2011年2月28日月曜日

屋根裏のリス

2/27 (日) くもりのち雨
昨日の雪は 10 cm ほど積もり、朝起きた時はあたり一面が雪で覆われていた。
 
日本ではあまり見ないが、こちらには屋根裏部屋のある家は多いようだ。
ウチにも「部屋」ではないのだが屋根裏があり、どうもリスが住みついているらしく最近ひどくやかましい。
 
毎年冬には屋根裏にリスがどこからか来るらしいのだが、今年は特にうるさいとのこと。
ここでは野生動物を人間が勝手に殺すことは許されないので、専門業者に駆逐を依頼することになる。
最低でも一回 370 ドルかかるとのことだった。
 
ダウンタウンに住んでいた時に初めて身近にリスを見たときは感動したものだが、地元の人たちの感覚は少し違うらしい。
特にゴミ捨て場にウロウロしているリスは、ドブネズミと同様に汚いものとして見ているフシがある。
 

2011年2月27日日曜日

また雪が降った

2/26 (土) くもりのち雪
 
2月も終わりに近づいているというのに、このところ寒い日が続いている。
今日はずっと氷点下で、10時ごろから雪が降り出した。
夕方になってもやむ気配はなく、夜になっても降り続いているもよう。
 
去年の今頃はすでにもう暖かく、オリンピック期間中だというのに雪が降らずに困っていたものだ。
今年はすっかり冬に戻ってしまったようで、充電式カイロと手袋は手放せない。
特に今日は、日本語学校のヒーターが壊れており、本当に寒かった。
 
研究はデータ整理を現在行なっており、D 先生の統計ソフトに合わせてデータの形式を多少変えているところ。
本で多少得た関数の知識をもとにエクセルのデータをいじっているが、一日中エクセルと向かいあっていると、疲労のためかスプレッドシートの格子模様を見るだけでめまいに似た感じがしてくる。
 

2011年2月25日金曜日

Everolimus

2/24 (木) 晴れ
 
大家さんが末期癌患者にはワンダー・ドラッグが効くと言っていたので、詳しい薬の名前を調べてもらった。
一般名は Everolimus で商品名は Afinitor というのだそうだ。
 
どんな癌にでも効くらしいが、めちゃくちゃ高いらしい。
詳しい値段は忘れたが、1ヶ月服用すると5~6千ドル程度だったように思う。
 
もともとは免疫抑制剤で、臓器移植後に投与される薬である。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%83%99%E3%83%AD%E3%83%AA%E3%83%A0%E3%82%B9
しかし最近は各種癌への投与が行なわれるようになっている。
中でも腎癌への投与に関するペーパーが多い。
http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/21129605
 
癌の増殖、成長、血管新生の調節因子である mTOR (mammalian target of rapamycin) を持続的に阻害することで、腫瘍細胞の増殖抑制と血管新生阻害を行なうことが、エベロリムスの作用機序と考えられている。
転移性腎細胞癌に対する有効性は、すでに臨床試験で確認されているとのこと。
 

2011年2月24日木曜日

肺移植講演会

2/23 (水) 晴れ
夕方はひどく冷え込み、気温は0℃まで下がった。
 
水曜日朝恒例の講演は、肺外科医による「末期肺病変に対する手術療法」というタイトルで行なわれた。
実際は肺移植に関する話が全体の9割以上で、残りの1割弱が Volume reduction surgery や Endobronchial valve などの別の術式の話だった。
 
以下に、講演内容のメモ書きを箇条書きにしておく。
 
・肺移植術は 1980 年代に始まった、比較的新しい手術療法。
 
・肺移植の効果を評価したり適応を決めるための手段として、手術した場合の生存率と待機期間中の生存(死亡)率を比較するらしい。それによると COPD 患者が肺移植を受けた場合の死亡率は待機中よりも高いらしく、肺移植を行なううまみがないとのこと。
 
・BC 州では年間 15 件程度の肺移植がある。2004年以後の1年生存率は 90.1 %(それ以前は 70~80 %程度だったように思う)と上昇傾向にある。
 
・Double lung Tx が増える傾向にある。
 
・ドナー全体の15~20 % しか肺移植に用いられていない。ドナーが気管挿管されて人工呼吸を受けるうちに、VAP を起こしたりして使えなくなるそうだ。
 
・ドナー不足を克服するために、(脳死ではなく)心臓死患者の肺が使われるようになっている。成績は決して悪くないとのこと。さらにドナー肺を最適化するために、ex-vivo で灌流する試みが行なわれている。
 
