はとにかく修行の毎日と考えている。

2009年12月14日月曜日

雪のメトロタウン

12/13 (日) くもり一時雪

もうすぐ一時帰国するので、今日はメトロタウンまでおみやげを買いに出かけた。
出かけようと思ったら、雪がちらほら降ってきた。

Granville から Metrotown までスカイトレインで 15 分程度なのだが、乗っているうちにどんどん雪が激しくなってきて、道路に雪が積もっているのがわかった。
あっさり済ますつもりが買い物に全部で2時間半ぐらいかかり、帰りに駅に向かったらまだ雪が降っていた。
その時に駅から撮ったのが、この写真。

おもしろいことに帰りはダウンタウンに向かうにつれて雪の勢いは弱くなり、Granville に着いた時には雪は降っておらず、道路にも全く積もっていなかった。
現地に長く住んでいる人たちが口をそろえて言うのだが、ダウンタウンは雪はほとんど降らないがそのまわりはたくさん降る・・・。

今日のメトロタウン行きはそれを体感する形となった。
ただし昨年は何十年ぶりかの大雪で、ダウンタウンにもかなり積もり、バスや電車などの公共交通機関はかなり影響をうけたとのこと。

2009年12月13日日曜日

クリスマスパーティ 日本語学校編

12/12 (土) くもり

ふだんボランティアで出入りさせてもらっている日本語学校で、クリスマスパーティに招いていただいた。
少し時間に遅れて着いたのだが、すでに大きな体育館にいっぱい人が集まっていた。

幼稚園くらいから中学生・高校生くらいの子供たちが歌ったり踊ったり、ピアノの演奏もあった。
洋の東西を問わず子供たちはいつも元気なので、日本語学校に来るとこっちが元気をもらえるような気がする。
父兄の方が熱心にビデオを撮っているのも、日本国内と同じだ。

厨房のボランティアの方がどうもかなり前から準備をしていたらしく、料理だけでなくデザートにいたるまで盛りだくさんだった。
噂に違わず、チキンは絶品だった。

壇上にトナカイ(子供たち)とサンタ(誰かは知らないが大人)がいて、小さい子供たちから親たち、われわれボランティアなどにも全員にプレゼントを配ってくれた。
袋にはポッキーやプリッツがたくさん入っていた。

サンタにもらったプレゼントのおかげで、これから2~3ヶ月はお菓子に困らないような気がする。

2009年12月12日土曜日

クリスマスパーティ職場編

12/11 (金) くもり 昼間一時雪 夜は一時小雨

麻酔科のクリスマスパーティがあり、バスを30分ほど乗り継いでいったところにあるレストランに行ってきた。
結婚式披露宴会場のようなブチ抜きのフロアに、150人くらいはいたのではないだろうか。

男性はそうでもなかったが、女性はあたかも結婚式の招待客のようなドレスの人たちが多かった。
また、夫婦あるいはカップルで出席している人たちも多かった。
レジデントはゲスト(ガールフレンドとか)を連れてくることが奨励されているようだった。
このあたりは日本では見ない光景で、本当にまるで洋画を見ているかのようだった。

ビンゴより簡単なゲームがあったので参加してみた。
オレンジ色のロール紙に約 5 cm ごとくらいに区切りがあり、それぞれの区切りごとに番号があってちぎれるようになっている。
別のところに同じ一連の番号が書いてある紙が箱の中にあって、司会者が取り出した番号を読み上げる。
その番号を持っていた人が賞品をもらえるというわけである。

区切り1枚が3ドル、2枚が5ドルで売られており、自分は2枚買った。
中には10枚近く買っている人もいて、一連の紙がつながっている様子は、色からしても「ソーセージ状態」だった。
自分は当たらなかったが、確率からいっても当然なのだが、「ソーセージ」を持っている人たちがたくさん当てていた。
   
その他、クイズがあったり、一番高いヒールを履いている女性に賞品が当たったり、一番たくさんのコインが財布に入っている人に賞品が当たるなど、企画が盛りだくさんだった。
それからサイレント・オークションもあって、紙に入札額を書き込んでいく形式で行なわれていた。
  
