2010年12月27日月曜日

9キロ太った

12/27 (月) 晴れ
 
日本に帰ってきて一番驚いたのは、自分がおそろしく太ったことだ。
風呂上りに体重計にのってみたら、留学開始前にくらべて5キロ増、昨年の今頃にくらべて9キロも増えていることに気づいた。
バンクーバーでは体重計を使っていなかったので、客観的に自分の体型を見つめることはなかった。
 
原因としては座りがちなふだんの生活と、カロリーが高そうな食事とにあると思う。
昨年の今頃は食生活が貧しかったのでやせてしまったが、今は食生活はかなり豊かになっている。
 
振り返ってみると予兆がなかったわけではなく、ストレッチをしようとしたら腹がつかえたとか、シャワーを浴びていたら両方の太ももどうしがすれることに気づいたとか、立ったまま靴下をはけなくなったとかいろいろある。
麻酔科医の仕事は基本的に肉体労働だしカロリーを消費するので、仕事に戻りさえすれば自然にもとの体型に戻るはずなので、現時点ではそんなに心配していない。
 

2010年12月23日木曜日

ささやかなお返し

12/23 (水) くもり
 
大家さんにクリスマス・プレゼントをもらったことは昨日書いた。
家族にまでもらったことだし、このまま日本に旅立ってしまうのはあまりにも申し訳ないので、お返しをすることにした。
 
そうは言ってもいいアイデアは思い浮かばず、とりあえず病院の帰りに City Square の花屋に寄ってみた。
すると店の前にポインセチアが売られているのを発見!
あまりにも安直すぎるような気もするが、それを買って帰ることにした。
 
しかし手頃のサイズが見当たらない。
ノート・パソコンを抱えた状態で混んでいるカナダ・ラインとバスを乗り継ぐことを考えると、大きくて重い鉢に入った花は持ちたくない。
以前に同じようにランの花を買ってひどい目に遭ったことがある。
 
結局はミニチュアサイズの、子供の小遣いでも買えるようなものにしてしまった。
秒読みに追われたあげくの苦し紛れの一手といった感じだが、今となっては仕方がない。
 
比較的早く家についたので、部屋を掃除して荷物をスーツケースに詰め込んだりした。
夕食はレバーの予定だったらしいが、お願いしてチキンカレーに変えてもらった。
他の店子たちはグラウスにスキーだかスノーボードだかに出かけており、会えずじまいだった。
 

2010年12月22日水曜日

意表をつかれたプレゼント

12/21 (火) くもり
 
いつものように夜 10 時ごろ階段を上がって水を飲みに行くと、大家さんに呼び止められた。
全く予期していなかったのだが、何かと思ったらちょっと早いクリスマス・プレゼントをいただいてしまった。
 
しかも自分だけでなく、ヨメさんや子供たちにまで・・・。
自分がいただいたのはスタバで売ってるマグカップとタンブラーで、うまく説明できないが、タンブラーみたいなのはちょくちょく見かけるもので、それにコーヒーを買って持ち運びすることができるようだ。
http://www.starbucksstore.com/products/shprodli.asp?DeptNo=8100&ClassNo=0035&SubClassNo=0262
 
自分が現在使っているのは象印マホービンで、毎朝ウーロン茶を入れて病院へ向かっている。
大家さんにいただいたタンブラーに店でコーヒーを注ぐ自分をイメージすると、なんか本当に Vancouverites の仲間入り(?)みたいな気がするから不思議だ。
 
ほかの店子たちは大家さんのお姉さんちのクリスマス・パーティに出席するので、その時に受け取ることになるのだろう。
自分はまもなく日本に旅立つので、ひと足お先にいただいたというわけなのだと思う。
 
プレゼントをいただいた時は「やったあ」という気分よりも、正直なところ「しまったぁ、オレ何も用意してないよ・・・」っていう感じ。
あたふたしてしまって本当に情けないのだが、明日じゅうに何か用意したい。
大家さんの誕生日の時もそうだったが、あたかも本当の家族のようにお互いのことに関心を持って与えたり与えられたりするのがどうやらホームステイというものらしい。
 