・レシピエント側の問題で手術がうまくいかない因子として、高齢、肥満、DM、ECMO 中、などが知られている。
 
・Endobronchial valve についてはウィキペディアに図入りで解説が載っており、まあまあわかりやすい。
http://en.wikipedia.org/wiki/Endobronchial_valve
 

2011年2月23日水曜日

共同研究者との話し合い

2/22 (火) 晴れ
 
とりあえずデータが全て揃ったということで、supervisor の J 先生のほかに統計やデータ分析で力を貸してくれる D 先生と話し合いをした。
D 先生が加わるのは初めてなので J 先生が D 先生へアウトラインを説明してくれたのだが、まずそこで J 先生が研究の背景を正確には理解していないことに気づいてしまった。
 
以前もこのブログに書いたことがあったが、熱心な共同研究者や指導者が必ずしも研究を正確に理解しているとは限らないとつくづく感じることがある。
逆に、話し合いの場を持つことによって、理解にずれがあるまま仕事を進めずに済むという言い方もできるだろう。
お互いにわかったような顔をしているのではだめで、たとえ面倒でも時々は確認作業が必要だ・・・ということをバンクーバーで学んだ。
 
自分もそうだが J 先生が混沌とした臨床の中で生きているタイプなのに対して、D 先生はちょっと次元の違う切れ者というイメージがある。
現に彼は大学において高い職位にあり、先日の勉強会では Intensive Insulin Therapy について格調の高い講演を行ない、喝采を浴びていた。
 
今日はその D 先生にかなり手間ヒマのかかる難易度の高い宿題を課せられてしまい、ちょっと困ってしまった。
単に面倒だというわけではなく、それをする意義が見えてこないのである。
指導される立場の時にしばしば直面する、「なぜこれをしなくちゃいけないのかがわからない」状況だとも言えるだろう。
 
言語の問題もあって、自分が D 先生の言い分を正確には理解していないということはあるのかもしれない。
近いうちにもう一度話し合いがあるので、それまでにこちらの考えをまとめておこうと思っている。
 

2011年2月22日火曜日

Microwave

2/21 (月) くもりのち雨 一時雪
まだ、カナダの電子レンジのことについて書いていなかった。
 
病院の2階のフードコートには、レンジが3台置いてある。
1年目は City Square に昼食を食べに行くことが多かったが、2年目は前日の夕食の残りを持って行くようになり、昼はいつも病院のレンジを使っている。
 
この3台のうち1台はレジの近くに、2台は離れたところに置いてある。
レジに近いのは直感的に使いやすい作りをしているのだが、残りの2台は慣れるのに時間がかかるようなデザインである。
ひょっとしたら、業務用なのかもしれない。
 
1から 10 ぐらいまでのボタンが並んでいるだけで、どれをどう押すのかがあらかじめわかっていないと使えないようになっている。
自分はいつも2分半加熱してチリチリにするので、「8」のボタンをまず押し、そのあとでスタートボタンを押す。
「8」のところに「2分半」って書いていないところが不親切だ。
 
初めてこれを使う人たちは、いつもたいていまず「プログラムボタン」を押しているようだ。
それでは決してうまくいかないので、かわいそうだから使い方を教えてあげることになる。
するとおもしろいもので、知らない人ともお互いの弁当のオカズなどを話題にして話が盛り上がることがある。
 
加熱している間はヒマなので、いつも図書館から借りた本を読んでいる。
するとほんのたまになのだが、流暢な日本語で「日本人?」と訊かれたりして、知り合いができることがある。
ちょっとした社交場のようになっている。
 

2011年2月21日月曜日

ブログ改装しました

2/20 (日) 晴れのちくもり
 
午前中は気温が氷点下と低く肌寒い感じもしたが、あまりにも天気がいいので Queen Elizabeth Park へ散歩しに行った。
その時にノースバンクーバーの山々を写真に撮ったので、ブログの写真を入れ替えることにした。
 
長いこと雪に覆われた街の景色をヘッダーに載せていたが、実際に雪がたくさん降ったのはあれっきりで、ふだんのバンクーバーには雪はこれっぽっちもない。
実情に合わせた写真に入れ替えたというわけだ。
 
ついでにカレンダーを入れ替え、さらに以前からほしかったカウンタを導入した。
カウンタは今回初めて見つけた。
新しいガシェットのようだ。
 
今日のインドア・テニスは試合形式中心で、走りまわったためにとても息が切れた。
サン・ランに向けて、いいトレーニングになったかもしれない。
インドア・テニスのボールはブヨブヨであまり飛ばないので、けっこう思い切り打っても簡単にアウトにはならないところがいい。
ストレス解消になる。
 