すでにたくさんの人たちと顔見知りのはずなのだが、オペ室のユニフォーム姿とは全然違うので、誰が誰だかわからずに困った。
昔、研修医の頃に都立病院の常勤の先生に宴会に連れてってもらった時、ふだん顔なじみのはずの看護師さんのことが全然わからなかったことがあったが、まさにそんな感じだった。
   
アルコールを一滴も飲まない人が多いのが意外だった。
車で来ている人が多かったのかもしれない。
ちょっと不便な場所だったので、帰りはバス停までとぼとぼと歩くことになってしまった。

2009年12月11日金曜日

きらびやかな病院

12/10 (木) くもり

同じ大学の affiliate hospital の一つで講演会があるというメールをもらい、朝8時からだったが出かけてきた。
その病院はダウンタウンの真ん中にあるので、アパートから近く歩いて15分位だった。

その隣が教会で、クリスマスシーズンということでイルミネーションできらきらしていたが、病院はそれどころではなく、本当にもうギラギラしてまばゆい感じだった。

講演会が終わって病院を出ることにはすっかり夜が明けていたのでイルミネーションは消えていたのだが、無数にある星型の飾りの真ん中にそれぞれ1個ずつ各企業名が書いてあるのが見えた。
麻酔のモニターで有名な某社の名前もあった。

このイルミネーションは各企業・団体の協賛があればこそで、額は正確には覚えていないが何年間かで十数ミリオンドルと書いてあったような気がする・・・が忘れた。
あのまばゆい灯りで患者さんや家族が元気づけられればいいが、まあこれもカナダの文化ということなのだろう。
日本の自分とこの大学病院がイルミネーションでいっぱいになって、星型の真ん中に「○○株式会社様」なんて書いてある札が無数にぶらさがっているなんて、とても想像がつかない。
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肝心の講演会は、Eisenmenger 症候群に関するものだった。
Eisenmenger 症候群の患者は、平均で52.6才まで生存すると報告されているが、50才以上まで生きるには専門医による適切な治療が必要となる

非心臓手術での周術期の死亡率は7%とのこと (Webb G et al. JACC 2008)。
非心臓手術は専門の施設で受けるべき・・・ということだった。

妊娠73人中、operative delivery が44人で、死亡率は52%。
なんと半分以上が亡くなっている。
時期としては、中間値が術後5日とのこと。
妊娠・出産に伴う死亡率が高いので、避妊の方法をカップルに指導することが class I で推奨されているとのことだった。

最近の内科的治療法としては、prostaglandin analogue, phosphodiesterase type-V inhibitor, endothelin receptor antagonist が挙げられていた。

周術期の成績が悪いのであれば、手術法や麻酔法、術後管理方法の話を聞きたかったが、それらにはほとんどふれられずじまいで、自分としては残念ながら今ひとつな内容だった。
内科系のドクターにとっては輸液量、抗凝固療法などについては関心があっても、麻酔関連薬剤が循環系にもたらす影響やモニタリングについては興味が薄いところなのかもしれない。

2009年12月10日木曜日

なぜか文献整理みたび

12/9 (水) 快晴 11月の天気がうそのように、晴れが続いている。

バンクーバーに着いてから2ヶ月半。
だんだんと知り合いの数が増え、ありがたいことにクリスマスパーティーにも声をかけてもらえるようになった。

これから夜の寒い時期に出かけることも増えるだろうし、日本からは冬物を全く持って来なかったので、今日はコートとマフラーを Sea●s に買いに行った。
日本で着ていたのと同じようなコートがあり気に入ったのだが、サイズが XL しかない!
L でさえぶかぶかなのに・・・。

ほかに気に入ったのもいくつかあったのだが、そういうのに限ってなぜかボタンがとれてたりする。
そういうのをそのまま売ってるのって、ちょっとまずいと思うけど。

結局、最初考えていたのとは全く違うのを買うことになった。
外から見ると薄そうだが、実際着てみると暖かい。
L にしたが、それでも胸元がスカスカする感じがする。
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よもや3度目はないと思っていた文献整理だが、昨日の夜、指導医から "Sorry" で始まるおそろしく丁重なメールがあり、もう1回やり直してほしいとのことだった。
どうも情報伝達がうまくいっておらず、自分が彼の意図をよく理解していなかったらしい。
さすがに彼も、この作業が超大変なことはわかってくれているらしい。