2010年12月21日火曜日

クリスマスイベント・イン・バーナビー

12/20 (月) くもり
 
M 君に誘われ、M 君がふだん通っている教会のクリスマス・イベントに行ってきた。
メトロタウンからバスに乗り、10分ぐらい行ったところにある超巨大な教会。
 
開演が7時だったのだが、なるべくいい席に着きたいということで早めに出かけ、教会の中で開演まで1時間半ぐらい待っていたと思う。
ふだん牧師が説教する2階建ての建物の中に舞台があり、教会のボランティアが5日がかりで家などの小道具をそこにこしらえたのだそうだ。
 
ダンスやオーケストラや劇も全てボランティアによるもので、4~5ヶ月かけて練習したと言っていたような気がするが、ここまでくると部活のようだと思ってしまう。
歌の様子をビデオに撮ったので、載せておくことにする。
 
劇はおおまかには理解できた。
会社を経営する超大金持ちの社長が主人公なのだが、たくさんの使用人を家に雇い、毎年クリスマスにパーティを開き、おいしい料理を食べて会話を楽しむような不自由のない生活を過ごしていたが、心に空しさが募るばかりで顔色がさえない。
家族が心配して精神科にかかるように勧めるが、医師は何も問題がないと言う。
 
たまたま見つけた教会にふらりと立ち寄り牧師としばらく会話をし、街で出会った聖書を持つホームレスが幸せそうにしているのを見て、立ち直るきっかけをつかむというストーリー。
残念ながら、劇の最高の盛り上がりのシーンにもかかわらず、牧師とホームレスのせりふがほとんどわからず、なぜ主人公が立ち直ったのか全然わからなかった。
M 君によると、牧師とホームレスはそれぞれ英国訛りがきつかったとのこと。
 

2010年12月20日月曜日

コリアンレストラン・イン・ダウンタウン

12/19 (日) くもりのち晴れ
先週はさぼってしまったが、2週間ぶりにいつものコースを走り、1時間0分12秒だった。
 
1ヶ月ぶりに M 君と一緒に晩メシを食べに、ダウンタウンの Shabusen へ行った。
しゃぶしゃぶを思い起こさせる店名だが実際は日本食もあるコリアンレストランで、焼肉、スシ、天ぷらなどがあった。
http://www.urbanspoon.com/r/14/181618/restaurant/Downtown/Shabusen-Yakiniku-House-Burrard-Vancouver
 
1年間もダウンタウンに住んだのに恥ずかしながら食い放題 (All you can eat) の店に入るのは初めてで、注文の仕方からして戸惑ってしまった。
テーブルの上に白い注文票があるので、注文したい料理の横に数字を書き込むということを学んだ。
 
麻酔のあとのピンクのコスト票を思い起こさせるものがある。
アナペイン 1V、ディプリバン 1V ・・・みたいな。
一皿あたりの大きさがわからないし、残すとチャージします・・・みたいなことが書いてあるので最初はおそるおそる注文したが、2回目からはもう慣れた。
 
小ぶりのイカの原型をとどめた焼き物を、M 君は恐れて食べることができなかった。
彼の目には、さぞグロテスクに映ったことだろう。
 
話し変わってウチの下宿だが、今日はロシアからさらに新しい “student” が1人来た。
15才だというが、自分よりもはるかに背が高い。
生物種が異なるわけでもないのに、ほんのちょっと人種が違うとこうもヒトの仕上がりが違うものだろうか?
不公平感を禁じえない。
 

2010年12月19日日曜日

クリスマス会

12/18 (土) くもり一時雨
 
日本語学校のクリスマス会があり、昨年に引き続き招待していただいた。
今年は昨年よりも全体の参加者が少なかったが、なぜか自分たちはあたかも VIP のように(実際に政府の VIP もいたのだが)指定席にありつくことができた。
 
長年にわたって日本語学校をさまざまな形でかげにひなたに支えている人たちがいる一方で、ボランティアとは言っても自分はせいぜい2年間を図書館で毎週ダラダラと過ごしているのが関の山といったところなので、かえって恐縮してしまう。
通称「ナンパ・クラブ」と呼ばれる英会話クラブを除けば日本語学校が唯一の日本人との交流の場なので、感謝しなければならないのは自分の方だというのは明らかだと思う。
 
クリスマス会は小さい子供たちの歌で始まり、日本にいる家族を思い出させられた。
いかにも本物っぽいサンタが現われ、子供たちは壇上でサンタからお菓子を受取り、サンタと写真におさまっていた。
大人たちにもお菓子が配られたが、ビールのつまみも入っていたのが自分としては本当に嬉しかった!
 