2011年2月20日日曜日

Spanish restaurant

2/19 (土) 晴れ
 
めずらしく一日中晴れてはいたが、気温が低く肌寒かった。
夕方から久しぶりに M 君とメシを食いに出かけた。
年末に教会のイベントに誘ってもらって以来なので、2ヶ月ぶりになる。
 
Commercial Drive Station で待ち合わせ、Millenium Line に乗って隣の Renfrew Station へ。
そこから5分ほど歩いてスペイン料理の店に行った。
 
何を食べたかメモしておけばよかったのだがメモするのをすっかり忘れてしまい、ほんの数時間前のことだが今となっては記憶がおぼろげだ。
お好み焼きみたいなのにサルサと野菜をのせて食べたり、ちまきのような笹にくるまれているチキン料理を食べた。
 
こういう全く何の役に立たない情報をインターネット空間に流すことに一抹の後ろめたさを感じないわけではないが、かといって他に書くことも思い浮かばないので、とりあえず今日のところは日記がわりに載せておくことにする。
 

2011年2月18日金曜日

エクセル関数を学ぶ

2/17 (木) くもりのち雨
 
とりあえずデータ収集は終えたものの、データ解析までにはまだ道のりが険しいことに気づいた。
データが統計処理にふさわしい状態になっていないのだ。
 
たとえば右肺全摘を受けた患者の情報として「右」と「肺全摘」が重要だとしたら、エクセルの2つの列にそれぞれ “R” と “P” (P は “pneumonectomy” の意味)とでもしておけばよかったのだが、遠い未来を見渡すことのできなかった愚かな自分は “R) pneumonectomy” と一つのマスに書き込んでしまったのだ。
 
ここから、”R” と “P” の情報を取り出すにはどうすればいいか?
日本で買ってわざわざ持ってきた「メキメキ上達! エクセル関数ワザ 100 (日経 PC 21編・日経ビジネス人文庫)」によると、LEFT 関数を使うことで「左から○文字を取り出す」ことができるとある。
またひとつ賢くなった!
 
全てこんな調子で、今日はエクセル関数の本にお世話になりっぱなしだった。
以前、患者モニターから A ラインの波形を取り出して PPV をパソコンで解析した時に、エクセル VBA の本と毎日にらめっこしていたのを思い出す。
 
しかし悲しいもので、今や VBA のことは何も覚えていない。
英会話と同じで、コンピュータ言語も使わないとどんどん忘れてしまうのだ。
そうは言っても当座の問題解決にはエクセル関数は必要なので、「どうせ将来忘れてしまう」などというネガティブな発想はわきに置いて、とりあえず必死に取り組むことにする。
 

2011年2月17日木曜日

データ収集終了

2/16 (水) 雨のちくもり
 
去年の4月に始めた診療録からのデータ収集が、ようやくなんとか終わった。
http://anesthmemorandum.blogspot.com/2010/04/blog-post_24.html
なんだかんだで、10 ヶ月もかかってしまった。
 
夏に換気扇の使い方を教えてくれた診療録保管庫のオバさんが、冬には蛍光灯の修理を手配してくれたりと、いろいろなことがあったけれどまあとりあえず一段落。
このまま無事にデータ解析が進めば、もう2度と行くことはないのだろう。
今はそのようにうまく行くことを願うばかり。
 
明日はブラジル人の店子の最後のディナー。
一応気を利かせてワインを買ってきたのに、ブラジル人が先に買ってきており、赤ワインが2本も揃ってしまった。
 

2011年2月15日火曜日

サン・ラン エントリー 再び

2/14 (月) 雨一時くもり
 
懲りずに今年も Vancouver Sun Run にエントリーしてしまった。
してしまった・・・とちょっと弱気なのは、ぜい肉がいまだに全然落ちていないから。
現時点では 10 キロ走り通す自信はない。
 
たぶん去年の今頃とくらべると、7~8 キロは重いと思う。
去年はなにしろ買い物に行ったり食事を作ったり、外食することさえおっくうで、腹が減らない限りは何かを口に入れるということはしなかった。
つねにズボンがゆるゆるだったし・・・。
 
