2011年6月29日水曜日

カルテ保管庫でのトラブル

6/28 (火) くもり
 
データをさらに集めるためにカルテの取り寄せを申し込んだことは、以前に書いたと思う。
あれからパラパラと届いたのだが、全体の半分も来ないうちに音沙汰がなくなってしまった。
 
それでメールでリサーチ専従の係員に問い合わせたところ、これから8月下旬までの夏休みに入るので、引き継ぐ予定の職員に尋ねろとのこと。
するとその引き継がれる予定の職員からは翌日連絡が来たのだが、もうすでに全部払い出されたことになっているということだった。
いったい何がどうなっているのだろう??
 
先方の仕事がうまくいっていないことは明らかなので、例によって「(将棋の)もたれて指す」戦法に出ることにした。
まだ半分以上のカルテが出ていないこと、ここを去る日が近づいているので急いでいること、ミスをしたのはそっちなのであくまでもそちらの責任においてすみやかにカルテを出してほしいということを、じんわりと主張したつもりだ。
 
振り返ってみると、日本ではできなかったであろう研究をカナダでできたのは嬉しかったが、日本でなら同じことをカナダの半分程度の時間でできたのではないかとも思う。
システムの違いのためと言うよりも、むしろ国民の気質の違いが大きいように感じる。
 

2011年6月28日火曜日

電車とバスについて

6/27 (月) くもり一時小雨
 
今日は病院からの帰りに7月用の電車・バスのパスを買った。
8月は途中で帰国することになるので、これが最後のパスということになる。
ここでせっかくだから、バンクーバーの電車・バスについて知っていることを備忘録に残しておくことにする。
 
電車もバスも Trans Link が運営しており、写真のような1ゾーン用の1ヶ月ごとのパスを持っていれば1ゾーン分に限り乗り放題である。
普通に買うと 81 ドルなのだが学生だと割引があったり、ウチの病院でも正規の職員は福利厚生の一環として安く買えたりするらしい。
 
このパスは紙でできていて、日本の電車の定期券みたいに磁気情報として名前や区間や有効期限などが書き込まれているわけではない。
表面の銀色の数字のうち、一つを銀はがしの要領で削ってから使う。
自分の場合はバンクーバーなので、「1」を削る。
ノースバンクーバーやリッチモンドは「2」、コクイトラムは「3」など、使う地域によって削る数字が異なる。
 
裏には使い方が書いてあり、一番下に名前と電話番号を書く欄がある。
一度失くしたらこんなところに名前を書いたところで戻ってきやしないと思っていたのだが、一度だけバスの中で運転手が落し物の定期の持ち主の名前を読み上げていたことがあった。
名前を書いておくと役に立つこともあるらしい。
 
国際空港はリッチモンドにあるので、バンクーバーとは別のゾーンにあることになる。
だから休日や夜間でなければ、乗る前に 50 セントか 75 セントだったかを払わなければならない。
 
駅では時々物陰に隠れている係員にパスの提示を求められることがあるし、突然乗車してきた係員がホールドアップと言わんばかりの態度でパスを見せろと言うことがある、ということは以前にも書いた。
その一方でバスの運転手のチェックはけっこうズサンで、2両編成の急行バスでは運転手のいない後ろの車両から乗り込むのも OK みたいだ。
このあたりが自分にとっては今もナゾで、公平性を欠いていると疑問に思うところではある。
 

2011年6月27日月曜日

テニスでも英語は必要らしい

6/26 (日) 晴れときどきくもり
 
今日は昼間はほとんど晴れで、絶好のテニス日和だった。
ここのところずっと “Don’t push the ball (ボールを置きにいかないで強く打て)” と言われ続けていたのだが、今日はその点、まあまあ調子がよかった。
 
あまり人が集まらない時はシングルスもやるのだが、最近は満員なので最後にダブルスの試合を行なう。
今日のパートナーは、たまたま先週もパートナーだった J さんだった。
 
J さんはすごくまじめな人で、先週はわれわれは負けてしまったのだが、彼女は彼女のボレーがうまくいかないことが原因で負けたと思い込んだらしく、試合後もずっとコーチに食らいついて指導を受けていた。
それでちょっと嫌な予感が最初はしていたのだが、今日は先週とは別人のように J さんのボレーがビシビシ決まり、勝利をおさめることができた。
変に気を遣ってしまったが、いや~、勝ててよかった。
 