全部まるまるやり直しというわけではないので、今日朝から1日かけて終わらせることができた。
慣れてきたのか、今日はあんまり苦痛に感じなかった。
いわゆる「プレコンディショニング効果」であろう。
4度目があっても、もうあまり驚かないと思う。

2009年12月9日水曜日

境界線の上で

12/8 (火) 快晴 

バンクーバーに来てから特に夕方と夜はそうなのだが、出入口とかいろいろな境界線を通るたびに立ち止まって考える習慣がついてしまった。
こちらではさまざまなところで「出たら二度と入れない」状況がありうるため、用心深くならざるをえないのだ。

まずアパートがそうなのだが、常に施錠されている状態なのでカギを部屋に置き忘れて外出したら、もう戻ることができない。
雨が降っているとなおさら面倒なのだが、カバンの中にカギが入っていることを指差し確認してから玄関のドアを閉めることにしている。

研究室に関しては日本よりもはるかにこちらは施錠管理が厳しく、自分を含めた一般の職員は午後4時半を過ぎると戻ってくることができない。
秘書さんたちは3時半~4時には帰るのでそれで構わないだろうが、こちらはそうは行かない。
一番近い男子トイレは毎日4時頃掃除が行なわれることを計算に入れた上で、4時15分頃トイレに行って用を足し、あとは水分を摂らずにがんばるのみである。

ただ、あんまりがんばり過ぎたためにあわててトイレに駆け込んだら、実は大事なものを研究室に置き忘れていた・・・なんてことになってももう戻れないので、「膀胱(あるいは直腸)七分め」くらいで切り上げることにしている。
これもリスクマネージメントである。

トイレで思い出したことがある。
現地の日本人の方に教えてもらったのだが、ホームレス対策のために電車の駅にはトイレがない。
そう言われてみると、確かに駅にトイレを見かけない。

また、大型デパートや病院を除き、多くのビルではトイレが施錠されていて、簡単には使えない。
そのため、外出時には水分摂取制限とともに、おなかを冷やさないことも重要になる。

そう考えるとほんのささいな生活の一部のことだが、いかに日本が住みやすい国かということがよくわかる。
コンビニに寄ってトイレを借りることができるのがあたりまえ・・・という感覚なのだから、いろいろな批判はあるものの、基本的には平和で安全なすばらしい国なのである。

2009年12月8日火曜日

文献整理再び

12/7 (月) 晴れ とても寒い1日

朝6時ごろ出かけると、空気が澄んでいるせいか4割くらい欠けた月がきれいだった。
空を見上げるとダウンタウンの灯りにもかかわらず、星がたくさん見えた。

自分のほぼ真上に北斗七星がはっきりと見え、ひしゃくの先端を5倍伸ばしたところに北極星らしきものがあった。
新潟での星空観望会で見た北極星よりも、ずっと高いところにある。
北国なんだな~と、今さらながら感じた。
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文献を章末に載せるという超タフな仕事が終わったのが先週の金曜。
その翌日、指導医からメールが来て、それには「こっちの章の分もやっといて~」と英語で書いてあり、さらにもう1章分同じ作業をすること(ハメ)になった。
上司の指示とあらば、放置するわけにはいくまい・・・。

新たに作業に取りかかった章には大きな表があり、それにはぎっしりと文献がならんでいて、めまいがしそうになった。
昨日はフィットネスと部屋の掃除とメシ以外は、ずーっとそれに取り組んでいた。

困ったことに今回の章の分には文献のメモに誤りがあり、それで作業が再三中断することになってしまった。
それでもなんとか夕方に仕上げることができ、メールで指導医に送ったところ。

もうこれ以上は同じ作業はあるまい!
われわれの担当分は全部で2章しかないのだから。

ほっと一息・・・、洗濯と乾燥が終わったら、シャワー浴びてビール飲んで You tube でも見るか・・・って気分。

2009年12月7日月曜日

予期すると聞こえる

12/6 (日) 晴れ (明日の最低気温はマイナス5℃らしい)

一日中晴れていたので、コミュニティー・センターのフィットネスは空いていた。
本当に健康な人は、スタンレー・パークのまわりとか屋外を走っているのだろう。
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最近、英語が聞き取れるようになってきた。
といっても、ごく限られた状況なのだけれども・・・。
次に何が起こるかが予期できるような状況では、今まで聞こえなかったものが聞こえるようになったのである。