激しいスポーツもここのところしていない。
インドア・テニスは楽しいしストレス発散にはなるが、体脂肪を燃焼したと実感するところまではいかない。
 
3月の上旬でインドア・テニスが休みに入るので、その時にスタンレー・パークを何回か走れるようにしたい。
タイムは意識することなく、脂肪の燃焼と完走を目標にしようと思う。
 

2011年2月14日月曜日

IARS の査読終了

2/13 (日) くもりのち晴れ
 
IARS のアブストラクトの査読を今年も依頼された。
去年までの記録を残していないので正確なことはわからないが、今年は査読を担当するアブストラクトが3つのカテゴリにまたがって 23 個もあり、例年よりも多いような気がした。
 
先々週あたりから査読できたはずなのだが、リフレッシャー・コースのテキストの締め切りに追われてしまい、実際にはじめたのは先週の途中から。
それでもチビチビとこなし、ようやく今日全部終わらせることができた
 
今年はバンクーバーで行なわれるのでぜひ参加したかったが、麻酔科学会学術総会とほとんど同じ日程なのであきらめた。
5月下旬のバンクーバーは気候がそんなに悪くないはずなので、観光を十分堪能することができるはずだ。
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ウェブメールで困った件では、大学医局の先輩からのメールで解決することができた。
POP3 の設定云々が自分の力量を越えていたがために、独力ではどうしようもなかったというのが ”事件” の真相だったようだ。
 

2011年2月12日土曜日

メールシステム移行

2/11 (金) くもりのち雨
 
大学のメールシステムが変更になり、ふだん使っているウェブメールがずいぶん変わった。
いろいろな機能が増えたようだが、とても困ったことに、今ごろになって学外から古いシステムにはアクセスできないようになっていることが明らかになった。
 
自分が最終的にメールをチェックしてからシステム変更までにかなりの時間差があるので、古いシステムに重要なメールが届いているというのは十分にありうることだ。
論文提出に関する問い合わせや他の研究者とのやりとりは、全部大学のアドレスを使っているので。
ほんの一瞬だけでも受信箱がのぞければそれでいいのだが、大学はバンクーバーからのアクセスを受けつけてくれない。
 
問い合わせというかお願いのメールを何度も送ろうとしているのだが、「宛先情報が正しくないため、送信できませんでした」というエラーメッセージが表示されるだけで全くうまくいかない。
数日前に問い合わせた時はすぐに返事が来たので、宛て先が間違っているはずはないのだが・・・。
 
問い合わせに困るもう一つの理由は、どこの誰が担当者だか全くわからないことだ。
システム変更に関するお知らせメールには、名前はもちろんのこと部署さえも書かれていない
太平洋をはさんだこっち側で、何もできずに途方にくれるばかり。
 

2011年2月10日木曜日

山のような診療録

2/9 (水) 晴れ
 
診療録からのデータ収集が、いよいよ最終局面を迎えている。
現在はデータの欠けた部分を埋めるべく、前に手に入らなかった診療録を再度チェックする作業を行なっている。
 
先週、肺移植を受けた患者の診療録の閲覧を申し込んだ。
今朝、診療録置き場に行ってみたら自分の棚は空っぽだったので、まだ届いていないのかと一瞬がっかりしたが、かわりにメモが貼り付けてあり、それには「テーブルの上にチャートあり」と書いてあった。
 
視線をそっちに移すと、そこには大量の肺移植の診療録が!
少なくとも 100 冊はあったと思う。
「未知との遭遇」で主人公が家の中にガラクタを積み上げて茶色い山をこしらえていたが、まさにそんな感じだった。
 
確認する項目はほんのわずかなので、診療録の一部だけ見たいと伝えてあったのだが、一部だけ取り寄せることはできないと担当者に言われた。
その理由として、どこか診療録を保管してある場所が別にあって、そこと診療録のやりとりをちょっとするだけでお金がかかるので、全体をチェックした上で一部の閲覧を許可すると手間もお金もかかるから・・・といったようなことを言っていたような気がする。
 
データ収集は思ったよりも時間がかかってしまい、もう2月も 1/3 が終わろうとしている。
どんなに遅くても2月下旬には、データ解析を始めたいと思っている。
 

2011年2月9日水曜日

文献整理(管理)ソフト --- やっぱり必要

2/8 (火) 晴れ
 
2009 年の 11 月、テキストの執筆をしていたころ、文献を載せるのがあまりにもたいへんで音を上げたことがあった。
それからしばらくして、大量の文献を扱うということがなくなったので、すっかりそのことは忘れてしまっていた。
 