最近はだんだんこっちのテニスにも慣れてきたので、相手の立ち位置(前衛か後衛か)が違ったりスコアの計算が違うとすかさず突っ込むようにしているのだが、あいかわらず英語での意思疎通が難しいので、妙にプレーの中断が長くなったりしているように感じる。
テニスでは言葉はいらないと思っていたが、コミュニケーションをうまくいかせようとすると、やっぱりどうしても必要みたいだ。
 

2011年6月26日日曜日

ボランティア最終日

6/25 (土) 雨のちくもり、夕方から晴れ
 
日本語学校は今日が卒業式で、いよいよ夏休みに入る。
というわけで、今日が最後のボランティアとなった。
 
それで今日はいろいろな人たちとたくさんのサヨナラをしたわけだが、そういう人たちと自分の人生で再び会う可能性が決して高くはないという現実感が不思議とわいてこなかった。

まだ実際の帰国まで1ヶ月以上はあるし、論文作成や投稿などでまだまだ乗り越えなければならない山がたくさんあるからかもしれない。
本当に帰国モードになる前に、やらないといけないことはまだまだたくさんあるのだ。
また、太平洋をまたいでいるとはいえメールで簡単に連絡のつく時代だし、自分は今ひとつ熱心ではないのだがやろうと思えば SNS で簡単につながっていられるということもあるとは思う。
 
とはいっても片づけが中途半端で、おそらく日本語学校にはもう1回は行かないといけないだろう。
図書館のソファーとかテーブルの位置を変えることになっており、男手が必要だということになっているのだ。
 

2011年6月23日木曜日

医賠責の手続き --- 難航中

6/22 (水) 晴れ
 
帰国してからの診療にさしつかえがないようにと、医師責任賠償保険に再加入すべく、現在、手続きを進めようとしている。
昨年の4月から廃業特約に切り替えていたので、もとの医賠責に加入しなおそうというわけだ。
医賠責に加入していることを証明する書類を大学に提出しないと、附属病院で診療ができないというしばりもある。
 
実際の手続きは、日本でヨメさんがやってくれているのだが、なかなか一筋縄でいかずに困っている。
例えば、
・営業時間内にもかかわらず、事務所に電話してもつながらないことが多い。
・担当者あてに伝言を頼んでも、必ずしも伝わらない。
・現時点で廃業特約が継続しているにもかかわらず、5月の時点でもとの医賠責の保険料 40660 円が余分に引き落とされていた。
などである。
 
このように何度も何度も電話をかけ直す必要が生じているわけだが、その事務所は北関東地方の某県県庁所在地にあるため、電話代もバカにならない。 
時間と場所を越えて暮らしに安心を与えるのが保険の役割だと思っていたのだが、今日は太平洋をまたいで、思いっきり不安になってしまった。
 

2011年6月22日水曜日

エレベーターに閉じ込められた

6/21 (火) くもりのち晴れ
 
ひょっとしたらバンクーバーでの自分の仕事を引継いでくれるかもしれない H 先生が、今日、バンクーバーにやってきた。
それで午前中の仕事を大幅に遅刻して、空港まで迎えに行ってみた。
 
以前から彼と彼の家族とは一緒に晩メシでも食べようと誘っていたのだが、今日は逆に彼らからお誘いを受けることになってしまった。
今回泊まっているところがホテルというよりかはコンドミニアムっぽいので、一緒に部屋で食べようとのこと。
確かにそれはいいアイデアだと思い、ワイン片手に出かけて行った。
 
着いてみたら確かにそこはホテルらしからぬところで、管理人がいる豪華なオートロックのマンションといったイメージだった。
困ったことに部屋の番号を聞いていなかったし、ケータイもその時は通じなかったので、とりあえず着いてはみたものの、どうしようもない状態になってしまった。
 
ろくろく相手にされないことは承知の上で、管理人に「H 先生の部屋はどこですか?」と聞いてみた。
向こうもプライバシーに関わることだから、そうやすやすとは教えてくれないだろうとは思っていた。
管理人はパソコンの画面を操作しつつ H 先生の所在を調べながら(調べるふりをしながら)、ここではわからないと言っていた。
 
実際は彼らが客を管理しているわけだから彼らがわからないはずがないわけだが、それをこっちが指摘したところでどうにもならないので、将棋で言うところの「もたれながら指す」方針に徹することにした。
5分ほどああでもない、こうでもないと押し問答しつつ、最後は全体を統括している管理人のところへ連れて行ってもらった。
これでようやく第一関門突破!
 