学校が治安の悪い場所にあることは以前にも書いた。
帰りはすでに8時近くあたりは暗かったため、 Hasting Street のバス停までダッシュしたことは言うまでもない。
 
バス停ではズボンと(下着の)パンツが中途半端にずり下がってお腹が見えて半ケツ状態の若い女の子がいて、彼女がタバコを吸いながら笑顔を向けてきた時は、正直なところいい気分はしなかった。
バスの中でもその女の子があっちへウロウロ、こっちはウロウロしており、リラックスすることができなかったことはもちろんのこと、自分がバスを降りるまで緊張感が高まっているのが自分でもわかった。
 

2010年12月18日土曜日

社交的な R 君

12/17 (金) くもり
 
ブラジルから来た R 君はとても社交的で話好きだ。
たくさんしゃべることで英語をものにしようという狙いもあるのだろうが、おそらくむしろ彼の陽気な性格によるものだろう。
 
今日は夕食の後で彼はスカイプでガールフレンドと話していたところ、わざわざ自分を部屋に招いて彼女に紹介してくれた。
ブラジルとは6時間の時差があり、向こうは真夜中で彼女がちょっと気の毒だったが・・・。
自分も R 君にバンクーバー・オリンピックのころの写真を見せたり、日本で撮った写真を見せたりして、まあ仲良くなったというわけだ。
 
去年の9月にこっちに来た時は社交的に振舞わなければいけないという、自分で自分に課した妙ちくりんなプレッシャーのために、精神的におそろしく疲れたことを思い出す。
そうは言ってもそう簡単に社交的になれるものでもなく、いつのまにか自然体を貫く(貫かざるをえない)ことになったけど・・・。
 
その点、R 君は無理なくみんなと仲良くできているところがすごいと感じる。
いいキャラクターは言語の壁を越えるという、いい見本のようなものだと思う。
 

2010年12月17日金曜日

終わらなかったデータ収集

12/16 (木) くもり
 
右の写真は、ずいぶん前にQueen Elizabeth Parkで撮ったもの。
この場所はあんまり華やかではなくて、ちょっとだけわび・さび系の味わいがあり、個人的には気に入っている。
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もうずいぶん前に、データ収集が年内には終わりそうもないことは書いた。
それでもずいぶん頑張って、ひょっとしたら年内に終わるかもしれないというところまで追い上げたのだが、今日の時点でやっぱり無理だということが明らかになった。
 
2週間ぐらい前に診療録保管庫の職員宛てにメールで送ったはずのファイルが、どうやら届いていなかったらしいのだ。
その前後にその人が休暇を取っていたので、あるいは受け取っていたにもかかわらずどこかに紛れてしまったのかもしれない。
 
今朝、「これで申し込んだ診療録は全部取り出したよね」と声をかけられて、はじめて連絡がうまく行っていないことに気づいたのだ。
もっとも仮に予定通り診療録を出してもらったとしても、データ収集を今までのペースでできたとは限らないのだけれども・・・。
肺移植は入院期間が半年以上に及ぶことがあり、診療経過が複雑きわまりない症例も少なくないのだ。
 
年明けはすぐにでもデータ収集を再開し、できれば早く終わらせてさっさと分析に取り掛かりたい。
残り時間は限られているので、有効に使わなければならない。
 

2010年12月16日木曜日

クリスマス気分

12/15 (水) くもりのち雨
 
まだクリスマス本番まで1週間以上あるはずだが、なぜか今日はクリスマス系の催し物が病院内外で多かったような気がする。
 
まず、年末ということで毎週水曜日の朝に行なわれるカンファレンスが今日はなく、オペ室の中のラウンジのようなところでクリスマスのブレックファストがあったらしい。
毎週水曜日はカンファレンスのために患者の入室時刻が遅いのだが、今日はその時間を利用してみんなで楽しんだというわけだ。
 