一番簡単な例として、昼に病院近くのフードコートでテリヤキを週1回のローテーションで食べるのだが、注文すると必ずマッシュルームを入れるかどうかを訊かれる。
"Mushuroom ?" の一言が最初は聞き取れず困った。
もちろん二度目からはとてもよく聞こえた。

最近 Babylon Cafe の chicken shawarma にはまっており、週1回のローテーションで食べている。
中毒になりそうなくらいうまい!
http://dinehere.ca/vancouver/babylon-cafe-robson
注文すると必ず2回質問がくるのだが、最初は何を言われているのかさっぱりわからなかった。

ところが「野菜で嫌いなものはないか?」、「米の種類はどっちがいいか?」という内容だろうという察しがつくようになった先週の金曜、ついに
"Onion ?" / "White rice or brown rice ?"
と言っているのがはっきりとわかった。

そして今日、やはり週1回の頻度で通っている店があるのだが、chicken crispy を注文した。
以前同じものを注文した時、パンがいいか米がいいかといったような質問をされたことがあったが、それがさっぱりわからなかった。
今日は何を質問されても「ライス」と答えようと思っていたら、chicken crispy を注文した時点で
"With ・・・?"
と言っているのがわかった。

いずれも英語としてはかなり簡単なものばかりなのだが、状況が理解できていないと実際にはよくわからないものである。
英語の実力がついたと言うよりは、暮らしに慣れてきた証しなのだと思う。

2009年12月6日日曜日

フリーマーケット

12/5 (土) 晴れ

ボランティアに行っている日本語学校で、フリーマーケットの手伝いをさせてもらった。
売るのはもちろん、この1ヶ月間苦労して地下の倉庫から掘り起こしたマンガと、在庫が重なったなどの理由で売ることになった文庫本や絵本、ハードカバーの本である。

性的表現があるなどの理由で学校で売るのが不適当とされたはずの「課長島耕●」や「東京大●物語」などが、なぜかすでに売り物として並んでいた。
マンガは1冊25セントだが、10冊以上買うと1冊10セントなので、まあ安いということになるだろう。

大量のマンガのためにふだんよりも売り場スペースを広くしたらしいのだが、残念ながらマンガの売れ行きは大したことがなかった。
たまに少年、少女たちがどかっと「大人買い」していくくらい。

人気があるのが日本語の伝統的な絵本や子供向けの本(「かいけつゾロリ」など)で、なかなかバンクーバーでは手に入らないらしいのである。
しかも日本で買う定価の2倍以上するとのこと。
小さい子のいるお母さんたちが、必死になっていい本を探していた。

現地の人たちと話す機会がたくさんあって楽しかった。
伝統的な絵本が beautiful だと言って、ぜひトライしてみたいと買って行ってくれた現地の年配の方もいた。
絵本のあらすじを英語で説明してほしいと言われたのには、ちょっと困ったけど・・・。

カナダの女子高生みたいな若い子が、ぼろぼろになった仮面ライダーV3 の本に食い入るように熱中していたのも印象的だった。
また、現地のやはり中学生くらいの女の子が魚の図鑑を指差して、「これなんですか~」とたどたどしい日本語で訊ねてきたりということがあり、やっぱりここは日本じゃないんだよなあ~と今さらながらに感じた。
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また髪がボサボサになってきたので、夕方は床屋へ。
結局、前回と同じところへ行ってしまった。

そしたらやっぱりいつぞやの銀行員のようによく自分のことを覚えていて、本当に記憶力がたいしたもんだと感心させられた。
自分の容姿が特異だからだとは思いたくないのだが、言葉がイケてない東洋人ということでインパクトがあるということなのだろうか。

2009年12月5日土曜日

クリスマスの飾りつけ

12/4 (金) 晴れ

研究室の外がなんかざわついていると思ったら、どうやら秘書さんたちがクリスマスの飾りつけをしているらしいことに気がついた。
入り口に2メートルくらいあるツリーが飾られており、麻酔科の看板にもイルミネーションが施されていた。
自分がふだん使っているフェローの部屋のガラス窓にも、いつもまにかツリーをかたどった切り絵が貼りつけてあった。