H 先生のいる建物が別棟だということがわかったのだが、入り口がロックされていて、その中へは入ることも容易ではなかった。
別の客が入る時に一緒について入り(あやしい人みたいだが)、何とかエレベーターのところへたどりついた。
 
ところが、エレベーターの中で彼らのいる階のボタンを作動しても全く反応がないのには困ってしまった。
あとから聞いた話では、住人にあてがわれる無線機のスイッチを押しながらだと、自分の居住階とロビーと駐車場の階に限ってエレベーターのボタンがきちんと反応するとのこと。
 
そんなことは知らないので右往左往していると、別の客が乗り込んできた。
彼らはきっとその無線機を押していたのだろうが、エレベーターはすんなりと動き始めた。
しかし困ったのは最後の客が降りてしまって自分だけが取り残された時で、扉が閉まってからはエレベーターは上がりも下がりもせず止まってしまい、自分だけが閉じ込められてしまったのだ。
 
あの時は本当にあせって、よほど “Emergency” のボタンを押してしまおうか悩んでしまった。
心臓がバクバクするのが自分でもわかり、脂汗が流れてくるのもわかった。
「開」のボタンを押すという発想さえも、頭の中から消えていた。
あと3分、その状態が続いたら “Emergency” を押していたと思うのだが、その時、どこか別の階で操作した人がいたらしく、またエレベーターが動き出した。
 
その後、いったんロビーの階へ戻り、全て最初から仕切り直そうと思っていたら、 H 先生がロビーへ降りてきてくれたことに気がついた。
いや~、助かった~って感じだ。
 
ここはカナダだってことをうっかりしていた。
見知らぬ空間にうっかり入ると大変なことになるのだ。
H 先生と入念な打ち合わせをしなかったのがまずいと言われれば確かにその通りなのだが、日本だとさすがに高級ホテルだろうがコンドミニアムだろうが、エレベーターに閉じ込められることはなかっただろう。
 
何でもいいから早く日本に帰りたいっ!!!!
って、正直なところ、エレベーターに閉じ込められた時は、魂の奥底から叫んでしまった。
 

2011年6月21日火曜日

支部集会の査読

6/20 (月) くもりのち晴れ
 
ずっと前は「地方会」と呼んでいたような気がするのだが、いつごろから「支部集会」と呼ぶようになったのか全く記憶がない。
今年からその支部集会の抄録の査読のシステムが大幅に変わったみたいで、自分のところにも査読の依頼がきた。
 
当然、自分が所属する関東甲信越・東京支部の査読をするのだろうと思ったらそういうわけではなく、北海道・東北から九州・沖縄にいたるまでまんべんなく振り分けられていた。
どの分野を担当するかはあらかじめ決められていて、自分の場合は呼吸だった。
去年のことはよくわからないのだが、今年は演題募集期間も全ての支部で統一されており、システムにうまくのせているような印象を受けた。
 
査読は全てオンラインで行なわれ、5段階で評価を行なう。
採択を推薦する場合は簡単なのだが、リジェクトすべきと思った場合はその理由も書かなければならない。
けっこう大変だ。
 
IARS と異なるのは、この支部集会の抄録では図表が査読の対象になっていないことだ。
長々と文章で結果を述べるよりも、図や表を載せることで一目瞭然となる場合が少なくないのではないかと思う。
その旨を学会に具申したので、来年度以降システムが改善されることを期待する。
 

2011年6月20日月曜日

やはりケータイはカメラつきがよかった

6/19 (日) くもり一時雨
 
テニスのために今日もスタンレーパークへ。
その途中、ダウンタウンで Future Shop の前を通りかかったら、ふだんガラスが張ってあるところにガラスがなく、かわりに木の板でふさいであるのに気づいた。
 
先週の暴動でガラスが割られたあとの、応急処置ということだろう。
板の上には落書きというか寄せ書きがたくさんあり、熱心に読んでいる人たちがいた。
 
こういうのを見ると、記録に残しておきたいという気持ちがいつもウズウズしてくるのだが、いつもカメラを持っているというわけではない。
どうせ1年か2年しかいないのだから、ケータイはプリペイドの一番安いやつでいいと思ったため、当然、ケータイにはカメラがついていない。
写真があるのとないのとでは備忘録としての価値も全然違ってくるわけで、もう今となっては遅いのだが、いつでも写真が撮れるようにカメラつきのケータイがよかったと思う。
 
ついつい引き込まれるおもしろいブログには、写真がたくさん使われているものが多いように感じる。
最近おもしろいと思ったのは、将棋棋士の森信雄七段のブログと、渡辺明竜王の奥さんのブログだ。
一度読み始めると、なかなかやめられない。
 