診療録保管庫の部署の職員は、昼間にみんなでおそらくお取り寄せのランチを食べていた。
ここでは全員がいっせいに飲み食いすることはふだんはなく、とても珍しい光景だった。
病院のフードコートではタレント・ショーが行なわれており、職員が参加して楽器を弾いたり歌ったりといった催し物が行なわれていた。
 
夕方は外科の医局でパーティが催されているようだった。
また、家に帰ると大家さんと R 君は大家さんの親戚の子供のクリスマス・コンサートに出かけており、留守だった。
 
たまたま偶然、今日がみんなにとって都合の良い日だったのだろうか?
あるいはひょっとして、今日は何かの記念日だったのだろうか?
こっちに来てから1年以上経ったものの、今ひとつ、カナダの生活リズムになじんでいないように感じる。
 

2010年12月14日火曜日

新しい "student" 到着

12/13 (月) くもり
 
お客さんは今までに何人か泊まっていったものの、自分がウチでは唯一の店子だった。
それが今日、新たな店子というか “student” がブラジルからやって来たので、ついに「後輩」ができた。
3回も飛行機を乗り継いで、16時間かけてやって来たのだそうだ。
 
軍人になるための学校に行っていたらしく、折り目正しくさわやかな感じがする。
まもなく自分が日本に一時帰国しても彼は居続けるので、大家さんとしても治安の面からも安心というわけだ。
たとえ泥棒が侵入してきたとしても、きっと彼なら撃退してくれるだろう。
 
その彼がコンセントにパソコンのプラグがささらないと言うので見てみたら、ブラジルのプラグは2本の間隔が日本や北米のものよりもずっと広く、板状ではなく円柱状だった。
これではささるはずがない。
 
「アダプター持ってないの?」と訊いてみたら、あっさり持っていることがわかり解決。
ポルトガル語のウェブサイトはなんか華やかでもの珍しかったが、彼がグーグルで検索する時は英語だったので、今考えてみるとたぶん、ポルトガル語と英語の変換機能を持っているということだったのだろう。

2010年12月13日月曜日

国際的 ○秒ルール

12/12 (日) 雨のちくもり
  
昨夜から朝にかけて強い雨が降り続き、今朝はジョギングをあきらめた。
フィットネス・センターに行くことも考えたが、なんとなく気乗りせずやめた。
 
大家さんに4週間分の食費込みの家賃800ドルを払おうとしたら、一時帰国の期間が2週間弱あることから140ドル返してくれた。
どうやら食費は1日10ドルで計算されているらしい。
 
返ってきたのは50ドル紙幣2枚と20ドル紙幣2枚。
今までほとんど20ドル札のみで暮らしてきたが、初めて財布の中にだいだい色の50ドル紙幣がおさまることになった。
だいだい色の紙が2枚もあると、なんとなく懐が暖かい。
 
夕方は大家さんの親戚の子供たちが来ていてにぎやかだった。
夕食後に大家さんの悲鳴が聞こえたのでなにごとかと思ったら、せっかく作ったマフィンを1個落としたとのこと。
 
しかし大家さんは「私の国(東南アジア某国)では、食べ物を床に落としても2秒以内に拾えば大丈夫なのよ。知ってた?」と言って、マフィンを元に戻そうとしていた。
日本では3秒ルールが最も広まっているはずだが、彼女の国は日本よりも清潔度に対する閾値が高いらしい。
 
幸いなことにそのマフィンはチョコチップバナナマフィンで、チョコチップの散らばり具合(全体に7個、中央に4個ひし形に並んでいた)から特徴を把握するのは容易だった。
記憶を維持することができれば、自分が望んで自分の口に入れることにはならないはずだと思う。
 
また、大家さんは「あんまり清潔に対して敏感だと病気になるって知ってた?」と、嗤うカイチュウの藤田先生がおっしゃっていることをそのまま自慢げに話していた。
さすがはわれわれの大先輩!
藤田先生の学説が日本から遠く離れたバンクーバーの一般大衆の間にも十分理解されていることがよーくわかった。
 
ついでながら、今日は Amazing Race のファイナルがあったのだが、期待通り女医のペア(たぶん麻酔科医)が優勝し、賞金の100万ドルをゲットしたことを備忘録に載せておきたい。
http://www.cbs.com/primetime/amazing_race/
 