飾りつけは他の部署でも競うように行なわれており、整形外科の研究室の入り口には直径2m近くあるリースがあった。
ドアのガラス越しに、部屋の中に巨大なツリーやイルミネーションがあるのが見える。

ダウンタウンもだんだん華やかになってきている。
今朝は気づかなかったのだが、帰るころには美術館とその前の広場のイルミネーションがとてもきれいだった。

そういえばこの前の日曜日にテニスに行った時、更衣室の奥から全身真っ赤の服装の人が出てきた・・・と思ったら、なんとサンタだった・・・ということがあった。
コミュニティーセンターで子供たちのクリスマス会が行なわれていたようだった。
なにしろそのサンタは日本人ではなくこっちの人なので、本物らしいというか、なんともそれらしいのであった。

2009年12月4日金曜日

久々のスシ

12/3 (木) くもりのち晴れ

朝6時40分に病院に着いたら、病院がイルミネーションで包み込まれていた。
昨日帰る時にはなかったように思うが、夜中のうちに誰かが飾り付けをしてくれたのだろうか・・・。
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苦労に苦労を重ねた文献のリスト作りがひとまず終わった。
単調な作業の繰り返しだけに、ものすごくきつかった。

これに懲りて、近いうちに文献整理用のソフトを購入しようと思う。
時代の流れに負けずに生き残る論文は少ないが、それでも時間が経てば確実に情報は増えていくものなのだし、バンクーバースタイルだの AMA スタイルだのと出版社の要求に常に答えていくには、コンピュータの力を借りて情報を整理していくしかないのではないだろうか・・・。

夕方は週1回のローテーションで通っているドンブリ屋へ。
店内がものすごく寒いので、テイクアウトすることにした。

いつものメニューを見て迷っていたら、お店の人が新しいメニューがあると教えてくれた。
なんとそこにはずっと食べていなかったスシメニューが・・・。
いちばんうまそうなマグロ丼にした。

写真を撮ろうかと思ったが、リサイクルの容器があまりにも情けないのでやめた。
マグロ自体は予想通りの味だったが、いっしょについてきた生姜があまりにもうまくて、バクバク一気に食べてしまった。
なんか中毒になりそう・・・。
酢がしみこんでいるスシメシが本当になつかしい。

いいもの見つけたちょっと得した気分がして、週1回のローテーションを中5日くらいに格上げしてもいいかな・・・と思った。

2009年12月3日木曜日

Thoracic Anesthesia 講演会

12/2 (水) 快晴 

トロント大学から Visiting Professor を招いて、Thoracic Anesthesia に関する講演会が催された。
備忘録として、内容を簡単に書きとめておく。
ALI のリスクファクター等については、著書に載せたので割愛する。

1) 手術側の肺をいかに虚脱させるか
換気ガスの構成を吸収されやすいものにする  Ko R et al. Anesth Analg 2009; 108:1092-1096
開胸前に非換気側チューブを開放して換気側肺を換気すると、圧が縦隔を通して対側に伝わり、非換気側肺の虚脱が促進される  Pfitzner J et al. Anaesthesia 1999; 54: 437-443
気管支内を吸引する  Narayanaswamy M et al. Anesth Analg 2009; 108: 1097-1101

2) 低酸素血症の治療
CPAP が有用である  Caplan LM et al. Anesth Analg 1980; 59: 847-851 (30年前の知見)
術者が CPAP を拒否する場合、より選択的な酸素化が有用
Ku CM et al. J Cardiothorac Vasc Anesth 2009 (in press)

3) 心拍出量と酸素化
心拍出量を増やすと Qs/Qt と SVo2 はともに増え、酸素化はかえって悪くなる
Slinger P et al. Anesthesiology 1995; 82: 940-946
Russell WJ et al. Anaesth Intensive Care 2004; 32: 644-648

4) いかにシャントを減らすか
肺血管抵抗は肺容量が FRC レベルのときに最小なので、換気側肺を FRC レベルに保ちたい。
→ total PEEP と lower inflection pointo との相対関係が重要になる
(COPD患者では auto PEEP がもともと高いので注意が必要)
→ CPAP の効果は約束されているが、PEEP の効果が人によってばらつくという話につながる。