2011年6月19日日曜日

送別会 @ 日本語学校

6/18 (土) 雨のちくもり
 
ボランティアは来週もあるのだが、ボランティアに配られるランチが夏休み前は今日が最後ということもあり、ふだんお世話になっている図書館で送別会をしてもらった。
みなさんがそれぞれごちそうを持ち寄ってくれて、感謝感謝である。
 
ボランティアを経験することで多くのものを得ることができるが、最も大きいのはやはりいろいろな人との出会いであろう。
柔道の指導の手伝いを経験した時もそうだったが、そうしなければ決して出会うことがなかったような人たちとの出会いがある。
これは、家と病院との単純な往復になりがちな日本の暮らしにおいては、特に重要だと感じる。
 
また、日本語学校では図書館でボランティアをしていたので、本を読む習慣が身についた。
本といえば医学書か語学書ぐらいしか開くことがなかったのは、今思えばかなりマズかったように感じる。
 
有名作家の名前を覚えたのも大きい。
例えば、日本語学校の図書館で最も人気がある東野圭吾のことを全く知らなかったし、その名前を正確に読むこともできなかった。
その頃のことを思い返すと、腋の下を冷たい汗が流れるイヤな感覚が蘇る。
 

2011年6月18日土曜日

ホームページ作成再開

6/17 (金) 晴れ
 
論文は一応たたき台ができ上がり、指導医のチェックを待つばかりとなった。
ところがその指導医が現在、超多忙で、身動きが全く取れない。
来週末からトロントで Canadian Anesthesiologists’ Society の学術集会があり、それに向けて準備にかかりっきりらしいのだ。
http://www.cas.ca/English/Home.aspx
 
というわけで、論文作成はいったん休憩せざるをえないことになった。
あと少なくとも1週間は別のことをしなければならないわけで、それで以前からやりたいと思っていたホームページ作りを始めることにした。
 
正確に言うと作成を「再開」の方が正しいかもしれない。
2009 年の暮れにテキストを執筆していたころ、少しだけホームページ作りに着手したことがあった。
ただその時は Thoracic Anesthesia にしても全く貧弱な知識しか持ち合わせておらず、決して簡単には進まなかったので、いつのまにか放置してしまっていた。
 
現在、作りたいと思っているのはやはり備忘録的なもので、今までの文献検索で得たバラバラの知識を自分なりに整理し、体系化を進めたいと思っている。
インターネット上に公開するのは、いつでもどこでも参照したり情報を追加したりできるようにするためと、微力ながら社会への貢献という意味合いもある。
 
というわけで数日前からチビチビと始めたところなのだが、やはり 2009 年の時点とは知識の量がケタ違いなので、今のところは順調に進んでいるように感じる。
あと1週間ぐらいはこれに集中し、ある程度の体裁は整うようにしたいと思っている。
 

2011年6月17日金曜日

病院は大変だったらしい

6/16 (木) 晴れ
 
昨日、ダウンタウンで暴動があったことを書いた。
今日の CBC によると暴動の規模はここ数十年で最大のものだということなので、前回 94 年よりも激しかったということになる。
 
今回は暴動に加わった人たちがあらかじめ武器や火器を用意していたことが、前回とは大きく異なるとのこと。
計画的だったというわけだ。
100 人以上が逮捕されたと書いてある。
http://www.cbc.ca/news/canada/british-columbia/story/2011/06/16/bc-riot-thursday.html
 
また、今日の午前中のニュースでは、暴動でケガした人たちがたくさんウチの病院に運ばれてきたとのこと。
中にはかなり重篤な人も含まれているらしい。
 
たまたま昨日は UBC の麻酔学・薬理学・治療学 (Department of Anesthesiology, Pharmacology, & Therapeutics) 全体で、1年に1度のリサーチの発表会があった。
薬理学の基礎的な研究の発表があったり、麻酔学に関してはレジデントが中心になって発表するというものだ。
 
夜は打ち上げや表彰式のようなものがあって、多くの麻酔科医はそっちに参加していたと思う。
いくらウチの病院に麻酔科医が 50 人以上いるとはいっても夜は手薄になっているわけで、ケガ人が大量にかつぎこまれる中でさぞかし大変な夜を過ごしたのではないかと思い、同情を禁じえない。
 

2011年6月16日木曜日

ダウンタウンで車が炎上

6/15 (水) 晴れ
 
今日はホッケーのプレーオフ決勝の最終戦があり、地元カナックスがボストンに敗れた。
1994 年にも同様に決勝で敗れたことがあったそうで、その時に暴動が起こったことは人々の印象に強く残っているようだ。
ウチの大家さんも友人の M 君も、このことになるとまるで昨日のできごとのように熱く語ってくれる。
 