毎週、レースの冒頭のシーンで彼女たちの仕事が紹介されるのだが、マスクや蛇管をいじっていることから、麻酔科医であろうと思われる。
最終回の今回は彼女たちの知性が随所で発揮される展開となり、まさに麻酔科医の面目躍如といったところだ。
 

2010年12月11日土曜日

ツリーの飾りつけ

12/10 (金) くもり
 
昨日は大家さんのところでホームステイをした初代の K さんちで鍋パーティーがあったので、オーガニックワインとビールを持って遊びに行った。
カナダにいても、やっぱり冬は鍋がいい。
白菜を食べたのはいつ以来のことだっただろうか・・・。
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今日は夕食のあと、クリスマスツリーの飾りつけの手伝いをした。
先日買ってきてサン・デッキに放置してあったもみの木の下の部分を、水をよく吸うようにと厚さ 1 cm ほどのこぎりで切ったのだが、これがまた固いの固くないのって、汗びっしょりになって握力がなくなるまでがんばって、ようやく切断することができた。
 
そのもみの木を固定するのが、また大変だった。
大家さんと2人がかりで取り組んだのだが、1人が 2 m 以上あるもみの木を支え、もう1人が容器の中央部に木を配置した上で横からねじで固定するのだが、なかなかうまくいかなかった。
 
根に近い部分の小枝を切断していなかったばっかりに木が容器の底についていなかっただけなのだが、それに気づくのにずいぶん時間がかかった。
その後、電飾などのさまざまな飾りつけを施したのだが、2時間近くかかってしまった。
 
家の中の壁とか天井の飾りつけは挫折したので、明日やることになった。
壁にねじをねじこんでそこに電飾を飾るつもりだったのだが、あまりにも壁が固くて刺さらなかったのだ。
最近、新しい店子のために部屋の改修工事をしているのだが、工事で出入りしている G さんに壁の穴あけをお願いすることになった。
 

2010年12月9日木曜日

データ収集・・・小休止

12/8 (水) くもりのち雨

 
先週はいつも診療録を用意してくれる職員が休みで、代わりの人が対応してくれたようだった。
ところがそれがかなりズサンな仕事っぷりで、出してくれたのが同じ患者でも違う手術の時の診療録だったり、数冊組みの診療録が1冊欠けていたりとか、いつもの職員ではありえないようなものばかりだった。
 
まともにそろっている分に関しては昨日までに終わらしてしまったので、今日は診療録の方は何もすることがなかった。
しかたがないので、電子カルテからのデータ収集に専念した。
 
それから、そろそろ始めないといけないと思っていたのだが、こちらの病院で作成した論文で以前にリジェクトされたものについて、修正してから投稿するという一連の仕事を手伝うことになってしまった。
自分の論文だったらアクセプトされるまで闘うのみだが、他人のものだと思うと今ひとつ気合いが入らない。
 
また、一見してダメそうな物を相応のレベルまで引き上げるには、追加実験も必要になってくるかもしれないし、手間もかかりそうだ。
まるでプロ野球の「野村再生工場」のようだが、今までやったことのない領域の作業なので、手探りでそろりそろりと始めるしかないだろう。
 

2010年12月7日火曜日

日本人研究者からのメール

12/6 (月) くもり

 
UBC の麻酔科の教授に頼まれて、日本人研究者にメールを書いたことはここにも書いた。
http://anesthmemorandum.blogspot.com/2010/12/blog-post_04.html
今朝メールチェックしていたらさっそく返事が来ており、教授に日本語訳をつけて転送した。
 
ありがたいことにメールには詳しい資料が添付されていた・・・らしい。
らしい・・・というのは、それは Photoshop のファイルなのだが、自分は Photoshop を持っていないので開けないのだ。
よくもまあ今まで、Photoshop なしで生きてこられたとも思うけど・・・。
 
教授と UBC の大学院生にとって、研究の方向性を左右する重要なメールだったらしい。
時間を割いて見ず知らずの自分たちにアドバイスを送ってくれた日本の先生に感謝するとともに、自分もいつかはそういう頼られる側の人間になりたいものだと思う。
 