ところが最近、リフレッシャー・コース用のテキストの締め切りに追われるようになり、また文献整理がつらくなってきた。
今から文献整理用のソフトをインストールしていたのでは絶対に間に合わないので、テキストを提出するまではなんとかこのまま粘ろうと思っているところ。
 
論文でもテキストでも、概ね引用文献が 50 以下だと文献整理ソフトの必要性は感じないように思う。
50 を超えると突然苦しくなる。
途中でパラグラフを削除しただけでその後の文献番号が全部ずれるし、さらに変更が1ヶ所加わっただけで、もう人間の手作業では限界に達してしまうように感じる。
 

2011年2月7日月曜日

トラブルがあるとおぼえる

2/6 (日) 雨
 
バンクーバーは公共交通機関が発達しており、たいていのところならバスと電車とシーバスの組み合わせで行ける・・・と思う。
したがってバスのルートは複雑に組み合わさっており、しかも困ったことに時々突然変更される。
現在のルート ↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓↓
http://www.translink.ca/~/media/documents/schedules_and_maps/transit_system_maps/december2010/entire_system_map_effective_dec_2010.ashx
 
病院に行くにしろ日本語学校に行くにしろ、ふだんは同じルートしか使わないので地理に詳しくなるということは特にない。
ところが、いろいろな災難は突然襲ってくるもので、そういうトラブルがあるとそれを解決するために情報をいやでも得ることになる。
 
以前は日本語学校に行くのに #20 ビクトリアのバスを使っていたのだが、最近、#8 フレーザーを使った方が格段に早いということを知った。
それで今日はインドア・テニスからの帰りにあえてカナダ・ラインを使わずに、お試しで#8 フレーザーを使ってみることにした。
 
ところがダウンタウンでの #8 のバス停はうろおぼえだったので(実際はシーモアとコルドバの角みたいなのだが)、メインまでとりあえず #20 で行ってそこから #8 に乗り換えることにした。
実際、メインまで行ってみると、なぜか今日の昼間だけ(たぶんチャイニーズ・ニュー・イヤーのパレードのため)#8 がメインを走っておらず、しかたなく #20 で帰ることにした。
 
ところがさらに困ったことに、その後乗った #20 はいつのまにか行き先を変えてバスのたまり場 (Kootenay Loop) へ・・・。
途中でアナウンスがあったらしいのだが、聞き漏らしたらしい。
 
しかたなく今度は #27 で Rumpert を通ってジョイス・ステーションへ。
結果的にものすごく大回りして、最後は結局 #41 で家路についた。
なぜかカナダ・プレイスから2時間もかかってしまった。
せめてバンクーバーの地理を学んだことを、今日の収穫としたい。
 

2011年2月6日日曜日

Chinese New Year Party

2/5 (土) くもりのち小雨
 
ウチの大家さんが東南アジア某国からの移民だということは前に書いたと思う。
その国出身の人々が集う団体(日本人会みたいなイメージ)主催の Chinese New Year Party があり、連れて行ってもらった。
 
場所はリッチモンドの中華料理屋で、教会のパーティーがあったのと同じところ。
なぜ中国じゃない国が中国の正月を祝うのか、結局よくわからなかったが、その東南アジア某国の人だけでなく中国人やベトナム人、それからのその配偶者や子供たちも含め、400~500 人ぐらいはいたと思う。
 
出し物のなかで最も盛り上がったのがLion Dance で、ビデオに撮ったのでアップロードしておく。
日本の獅子舞のようなものを勝手にイメージしていたのだが、それよりも大きなかぶりものに2人ずつ入って踊っていた。
 
踊っていたのが十代に見える若者だったので、自分はてっきりボランティアの少年たちが踊りを披露していたのだと思い込んでいたのだが、実は彼らはプロフェッショナルで、協会が大金をはたいて呼んできたらしい。
過去にはライオン一匹あたり5人ぐらい入って、はしごに昇ったりして勇壮な踊りを披露したこともあったのだそうだ。
ひょっとしたらこんなところにも、不景気が影響しているのかもしれない。
 
 

2011年2月4日金曜日

ダビガトラン、ドロネダロン、ベルナカラント

2/3 (木) 雨一時くもり
 
麻酔関連合併症が起こった症例の紹介でお茶をにごしてしまいがちな水曜朝の講演会だが、昨日は珍しくレベルの高い話で盛り上がった。
内容は心房細動に関するもので、新しい薬が3つ紹介されていたので、備忘録に残しておくことにする。
 