というわけで、今日も負けたら暴動が起こるんだろうか・・・と思っていたら、本当に負けてしまった。
ダウンタウンに出かけていた店子の A 君によると、車が4台燃えていたとのこと。
 
そこでインターネットで調べてみると、う~ん、確かに車が燃えている。
これから何十年経っても、今日のことは人々の間で語り継がれることだろう。
 
冬季オリンピックの時はカナダが勝っていたということもあり、平和なムードが漂っていた。
サッカーでもそうなのだろうが、ホッケーでは概して国際試合よりもクラブチーム同士の試合の方が、サポーターや群衆が熱くなるものらしい。
 

2011年6月15日水曜日

吐血しましたぁ

6/14 (火) くもり
 
朝食を済ませ歯を磨き、口の中をゆすごうとした時、のどに小さな異物があるのに気づいた。
のどから口の中へ出したいのだが、ずいぶん奥に進んでいるらしく出てこない。
 
咳をしたりオエーッとやってもダメだったのだが、その時のどの奥に液体らしいものが・・・。
流しにペッとやったら、流しが真っ赤に染まった!!!!
推定出血量は、おそらく 20 cc のシリンジ1本分ぐらいだと思う。
 
精神的ショックは大きかったが、血はけっこう早く止まった。
口の中は切れていなかった。
異物が何だったのか全然わからないのだが、のどの刺激が小さくなったことからすると、食道に進んでいったらしい。
 
歯の詰め物かもしれないと思ったが、鏡で見てもよくわからない。
実際、自分で上の歯の詰め物をチェックするのは難しいので、病院では秘書さんに詰め物の具合を見てもらい、帰宅後は大家さんにも見てもらった。
懐中電灯を使ってみても、明らかに落ちた形跡はない。
 
コーヒーを飲んだりマフィンを食べたりしている時は、異物には全く気がつかなかった。
歯磨き粉に何か入っていたとは考えにくいし、あとは水道水だろうか・・・?
 
それでカナダの水道事情をチェックしてみると、Environment Canada (ということは環境省か?)のホームページに、廃棄物がよく混ざってますので気をつけましょうね・・・みたいなことが書いてあった。
http://www.ec.gc.ca/eau-water/default.asp?lang=En&n=E86BC86A-1
 
飲み水にガラスか金属片が混ざっていたのだろうか?
配管の異常ということもあるのかもしれない。
http://members3.jcom.home.ne.jp/suimokudo-06/ijoutaisaku.htm
できる範囲で用心するぐらいしか、対策はないのだろう。
 

2011年6月14日火曜日

メタ解析は大変

6/13 (月) 雨のちくもり
 
夕方、共同研究者の D 先生が部屋に訪れ、「"Masui” をオンラインで読むことはできるのか?」と尋ねてきた。
アブストラクトのことだろうと思い、それなら PubMed で読めるはず・・・と思ったのだが、彼は全文が必要なのだと言う。
 
“Masui” は本文はもちろんのこと、確か図も表も全て日本語だったはずだが、D 先生はそれも承知の上で手に入れたいとのこと。
理由はよくわからないが、メタ解析を行なうにあたってあらゆる言語の文献を入手しようとしているらしい。
 
日本語の文献を手に入れようとしているということは、当然、ドイツ語やフランス語、中国語も視野に入れているのだろう。
ご苦労なことだな~と、思ってしまう。
 
UBC の図書館経由でオンラインで「麻酔」を読むことはできなさそうだとわかった D 先生は、著者に直接連絡を取ろうとしていた。
関東地方の某大学附属病院麻酔科の某先生が、すみやかに電子媒体の論文を送ってくれることを祈るばかりだが、もしダメなら医学文献検索サービスなんかを利用することになるのかもしれない。
 

2011年6月13日月曜日

またもや停電

6/12 (日) 晴れ時々くもり
 
日曜日の朝は比較的ゆっくり起きて、遅めの(とは言っても8時ごろだが)朝食をとるようにしている。
朝メシの後でトイレに行こうとして廊下の電気を点けたら、一瞬点いた後にすぐ消えた。
 
日本のわが家でもこういうことが時々あるので、すぐに電球が切れたものだと思い込んでしまった。
ところが廊下のもう一方の明かりを点けようとしても点かないし、自分の部屋の電灯も消えているのに気づき、この時点でようやく停電だということがわかった。
 