2010年12月6日月曜日

クリスマスの飾りつけ

12/5 (日) 晴れ一時くもり

 
いつものコースを走り、初めて1時間を切る(59分49秒)ことができた。
写真はいつも周囲を走っている Queen Elizabeth Park の高台から、ノース・バンクーバーの山やダウンタウンの建物を撮ったもの。
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大家さんにつきあって、車でクリスマス・ツリー用のもみの木を買いに行った。
本物のもみの木を買うのは初めてだ。
Fraser Streetと 41st Avenue の交差点に学校があり、その一画が臨時販売所みたいになっていた。
  
日本で売っている人工物のクリスマス・ツリーぐらいの大きさを予想していたのだが、本物はずっと大きくて重かった。
買ったら販売所で、水をよく吸うようにと根っこの一部が切断された。
 
自分の背よりもずっと大きいもみの木を庭にでも植えるのかと思ったら、家の中に飾るとのことだった。
そのもみの木は現在はサン・デッキに放置されている。
数日以内に根っこをさらに切断して、大きな鉢に入れるのだそうだ。
 
夕食後にカラフルな電気のイルミネーションの飾りつけの手伝いをした。
道路より一段高くなった家の手すりのところにイルミネーションを巻きつけて点灯したら、なんとなくクリスマス気分になってくるから不思議なものだ。
となりの家は東南アジアの某国出身の夫婦が住んでいるのだが、いかにもそれらしい飾りつけでお国柄を感じさせる。
 
さすがにハロウィーンよりもクリスマスの方が、各家庭の装飾の気合の入り方が格段に上のようだ。
  

2010年12月5日日曜日

掃除機の故障

12/4 (土) 晴れ

 
日本語学校のボランティアから帰ってきて、部屋の掃除をしようとしたら、掃除機がいつもよりも汚れていることに気づいた。
別の部屋の renovation の最中なので、工事のあとで使ったからだろうとあまり気にとめなかったのだが・・・。
 
使い始めたら、全然ゴミを吸い込まない。
おかしいと思ってヘッドの部分を裏返したら、そのとたん、ゴミやチリがヘッドの部分が大量に噴き出してきた。
 
あせってスイッチを切ったらゴミの噴出は止まったのだが、部屋のじゅうたんがゴミだらけになってしまった。
ヘッドをはずせば普通に吸い込むので、明らかにヘッドの異常である。
工事のあとに吸い込みすぎて、ひょっとしたらヘッド部分がゴミで詰まったのかもしれない。
 
洗濯機も乾燥機も掃除機もそうだが、カナダの家電製品は悲しいほどアカ抜けてない。
日本の製品がキラキラして見える。
というわけでささいな生活のひとコマだが、ボロい家電製品を使って起きた悲(喜)劇を備忘録に残しておくことにする。
 

2010年12月4日土曜日

日本人研究者へのメール

12/3 (金) くもり 晴れ間あり
 
UBC の麻酔科の教授の一人が、日本人研究者に電話をかけようとしていたことは前に書いた。
http://anesthmemorandum.blogspot.com/2010/11/blog-post_27.html
電話をいきなりかけるのはちょっとアレなので、その時はメールで様子をうかがうように勧めた。
 
ところが実際にはその教授の知り合いがすでにメールを送っていて、あっさりと無視されてしまったのだそうだ。
どうも添付ファイルも送りつけたらしいのだが、英語メールで添付ファイルつきだったために、ひょっとしたら先方はウイルスを用心してメールを開けなかったのかもしれない。
 
検索してみると先方は某大学基礎医学系の教授で、莫大な研究業績を持つとともに、一般向けの講演を引き受けるなどかなりアクティブな人らしい。
そういう人に何の準備もなくいきなり連絡を取ろうとするのは困難なのだろうが、自分も乗りかかった船なので、日本語を駆使してメールの代筆を引き受けた。
返事が来るといいのだが・・・。
 

2010年12月3日金曜日

BCID カード

12/2 (木) くもりのち雨
  
B.C. Identification (BCID) カードを申し込みにダウンタウンに行ったことは、以前に書いた。
http://anesthmemorandum.blogspot.com/2010/11/blog-post_10.html
そのIDカードが今日届いた。
しかも普通郵便で・・・。
4週間かかることになっていたが、実際には3週間ちょっとで届いたことになる。
 