一つはダビガトラン (Dabigatran)。
直接トロンビン阻害作用を持つ抗凝固剤で、ワーファリンに替わりうる薬として期待されている。
カナダでは少し前から使われていたが、昨年 10 月に心房細動での stroke 予防目的の使用が承認されたとのこと。
 
効きが早く、内服 2 時間で効果のピークが得られる。
手術前には24時間前にとめるだけでいい(腎機能低下がある時はもっと前から)。
食べ物の制限がないのがワーファリンとは違うところ。
短所は1日2回内服しないといけないこと、コストが高いことが挙げられる。
 
ドロネダロン (Dronedarone) は多経路遮断剤で、カルシウム、カリウム、ナトリウム経路に効果があり、アミオダロンの構造類似体。
カナダのガイドラインによると、「レートコントロール目的に加えてもいい」という扱いになっている。
 
ベルナカラント (Vernakalant) は静注薬で、最近始まった心房細動に対して FDA の承認が得られている。
90 分以内になんと 50% のconversion rate が得られているとのこと!
 

2011年2月2日水曜日

学会からのリマインダー

2/1 (火) 晴れ
 
麻酔科学会学術総会の教育講演のテキスト提出期限まであと1週間以上あるのだが、今日も催促メールみたいなのが届いた。
まだ締め切りは過ぎていないので、催促メールという言い方は正確ではないだろう。
英語で言うところのリマインダーに相当するのだが、「忘れないで提出して下さいね」といった感じのやさしい言葉で、強烈なプレッシャーをかけてくる。
 
ここのところずっとこのテキスト執筆にかかりきりで、その他の仕事があまりできていない。
留学中で自由の身だから良かったものの、ふつうに病院で働きながらだったらとうてい間に合わなかっただろうと思う。
 
そうは言っても、そう遠くないうちに日本に帰らないといけないし、また仕事に復帰しなければいけない。
自由な生活から当直したり延々とポンピングしたりする生活に戻るのかと思うと、知らず知らずのうちに心臓がバクバクしてくるから不思議だ。
 

2011年2月1日火曜日

きれいすぎる歯科クリニック

1/31 (月) くもり
 
歯の詰め物がとれてしまったことはすでに書いた。
とれたまま放置しておくにはいかないので、とれたその日のうちに今日の朝9時に予約を取って、歯科に受診することにした。
 
クリニックは Broadway と Granville Street の交差点近くのビルの2階だった。
人通りの絶えないにぎやかなところにあり、地価が高そうだ。
 
オフィスの中に入ると、まるでちょっとしたホテルの一室のようなきれいな待合室があった。
天井が高すぎる。
4~5メートル以上はあったと思う。
 
中から日本語の流暢な小柄な女性が出てきたので、その人がきっと日本人の先生だと思いこみ、まずはひと安心することができた。
実はその人は歯科衛生士か助手だったようなのだが、日本人ではない(たぶん中国人)ドクターが治療している間ずっとそばで介助していてくれたので、本当に心強かった。
言葉の通じないところで歯をガリガリやられたら、恐怖と苦痛の極みというものだ。
 
診療室には巨大な窓があり、残念ながらブラインドがかかっていたのだが、ブラインドが開けばダウンタウンやノース・バンクーバーの景色が一望できたことだろう。
レントゲンを撮って詰め物の部分に虫歯がないことを確認したあとで、詰め物の部分に圧縮空気をかけたり仮止めした後で本格的に接着したりするのは、おおむね日本の歯科医と同様の手順だったと思う。
 
日本の歯科医と違ったのはガーゼを口の中に入れて、「術野」を明確にしていたところだ。
また、うがい用の流しが患者のそばにはなく、診察台のそばにドリルの替え刃の類が置いているわけでもなく、全体の配置がシンプルな作りになっているのも特徴的だった。
全ての診療が終わってから、紙コップでのうがいを勧められた。
 
費用は全部で 116 ドル 80 セント。
200 ドルまでは覚悟していたので、その範囲内で済んでホントに良かった。
尻の毛までは抜かれずにすんだというわけだ。
クレジットカードで支払った。
 
日本語学校で勧めてもらったとおり、健康保険から一部負担金をバックしてもらうために、ドクターに書類を書いてもらうことにした。
この手数料が 10 ドル。
書類を受け取りに行くために、10日後ぐらいにもう一度行かなければならない。
 
衛生士さんも受付の女性も、帰り際に「ありがとうございました~」と言ってくれた。
「おだいじに~」ではないところが、日本とは違って北米らしいところか・・・。