ここではしばしば停電が起こることは以前にも書いた。
たいていの場合はすぐに復旧するので、昨日図書館で借りてきた「新ゴーマニズム宣言・第2巻」を外の陽射しを頼りに読みながらじっと待っていたのだが、一向に直る気配がない。
 
結局、1時間も待っただろうか、がまんの限界に達したのでトイレへ。
前にも書いたが自分の居場所は半地下にあり、トイレも半地下なので真っ暗だ。
一軒家にもかかわらず、昼間に真っ暗なトイレで用を足さざるを得ないというのは、バンクーバーならではだろう。
停電が多いのは、70 年代の日本を思い起こさせる。
 
午後はいつものようにスタンレー・パークへ。
先週の火曜日に少しつかんだみたいで、ボレーの調子が良かった。
 

2011年6月12日日曜日

ボランティア残りわずか

6/11 (土) くもりのち晴れ
 
夕方6時ごろからいつもの公園一周のコースを走り始め、タイムは信号待ちの時間をのぞいて 36 分 20 秒だった。
シャワーを浴びてから大河ドラマのビデオを観つつ、ビールを2本飲んだ。
 
大家さんは親戚の子供の誕生日パーティーのために出かけていなかったが、キッチンや冷蔵庫にある物は何を食べてもいいことになっているので、夕食のほかに冷蔵庫から残り物を適当に引っ張り出して、チンしてビールのつまみがわりに食べた。
走って汗かいてから飲むと、ビールが最高にうまい。
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今日も朝から日本語学校のボランティアへ。
もうすぐ学校自体が夏休み体制に入るので、ボランティアも残りわずかということになる。
たぶんあと1回か2回といったところだと思う。
 

2011年6月11日土曜日

混みあうダウンタウン

6/10 (金) くもり
 
英会話クラブから日本語ボランティアに来てほしいと昨日電話があり、今日はダウンタウンまで出かけてきた。
今日もダウンタウンに巨大スクリーンが設置され、スタンレー・カップの中継が行なわれることから、ダウンタウンはとても混んでいた。
 
先週の土曜日はグランビル・ストリートにスクリーンが設置されていたが、今日はそこには見当たらなかった。
交通の妨げとなるので、別のところに移動したらしい。
 
今日はカナックスが勝ち、これで3勝2敗となった。
野球の日本シリーズや将棋の名人戦と同様、先に4勝した方が勝ちなので、あと1勝すればいいわけである。
http://www.cbc.ca/sports/hockey/stanleycup/story/2011/06/10/sp-bruins-canucks-gm5.html
 
日本シリーズと違う点として、移動がはげしいことを挙げることができる。
日本シリーズでは確か、2回戦って移動し、3回戦ってもう一度移動だったと思う。
人から聞いた話なのであまり自信はないが、スタンレー・カップでは2回戦って移動し、さらに2回でまた移動、あとは1回ごとに移動するらしい。
交通費がかさんで大変だ・・・などと、どうでもいいことが心配になってしまう。
 

2011年6月10日金曜日

IF 関数でのあいまい検索

6/9 (木) 晴れのちくもり
 
論文を書く時はいつもそうなのだが、考察を展開するのにいつも苦しむ。
今書いている論文も考察以外はほとんど書き終えており、現在は毎日ちびりちびりと考察を増やしているところだ。
 
今日はちょっとした思いつきから、全対象患者に占める癌患者の割合を調べてみることにした。
癌患者の場合にはエクセルの病名欄には “ cancer” もしくは “carcinoma” と入っているので、まず “ca” が入っているセルを拾い上げることにした。
 
具体的には病名の横に行を一つ新たに設け、病名欄に “ca” がある場合はそこに “1” が記入されるようにしたいと思った。
それで、そのセルに “=IF(B7=”*ca*”,1,””) のように打ち込んで列方向に広げてみたのだが、どのセルも “ca” を認識していないらしく、全て空欄となってしまった("*” はワイルドカードとして利用した)。
 
何度くりかえしてもだめだった。
こういう時に限って、手元に参考書がない。
 
それで絶望的な気分になりながらネットで検索してみたのだが、適当なのを見つけるのになんと2時間近くかかってしまった。
いや~、今日も思いっきり、時間を浪費してしまった。
http://www.relief.jp/itnote/archives/001133.php
 
このサイトによると IF 関数を使ってワイルドカードを用いたあいまい検索はできないとのことで、かわりに COUNTIF 関数を使えばよいとのこと。
自分の誤りが、IF 関数を使えるようになった人にありがちな誤りとして紹介されていた。
 