日本の運転免許証とは違い、写真は白黒でしかもサインが写真の上に乗っかっている。
床屋に行ったばかりで髪の毛が一番短い時期に写真を撮ったのは失敗だったかもしれない。
今と容貌が違って見える・・・ような気がする。
 
このIDカードと一緒に、ORGAN DONOR REGISTRATION と書いてある紙が同封されていた。
この用紙に記入すると、自分が死んだ時にドナーになれるらしい。
http://www.transplant.bc.ca/index.asp

ウェブサイトによると、患者が亡くなったら病院職員がインターネットで照会し、ドナーとして登録されているかどうかを調べるようだ。
そしてその結果が家族に知らされるとのこと。
http://www.transplant.bc.ca/odr_process_main.htm
 

2010年12月2日木曜日

最近の JOA

12/1 (水) くもり
  
大学でやった研究が Journal of Anesthesia (JOA) に採択され、ようやく日本でやり残した仕事全てから解放されることができた。
昨年の9月に休職するぎりぎりまでデータを集めていたように思うので、採択まで1年ちょっとかかったことになる。
 
その JOA だが、最近はレベルがどんどん上がっており、採択されるのが難しくなりつつあるのを実感する。
自分の論文が初めて JOA に採択されたのが 15 年ぐらい前だと思うのだが、その頃とは全く別のジャーナルのような感じさえ受けるし、査読を引き受けるようになったこの数年間でさえ、格段のレベルアップを感じる。
 
もっとも英語が母国語でない以外にとりたてて日本が欧米に劣る理由はないわけで、日本麻酔科学会のオフィシャル・ジャーナルがそもそも低く扱われなければならない理由はどこにもないのだけれど・・・。
物事はたいてい自分の予測よりも早く変化しているので、インパクト・ファクターを指標とした場合に JOA が Anesthesiology に 15 年以内に追いつく・・・と、ここで大胆に予言しておきたい。
 
JOA の優れた点は、きめの細かい査読にあると思う。
査読者がろくろく読まずに適当にリジェクトした・・・と感じることはない。
むしろ、おタクっぽい査読者に当たったと感じることはあるけれど・・・。
 
また、査読者のうちの一人が今ひとつよく内容を理解していなかった(著者が理解させることができなかった)としても、チーフ・エディターがその今ひとつなコメントをよく補うことができており、投稿者が納得のいく裁定を引き出すことに成功しているように感じる。
 

2010年12月1日水曜日

レバー

11/30 (火) 雨

 
ホームステイで食事が重要だということは以前に書いた。
料理がまずい、あるいは少ないのは論外として、基本的には大家の料理との相性が問題となる。
 
自分の場合はそれこそ大家さんの料理との相性は悪くないはずなのだが、今日の夕食が「レバー」だと知った瞬間、それこそレバーに一撃をくらったような衝撃が全身を貫いた。
「どうして?」、「何も悪いことしていないのに?」というのが最初の感想。
レバーの食感や味がどうも苦手で、焼き鳥屋でもあえて避けていたのに、日本から遠く離れたバンクーバーでで食べることになろうとは・・・。
 
でもひょっとしたらカナダのレバーは日本のとは違うかも・・・という淡い期待を込めて一口食べてみたのだが、やっぱり同じだった。
でもニンニクソースの味もけっこう強烈なので、臭みがあまり気にならないかも。
 
ニンニクソースがごはんと混じりあって食欲はそそられるのだが、レバーを食べれば食べるほど味がわからなくなり、最後のほうは何を食べているのかよくわからない状態だった。
なるべく味を意識しないようにし、心を空白の状態にして、とにかく根性で3枚食べた。
それから現時点で4時間近く経ったが、特に体調に異変は起きていない。
自分で自分をほめてやりたいところだ。
 
ホームステイを始める前に、食事で苦手なものがあるかどうか訊かれたのだが、その時思い浮かんだのは「とろろ」と「ゴーヤ」で、「レバー」に関しては軽視していたのは否めない。
ホームステイでは食事が命なので、これからホームステイを始める人には最初に慎重な対応を勧めたい。