5) 肺切除後のARDS の治療法
CD プレイヤーのような小さな機械で、人工的に酸素化をはかる  
Iglesias M et al. Anal Thorac Surg 2008; 85: 237-244

夜は、肺をいかに分離するかについての講演だった。
挿管困難、肺全摘後の縫合不全などの例を挙げ、気管支内チューブ、気管支ブロッカー、ダブルルーメンチューブなどについて最新の知見を紹介していた。

Thoracic Anesthesia の A B C は、
A ・・・ Anatomy
B ・・・ Bronchoscope
C ・・・ Chest X-ray, Chest CT
なのだそうだ。

上記のAとBについては、気管支の解剖を本当の意味で理解するのがいかに難しいかという話だった。
しかしそれを理解しないと、安全で確実な肺分離はありえないというわけである。

2009年12月2日水曜日

文献管理ソフト

12/1 (火) 快晴 今日が満月かも(?)

午後1時ごろ昼食のために外出したら、空に珍しく太陽が出ていた。
ほぼ南中に近い状態なのだろうが高度が低く、東京でいうところの午後3時くらいの感覚だろうか。

ふだんは曇りや雨ばかりなので気づかないが、北国なんだという実感がした。
バンクーバーは北緯49度16分で、ちなみに札幌42度46分~43度11分、稚内45度20分。
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本の執筆の期限が近づき(正確にはもう過ぎたが)、参考文献を章末に付けることになった。
最初はたいした作業ではないと思っていたのだが、AMA (American Medical Association) Style に従うということで、実はものすごく大変だということに気づいた。
http://healthlinks.washington.edu/hsl/styleguides/ama.html

よく用いられる Vancouver Style との最大の違いとして、第何巻かだけでなく第何号かも書かなければならないという点が挙げられると思う。
http://www.lib.monash.edu.au/tutorials/citing/vancouver.html
PubMed の形式に似ているとも思う。

この第何号かを調べるのがものすごく骨の折れる作業である。
原著論文ならせいぜい30個程度の論文しか引用しないのでそれでも何とかなるのだが、本のチャプターなので何百もの論文を紹介しなければならない。
気の遠くなりそうな作業である。
実際、気が遠くなった。

日本では大学の図書館経由で使うことのできる無料の EndNote を使うこともあったが、こちらでは文献管理ソフトを全く使っていなかった。
そうは言ってもいまさら遅いので、コツコツ手作業でやるしかないのであろう。

打ち合わせの時に「手作業で今まで文献を打ち込んでいた」と自分が言った時、指導医の J 先生が一瞬ふっと遠くを見るような目をした理由がわかった気がする。

2009年12月1日火曜日

レジデントとの朝のひとコマ

11/30 (月) 晴れ めずらしく空の2割程度しか雲がなかった 夕方から快晴 今夜は満月(?)

朝、オペ室に行くとレジデントの A 先生が準備をしていたので、いつものように "Good morning" とあいさつをした。
いつもだと英会話のテキストのようにさらにここで "How are you ?" とお決まりのやりとりがあり、最初の症例に関するディスカッションにとなるのだが、今日は彼は「で、週末は何してた?」と想定外の質問をしてきた。

最近、夕方から夜になると英会話の調子が比較的いいのだが、まだ朝7時前で脳ミソが英語モードになっていない時点での想定外の質問は非常につらく、まるで棋士のように長考モードに入ってしまった。
「えーっと、昨日とおとといは何やってたっけかなあ~」

A 先生はその間、ニヤニヤしている。ついこの間まで慣れないオペ室でうろうろしていたくせに、日本人麻酔科医をいじくる余裕ができたらしい。
せっかくだから A 先生にも「週末何してた?」と訊ねたら、ずーっと勉強してたとのこと。
そういえば、もうすぐレジデントはいっせいに試験を受けるんだったね・・・。

そのレジデントの試験の日は、自分たちフェローの研究室が口頭試問で使われるため、その部屋を使うことができない。
だからその日はどこかに避難しなければ・・・。

また、その日は胸部麻酔の権威の先生がやってきて講演をしてくれることになっている。
自分も質疑応答に積極的に加わりたいので、A 先生の合格を陰ながら祈るとともに、自分もその日に向けて勉強していこうと思っているところ。