また、今回の問題解決には直接関係はなかったが、まるでエクセルの参考書のようなウェブサイトを偶然発見したので、備忘録に残しておきたい。
http://www.eurus.dti.ne.jp/~yoneyama/Excel/Exl-_zen.htm
エクセルの初歩から VBA 関数までおさえてあり、しかもウェブサイトの構成がとても美しい。
 

2011年6月8日水曜日

さらに爪がはがれた

6/7 (火) くもりのち晴れ
 
先日、テニスのお誘いを受けたことを書いた。
それで今日は仕事のあとで、スタンレー・パークに出かけてきた。
照明設備があるわけではないのだが、とにかく日照時間が長いので、午後9時ごろでも十分にボールを追えるぐらい明るい。
 
自分以外の3人は全て女性で、1人は自分と同年代だろうと思うが、あとの2人は明らかに年上だった。
その年上の女性のうちの1人は、自分が到着する前にすでに1時間ほど別のグループとテニスをしていたらしく、かけもちということらしい。
すごいエネルギーだ。
「オレのメシも用意せずにテニスとは何ごとだ~!」って叫ぶようなダンナさんがいないのだろうかと、ふと考えてしまう。
 
同年代の女性は明らかに自分よりもうまかったが、あとの2人は自分とほぼ同じスキルだったと思う。
それでもダブルスになると勝負はわからないもので、組み合わせにかかわらずほとんど全てのゲームが接戦で盛り上がった。
 
ボレーの時にまた爪をはがしてしまい、今度は先日とは逆側の第Ⅰ趾の爪が黒くなってしまった。
これで左の第Ⅰ・Ⅱ趾、右の第Ⅰ趾の爪が真っ黒になったというわけだ。
爪がポロリと落ちるのは、秋に復職するよりもあとになるだろう。
 
3人と別れてから、久しぶりに Thurlow のマクドナルドへ。
ここはバンクーバーに住み始めてから、最初の夕食を食べたところだ。
あのころは ”For here or to go?” と訊かれても、まずそれを聞き取ることができなかったし、マクドナルドでの “meal” が何を意味するのか知らなかったし、side salad を選んだつもりで別に大きなサラダを注文してしまうというような事件もあった。
 
今はセットメニューを頼むと店員が自動的にポテトを入力するということを知っているので、それをサラダに変えさせるというようなこともできるようになった。
毎日の決まった生活の中で自分の英会話力が伸びたと感じることはまずないのだが、ふとした瞬間に以前はできなかったことができるようになったと感じることがある。
 

2011年6月6日月曜日

テニス仲間(?)できましたぁ

6/5 (日) 晴れのちくもり
真昼間にテニスして、けっこう日焼けした。
 
「テニス仲間ができた」などと書くと、バンクーバーに住み始めてからもうすぐ2年経つことになるから、それなりに英語もできるようになって、友達も増えてきている・・・などと思われてしまうかもしれない。
そういう面が全くないとは言わないが、自分としてはむしろ、テニスのマージャンに似た一面を発見したことを、ぜひ備忘録に載せておきたいと思った。
 
今日はいつものようにスタンレー・パークに行って準備体操みたいなのをしていたのだが、遠くから自分を呼ぶ人たちがいるのに気がついた。
どうもこれからテニス・ドリルに参加する3人が自分を呼んでいたみたいだったのだが、遠くから英語で呼びかけるので、何を言っているのかよくわからない。
 
近づいて行くと、一緒に隣のコートでウォーミング・アップをしようとのことだった。
断る理由もないし一緒にくっついていって、10分ほどショート・ラリーを楽しんだ。
テニスは英語が不自由でも関係ないので、なんか気が楽だ。
 
今日は快晴で2時間のドリルでけっこう消耗したのだが、帰り際にも平日夜(とは言っても太陽は高い)のテニスのお誘いを受けた。
先ほどと同様に、最後の1人を探していたらしい。
身体を動かすのは嫌いじゃないので、天気は良くなさそうだが行くことにした。
 
なんか全然脈絡がないのだが、学生の時にマージャンの最後の1人としてしつこく誘われたことを思い出してしまった。
「役なんかできなくていいし、点数も数えられなくてもいい。とにかくツモって捨てるという繰り返しさえすればいいんだから・・・」
などと乱暴なことを言われ、解剖の講義をさぼって無理やり連れて行かれたことを思い出す。
 
「英語はしゃべんなくてもいいし、スコアも数えなくてもいい。とにかくダブル・フォルトさえ連発せず、自分のそばにボールが来たら適当に打ち返してくれればいいから・・・」
などと、そこまで乱暴なことはさすがに言われなかったが、それに近いものはあるような気がしてならない。
日本では名前もよく知らない人からテニスのお誘いを受けたことはなかったが、こっちではよりフレンドリーで、とにかく頭数を揃えようとするためならあまりよく知らない人を仲間に引き込むことも厭わないようだ。
 

2011年6月5日日曜日

ビールとピザで映画鑑賞

6/4 (土) 晴れ
 
日本語学校でのボランティアのあと、テニスウェアパンツを買いにダウンタウンへ。
スタンレーカップ決勝第2戦のため、巨大スクリーンの置かれたグランビル・ストリートはものすごい人ごみだった。
http://www.cbc.ca/news/canada/british-columbia/story/2011/06/04/bc-canucks-vancouver.html
 
スタジアムに入りきれない人たちが、路上で観戦するということらしい。
店子の A 君も、第1戦の時は出かけていた。
 
今日は大家さんが泊まりにいっておらず、A 君も出かけていなかったので、一人で映画でも観ながらピザをオーブンで焼くことにした。
缶ビールを4本冷やしてからいつもの公園を1周ジョギング(37分56秒)し、十分汗をかいたところでビールを飲んだ。
 
夕方6時過ぎに走り始めたのだが、夏至近くのために4時ぐらいの感じがした。
実際、10 時を過ぎてもまだ空が少し明るい。
ネコのブーツも8時を過ぎないと帰ってこなかった。
 
映画は「硫黄島からの手紙」を観たのだが、Desperate Housewives に出てくる俳優(マーク・モーゼス)が出ていたので驚いた。
「プラトーン」や「7月4日に生まれて」といった他の戦争関連の映画にも出演している。
 

2011年6月3日金曜日

古典講座 @ 日本語学校

6/2 (木) 雨
 
今日は病院を大幅に遅刻することにして、日本語学校の古典講座に出かけてきた。
以前からお誘いはいただいていたのだが、平日の真昼間から仕事をさぼるのは気が引けたので、ずっとお断りしていた。
 
しかし日本語学校がまもなく夏休みに入るため、今日が休み前の最後の古典講座ということ。
最初で最後のチャンスだと思い、出席させてもらった。
 
教材は万葉集の恋の歌で、
「帰りける 人来たれりと 言ひしかば ほとほと死にき 君かと思ひて」
というもの。
狭野弟上娘子(さののおとがみおとめ)の歌で、(禁じられた仲らしいのだが)恋人である中臣宅守(なかとみのやかもり)を想って歌ったものだそうだ。
 
「ほとほと死にき」というのは「死ぬかとばかりに」という意味で、島流しになった人が戻ってきたというのを聞いて宅守かと思って、死にたくなるほど嬉しくなった(けれど人違いだった)というもの。
「ほとほと」というのはおそらく、現代の「ほとほと愛想がつきた」とか「ほとほといやになった」と同様の使い方なのだろう。
 
講座のあとは先生方や理事の方たちと、医療、政治、震災のことなどいろいろお話し、気がついたら5時間以上お邪魔していることに気がついた。
食事をしたりした部屋が、初めて日本語学校に行った時に面接を受けた部屋だったことを思い出した。
 
カナダではちょっとしたボランティアをするのにも面接が必要だというのに面食らったものだが、それ以上に、何か大事件が起こったらとにかくここに駆け込めば助けてもらえそうだと思ったことを思い出す。
今ではこちらの生活にだいぶ慣れたが、当時はまわりが外人だらけで(本当は自分が外人だが)、とにかく本当に心細かった。
 

2011年6月2日木曜日

さらにデータ収集へ

6/1 (水) 晴れのちくもり
 
以前集めたデータをもとに、論文を書き始めたことはすでに書いたと思う。
今日はあと考察を書き上げれば完成・・・というところまで来た。
 
しかしいざ考察を書こうとしてデータを再度検討してみると、もう少し詳細なデータが必要だということに気がついた。
ほんの 80 人分ぐらいなのだが、また診療録を請求して診療録保管庫通いをしないといけないような気がしている。
 
今日は銀行でトラベラーズ・チェックを換金し、大家さんに4週間分の家賃を支払った。
計算してみるとまるまる4週間分支払うのはこのあと1回だけなので、銀行に預金がまだいくらかあることを考えると、もう今後はトラベラーズ・チェックを換金する必要はなさそうだ。
また一歩、ゴールに近づいたような気がする。